11月15日
今日、後半の通しを、衣装も着てやった。衣装を着ると、気持ちも引き締まるが、着替えの最中、自分の世界に入ってしまって、ステージから気持ちが切れるときがあった。そういうの、やめようと思った。着替えも、ステージの一環だと思った。
あゆちゃんが言っていた。フレディは死ぬとき、『ショー・マスト・ゴー・オン』を歌ったときも、自分が死ぬ、と分かっていても、残念がって死んだ、とは思っていない。リトル・トリーのおばあちゃんが死ぬとき、次、どんなカードを引いて、新しいことをしようか、そう思って死んでいった。ショーは続いている。そう考えたら、いま、自分が摂食障害になったことも、新しい世界を作るための、ただの要素に思えた。そして、自分が死ぬことも、生きることも怖くなくなった、生きることも死ぬことも、一緒で、ひと続きだと思った。死ぬことは、新しい運命の幕開けで、生きることは、死んだときに引いたカード、自分が選んだ生き方を開くだけなんだと思った。
私も、摂食障害になったことも、「普通」じゃなくて苦労と感じることも、神様からのプレゼント、というか、自分が、この世界をもっと開けたくて、生き返るときに選んだ道に過ぎないのだと思った。
どうして、私は摂食障害を選んだのか。意味は、分かっている。
ショー・マスト・ゴー・オンだと思った。私は、お父さんが、「人生は修行」だと言うことを、あまり良く思っていなかった。「修行」は、辛い印象があったからだ。
でも、ショー・マスト・ゴー・オンなだけだと思った。消費する人生ではないだけ、生み出し続ける人生なだけだと思った。何もかも、楽しんで、新しい世界を広げていきたい、と思った。
死ぬことが怖くない、って、新しい発見だった。こんな気持ちは初めてだった。希望が見えた。
今日の後半の通しだけで、こんなに発見があって、明日は、前後半通しがあって、これからどうなるんだと思った。ずっと楽しみたいと思った。お父さんが、アーティスティックモードと通常モードと教えてくれた。それも、アーティスティックモード、だけじゃなくて、一人の人間に、いろんなモードがあるんだと感じた。その種類が、幅が広い人ほど、豊かに生きていけるような気がした。いろんな一面を楽しめるように、自分を作っていきたい。どんな自分も「本当の自分」だと、お父さんはよく教えてくれるけど、そういうことか、と思った。楽しみたいと思った。
コンサートの、お客さんがいる本番は1回だったり3回だったりするけれど、毎日が本番だと、本当に思う。その、本気のギリギリの、限界の一瞬は、そのときしかなくて、その一瞬しか楽しめない。だから、毎日を、一瞬を、ずっと、楽しんで生きていきたいと思った。明日も、精一杯、頑張りたいと思った。
