「立ち姿で」 うたな

9月6日

 

 音楽合宿が始まりました。今年のコンサートはどのようなものになるだろう。私にとって、やってよかったと思えるものにするために、どんなことを考えながら取り組むべきか。また、見に来てくださる人にとって、感動のあるものにするためには。

 アセスメントで、『White flag』を見たときのことを思い出しました。摂食障害の人の回復施設だから、か弱そうな人たちが頑張って踊るのだろうな、と見くびってしまっていた自分がいました。でも『White flag』を見たことで、それが大勘違いだと理解しました。なのはなで回復を目指している人にはここまでの力強さと、意思と、人の心に訴えかける力があるのか、と、自分の傲慢さが恥ずかしくなりました。そして、「なのはなにいさせてもらえたら自分も回復できるかもしれない、治ってもいいかもしれない」と一縷の望みがもてました。

 もしかしたら、コンサートに、なのはなに入居しようか迷っている人が見に来るかもしれない。私がWhite flagを見たときと同じ感動を受けたら、入ろうとするだろうと思います。私にとって、「なのはなに入居する」という選択をしたことは、命を救ってもらったこととイコールです。だから、同じように、誰かの命を救う可能性が、コンサートにはあるのだと思うと、使命感や責任感のようなものがこみあげてきます。

 夏まつり作東のとき、

「イベントに向けて気持ちを切り替える必要はなくて、日々の生き方そのものを魅せるつもりでいることが大切」

 と、あゆちゃんが言ってくれました。コンサートも然りだと思います。上記したようなことが、真実だということを、私の立ち姿で表すことが求められると思います。そして表すのはコンサート練習だけでは無理で、日々の畑作業や掃除も、一生懸命に頑張るようにしたいです。

 

 今日は、あゆちゃんに『オペラ座の怪人』の全体演奏を見てもらいました。あゆちゃんは聖徳太子かと思うくらいに、どの楽器の音も正確に聞き取って、アドバイスをくれます。抽象的な、一見分かりづらいイメージであるはずのアドバイスなのに、こうしてと言われたままに表現しようと思うとしっかり再現がしやすくて、そんなワードセンスが本当にすごいなと思います。

 初めてだったのに、みんなの完成度がすさまじくて驚いてしまいました。ちゃんと曲になっていました。みんながしっかり初めから本気で取り組んでいるのが分かって、自分も姿勢を正される思いでした。

 鉄琴は奥が深くて、ただ叩くだけでも「こう叩きたい」という意思をもつだけで全然違いました。「ケタケタ笑いを含んだ怪人のように」「遠くでキラキラ雨が降るように」など、様々な考えかたをもらいましたが、一番ピンときたのは「小さく動き回る賢いネズミのように」です。トムとジェリーの、ジェリーのように、軽やかにはねるようなスティックさばきを心掛けると、少しだけど、音の重さが変わった感じがしました。今は「今回は再現できた」というような感じだけど、繰り返し練習して百発百中になるように頑張ります。

 

 午後には『パテパテ』の音入れをしました。発声練習をすると、ああ、コンサートが始まったなという感じがしました。アルトパートでは「フゥッフゥッ」という憧れの合いの手を言えるのがうれしいです。まなかちゃんが、「ここでこういうふうにしたい!」というのを要所要所で伝えてくれて、型どおりにはめるのではなく、きちんと理想があってそれに近づけようとしている姿が、かっこいいと思いました。コーラスがうまくいったとき、まなかちゃんがとびきりの笑顔で喜んでくれると、すごくうれしくなりました。

 

 リビングや音楽室で自主練習していると、同じように自主練習をするみんなの姿が必ずあります。個人での練習でも、一人で取り組んでいる感じがしなくて、みんなでコンサートに向かっている、そんな一体感があります。大好きなみんなとだから頑張れるし、最高のものにできる気がします。悔しいこともつらいことも立ち向かうことになると思うけど、逃げずに、まだ見ぬ誰かのために頑張ります。