「守る人、やる人になる」 ほのか

3月10日
 
 キャッチボールをする時間が、とても楽しいです。
 ちあきちゃんが今日お休みでいてくれて、ミズノの朱色のグローブをはめている姿がよく似合っていて、かっこよかったです。今日はちあきちゃんと一緒にキャッチボールをさせてもらいました。
 新しいソフトボールが届いたということで、みんなで記念撮影をしました。
 新しいボールはとても軽かったです。今まで使っていたボールに慣れていたので、少し慣れるのに時間が掛かりましたが、新しいボールの方が、ずっと遠くまで飛んでいくような心地でした。
 
 今日、とっても嬉しかったことがありました!!
 今日もよく晴れている中、みんなでなのはなコースへランニングに行きました。
 今日も、アヒルくんに会えることが楽しみで、丘を越え山を越え……あっという間にあの池に近づいてきました……すると、いつものあの場所に、木が作る陰に隠れて、じっとしていました。「おはよー」と声を掛けて、手を振ると、アヒルがおしりを振りながら急いで泳いで、こちらに来てくれました!! みんなと大喜び! そして私たちが通り過ぎる頃には、来た道を戻っていきました。「また明日ー」と言って、別れました。
 あの真っ白な体がおもちか、カブみたいで……本当に可愛くて、癒されています……。
 一度でいいから、触ってみたいな。と思いました。
 
 最近お父さんのお話を聞かせてもらう中で、気がついたことがあります。
 借り物の身体にも、意志が必要だと感じました。
 身体に無関心で、身体に好きなようにさせている、させるがままでいると、脂肪だるだるで膝に負担がかかる。膝が痛いのは、自分の歩き方が原因。筋肉が使えていないからだと分かりました。身体の使い手は自分。こういう身体を作りたい、という意志がなくちゃいけない。進化させないといけない、ということを感じました。ノープランでぼーっとしていたら、ノープランでぼーっとしている身体になってしまいました。それで痛いところには気づく、という感じでしたが、それは全て自分のプランの無さが原因だなと感じました。膝のためにも、筋肉を使って歩く。身体の筋組織、骨、血液……それらでさえも、利他心で生きているのだな。と。もし筋肉を使わなかったとしたら、他の所に負担をかけてしまうから、それぞれの筋肉が自分のポジションでしっかり役割を果たして、健康な肉体というものが成り立つのだな、と感じました。

 今日は、2月から続けてきたロングミーティング最後の日で、午前中には作文の読み回しと、午後にはお父さん、お母さんが講義をしてくださいました。
 みんなの作文を読ませてもらう中で、あれもそうだ、これもそうだ、と今になってもまだ思い出されることがたくさんあり、それらは全て記憶にふたをしていたものだったり、自分で正当化して直視しないようにしていたものでした。みんなの体験に共感するところが多かったです。あれもあった、これもあったと整理したい気持ちはありましたが、際限が無いように感じられて、そして今回は今日が最後の区切りをつける、ということで、今回のミーティングはいったん、終わりという風にけじめをつけようと思います。
 お母さんが、そなちゃんの日記を読んでくださいました。
 みんなが自分の傷を覚えていてくれるから、私は忘れて良い。
 この、忘却、ということは、私は大きく抜け落ちていた所でした。
 苦しかった自分の過去が報われなくて、誰にも分かってもらえなくて、今まで必死で自分一人で抱えて生きてきたのに、もし自分が忘れてしまったら、手放してしまったら、あの苦しかった時の自分は誰が助けてくれようか、過去の価値が薄れてしまう、不幸自慢の種を無くして、普通に生きていける気がしない……。
 私はとても恥ずかしい話、自分の傷口のかさぶたをはがす瞬間が何よりの至福を感じる瞬間で、そのかさぶたをしばらくいじって、なかなか捨てられない、ということがあります。それはまさに心の中も同じことをしていたのだと気がつきました。
 自分の傷ついた過去を美化して、自分を悲劇のヒロインにして、陶酔していたのもあると思います。それら全て、利己的な考えから出てきたものだった、と気がつきました。
 自分の特別な過去を手放したくない気持ちが、確かにあったと思います。忘れるという発想すら、今まで生まれませんでした。
 だから、それら全て、忘れて良い。お父さんお母さん、ここにいる仲間は、絶対に忘れないよ。とお母さんが話してくださったとき、私はとても安心して、涙が溢れました。
 
 なのはなコースを走りながら、その景色の鮮やかさに感動します。生まれたての世界。いつかあゆちゃんがdon’t try so hardの練習中に教えてくれたみたいに、「ああ、なんて美しい世界なんだろう。これが、僕のための世界だったのか」という心境に、似ています。
 もう私は自由だ。と感じています。まだまだ発展途上ではありますが、それで良いのだと、迷惑をかけても良いと、失敗したなら失敗したままにしておくが良いと、お父さん、お母さんに教えていただきました。迷惑をかけてもいい。でも、貢献もする。お互いに助け、助けられ、許し合うのが、仲間。その言葉を聞いて、今のそのままの自分を認められるように感じました。守ってもらう人ではなく、守る人になる。治してもらう人ではなく、治す人になる。やらされる人ではなく、やる人になる。
 
 早速、やる人になる、ことが増えました。
 小さな事ですが、家庭科室の魚を焼く、グリル庫内の掃除を自分もできるようになりたい、と思っていました。ですがいつもできる人にやってもらっていて、自分は毎日洗い物など、決まってできることをする、というのがここ最近のパターンでした。ですが、いつまでも誰かにやってもらうのではなく、自分一人でもできるようになりたい。と思い、同じ夕食後の台所片付け当番のまりのちゃんに声を掛けさせてもらいました。すると、「じゃあ、一緒にやる?」と言ってくれて、まりのちゃんがやり方を説明してくれて、その後は一人で実践することができました。やってみたら思っていたよりずっとシンプルで、すぐに覚えられました。また、やり方がわからない、魚ふきんの片付け方なども、口頭でさくらちゃんに教えてもらい、今日からできるようになりました。今まで、人の迷惑にならないように……、と避けて通ってきた事を、自分がやる人になる、と思ったら、避けていられないな。と思うようになりました。そうして、日々の生活で実践してける毎日が楽しく、充実していて、ありがたいな。と思います。
 
 地道に、謙虚に、また明日からも、心も身体も毎日進化させていきたいです。
 読んでいただきありがとうございました。