11月10日
今日、後半の脚本の読み込みをしました。
今日わかったこと。
次の人生を選ぶことができると知った時の、ゆめのの言葉について、少し疑問を感じていました。
「こういう人生を選んだのは自分だった。これからはちゃんと生きていく」
引きこもりという人生を選んで、それを知った時、ちゃんと生きていこうと思ったきっかけは何か。
摂食障害になった自分と重ねてみたら、すっと自分の中に落ちてきました。摂食障害になる人生を選んだのは、生まれ変わる前の私。摂食障害になった人は、チャラチャラして、楽しようとか、利己的にとか、そんな風には生きられない。摂食障害になった以上、成長し続けること。治り続けること。利他的に生きていくこと。そうでしか生きられない。そういう人生を選んだのは私なんだって思ったら、ちゃんと生きていこうって思います。
それと同じなんだって思います。ゆめのも、引きこもりではあるけど、ただの引きこもりではない。ただゲームの世界に、籠っているゆめのではない。「ちゃんと生きたい」「この世は何か違う」「本当はまじめに生きたい」って思って、でも行動できないでいたのがゆめのでした。そういう人生をゆめのは選んだんだって思います。ただ何も感じず、引きこもっても、辛さも何も感じない人ではなく、ちゃんと世の中を本当は変えたい。まじめに本当は生きたい。そう思う人生を選んだ。そう思ったら、ちゃんと生きていこうって思ったのだと思います。
それは私も一緒で、なのはなに来るまで、チャラチャラして生きてきたけど、本当はちゃんと生きたい。サボって、楽して、そんな人生本当は嫌だった。だから苦しかった。そう思ってしまう。楽しても何も感じない人とは違う。そういう人生を選んだんだ。だったらちゃんと生きようって思います。それと同じなんだ。そう思ったら、そのセリフが自分にとってものすごく大切なものになったし、これはなのはなのみんなにもきっと重なることだから、みんなの気持ちを代弁するような気持ちでしっかりと、言いたい。気持ちをのせて。
そして、リトル・トリーの場面。まだ私はリトル・トリーを読めていないのですが、この、理解し理解されることが愛情である、という部分は、やっぱり感動するし、なのはなファミリーだなって思います。今の世の中では理解し理解すること、わかり合うことを見失っている。だから、成長し続けることも忘れ、日常的に事件が起きる世の中になってしまう。理解すること。理解されること。それはどれほど大切なことか。
ネコのセリフに、「お母さんと全く理解しあえていない」とありました。だから人間をやめたいって思ってしまった。そして「レンタル猫として一緒に過ごした家族のほうがよほど分かり合えていた」と。理解し理解されること。それはお互いに存在を認めることでもあって、それがわかりあえたことで、愛情を感じ、「生きる勇気と希望をもらった」のだと思います。
物質的な豊かさ。効率。儲け。そういう、未来に求める幸せ。そんなのいらない。必要な分があれば、もう十分。そして、幸せは今のこの瞬間から過去のことを言う。そうだ、今から私は幸せになります、なんて言えない。まだわからない。今この時点まで幸せだったか? なのはなにきて、お父さんお母さん、そしてみんなに、本当に理解されることの幸せを知りました。本当の家族ってこんなに暖かいものだったんだ。私は初めて知りました。家族の概念、お父さん、お母さんの概念がすべて、180度変わった。どんな自分でも認めてくれる。どんな自分でも理解してくれる。一緒に笑ってくれる。辛くても、うれしくても、近くで、隣に、いてくれる。そんな仲間がいることに、私は本当に幸せだって思います。
今まで、ちゃんと生きたいけど、周りのみんなに流されて苦しくてたまらなかった。でもなのはなは、みんな同じ。みんなちゃんと生きたいって思っている。暖かい家族。大きな幸せ。出会えてよかった。そう感じます。
そんなことを感じ、後半のシーンが本当に好きだ!!!!!! って思います。
お父さんお母さん、素敵な脚本をありがとうございます。自分は、まだまだで、くじけそうになることもあるけど、お父さんお母さん、なおチャンが、そしてなのはなのみんなが応援してくれている。だから頑張ろうって思います。なおちゃんみたいな演技ができるようになりたい。
