「生産者でありたい」 あや

7月26日

〇天神涼み
 天神涼みがありました! 日本の和を感じる天神涼みが、イベントの中でも特に大好きです。
 当日の午前中は、最後の練習をお父さんに見ていただきました。ヤットサ節の手を合わせるような振りはリズムが大切、ということを教えていただきました。私たちがリズムを取れるように、手の止めを入れられるようにと、お父さんが「タンタンターア」とリズムを取ってくださいました。お父さんの声に合わせて、踊れた時間が凄く楽しかったです。
 お祭りが開かれている場所に近づくと、道路に提灯が飾られていました。今から、あの夢のような尊い時間が始まっていくのだと思うと胸が高鳴りました。
 
 勝央音頭保存会の浴衣を着ると、気持ちがしゃんとして、正されました。白と紺の浴衣に、赤の襷とシュシュが映えて、本当に美しいなと思います。この美しい衣装に着られないように、上品に、強く、凛とした気持ちで着ようと思いました。
 時間になり、スタート地点の曲がり角に行くと、お父さん、お母さん、あゆちゃん、まえちゃん、応援組のみんながいてくれ、心強かったです。

 夏の夕暮れの、まだ明るいけれど、薄暗くなっていく、切ない雰囲気の中、踊りがスタートしました。
 踊りながら、心の中で、お父さんが集合で話してくださったことを思っていました。今のなのはなファミリーがあって、私たちが回復の軌道に乗れていることは、なのはなの先輩方が繋いで来てくださってきたから。私たちも、まだ見ぬ誰かに、誰もが生きられる場所ソーシャルフィールドに繋がるように、表現という手段を通して、バトンを繋いでいく。近づくことができないくらいの神々しさを持って、踊ること。
 天神涼みなどのイベントに出演させてもらえるのも、先輩方がレベル高いパフォーマンスで、地域の中のなのはなファミリーという存在を築いてきてくださったからなのだと思い、そのバトンを切らさず、より高いレベルにして、次に繋げたいと思いました。

 屋台の方に進んでいくと、沿道にたくさんの方がいましたが、応援組のみんながいてくれ、前には同じ浴衣のみんながいてくれ、緊張せずに踊ることができました。
 大好きな3曲を踊っていると、自然と気持ちが乗って、心の底から楽しんで踊れたなと思います。
 沿道には、夏休みに入った学生さんたちも大勢いました。大人の方はもちろん、学生さんたちにも綺麗だと思われるような、美しい踊りをしたいと強く思いました。
 踊りに目を向けてもらうのは難しいことだと感じます。特に学生の頃、お祭りで何かしていても目を向けなかったなぁと思います。同級生も自分も、見ていたとしても、茶化しのような気持ちで見ていました。自分がそうだったからこそ、目を向けてもらうことの難しさを感じるけれど、たくさんの人の目を奪いたい、絶対に魅せるんだという気持ちが高まりました。

 目を引くけれど、安っぽくなく、上品で、凛としていて、強い意志のある、そんな踊り。
 今の世の中は、生きることが難しくて、苦しくて、流されて生きる方が楽だと感じます。私も、軽いノリに身を委ね、誰とも荒波立てず、楽に過ごせるようにしていました。でも、実際のところは苦しくて。苦しいけれど、苦しさを抱えたまま生きていたなと思います。
 そんなふうに、流されてヘラヘラしている風に生きているけど苦しいと思っている人、同じように苦しさを感じている人に届いてほしい。見てもらって、なのはなのことを多くの人に知ってもらいたいという気持ちでいっぱいでした。
 そんな思いで踊っていると、沿道の方が曲の終わりの都度、拍手をしてくださったり、学生さんたちが一緒に踊ってくださったりしました。沿道の方が気持ちを寄せてくださっているのを感じて、本当に嬉しかったです。
 途中で、小さな男の子が親御さんから離れて、ぽかーんと口を開けてみてくれていて、自分たちの表現が男の子に伝わっているのを感じました。
 「綺麗」や「こういう踊りがあるからお祭りになるんだろうね」「華やかだね~」という声がたくさん聞こえてきて、嬉しかったです。中には、「このためにわざわざ京都から来たのかな?」と舞妓さんだと思われている方もいて、みなさんのリアクションが心から嬉しかったなと思います。
 お父さんがよく、パフォーマンスは演者と観客の間に生まれると話してくださるのですが、それを改めて実感した瞬間でした。

 踊りを揃え、気持ちも揃え、みんなが全部綺麗に揃っているからこそ、美しいのだと思います。前にいるみんなが角度もスピードも揃っているのを見ながら踊っていて、こんなにもたくさんの人が「よく生きたい。まだ見ぬ誰かに繋げられるような踊りをしたい」と同じ気持ちでいてくれるのだと思うと、本当に幸せだと感じました。
 一緒に踊っているみんなだけでなく、応援組のまえちゃんやななほちゃんが、走りながら、ずっと一緒に移動をしてくれ、写真を取ってくれていて、応援してくれるのを感じ、本当に心強かったです。

 少し薄暗くなってきて、提灯のぽぅ、と灯る明かりに映し出されるみんなが本当に美しかったです。天神涼みの瞬間の中で1番大好きな景色です。石畳の道を、お揃いの浴衣や襷で、提灯に照らされながら歩いていく時間が凄く穏やかで、心地よくて、心温まる時間だなと思います。

 踊っている際、「生産者でありたい」と思いました。お祭りの屋台で遊んで消費する側ではなく、演じて伝える生産者であることが、遊ぶことよりも楽しくて、幸せです。「お祭り大好き、旅行大好き、の消費すること大好き」代表のような私が、遊ぶ側ではなく、踊る側の方が好きと感じるようになったことが、自分でも驚きです。
 消費することしか生きる楽しみがない、消費しなければ私は生きていけないと思っていました。そう思っていても、結局消費することは生きる糧にはならなくて、苦しさの方が勝った時、「これがあれば私は生きられる」と思っていた消費することもどうでもいいものになり、生きる理由にはなっていなかったなと思います。今、生きる希望や理由をもらえていることがありがたいです。
 消費者ではなく、生産者としていたい、と思った天神涼みでした。映画のワンシーンような、夢のような瞬間がずっと心に残っていて、本当に幸せな時間でした。