11月30日
昨夜久しぶりに『ボヘミアン・ラプソディ』と、『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』の和訳を読みました。
そしたら本当に今回の物語とピッタリだなと改めて感じました。
ボヘミアンでも、最初はやけくそなような気持ち、世の中のこうだからこうしなきゃダメという考えが苦しいからやけくそで、どっちに世間の風が吹こうとも僕には関係のない事さ、ぼくには――、といっているけれど、最後には自分のありのままの姿をありのままに心をさらけ出し、何々だからこうしなきゃいけないという考えから抜け、風の吹くままに。そう、風は吹いてゆくのだ。
→ネコになる前は、そういう、何々だからこうしなきゃとか、役に立たなきゃとかいう考えが苦しかったけれど、猫になる事でその考えから抜け、自分のありのままでいいんだと知った、そして、僕が選んだカードのとおりの道に進んでいくんだと言っているような気がしました。
そのことに気付くと、自分の中ですべてがつながったような気がしました。
それと、ボヘミアンでも、死んだら終わりじゃない世界があることを表現していたり、親離れ出来なくて、ママ僕を手放してくれ! といっている歌詞を見ると、ああ本当に私たちと同じだったんだと強く共感し、以前よりも強く胸に刺さりました。
ボヘミアンを作った、クイーンではフレディーはもういなかったり、昔に作られたものかもしれないです。けれど時代を超えてこんなにも共感し歌い継がれているのが本当に凄いなと感じます。語られるべきものは時代を超えて語り続けられる。そのことに気付きました。
そう思うと、お父さんお母さんの脚本もきっと時代を超えて、語り続けられる。
何十年先になったとしても、この脚本を読んだりDVDを見ることで共感し、感動する人が居るんだろうなと思います。
『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』の和訳をよみました。
ボヘミアンもだけれど、『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』も脚本の物語と全てつながっているという事を強く感じました。自分の中で、きっちりと1本につながった気がしました。
「また、別のヒーロー物語。浅はかな犯罪ものの、舞台。その幕の裏側では無言劇のパントマイムが繰り広げられている」
今のうわべだけの世の中で裏側には苦しんでいる人が居ることをフレディーも知っていたんだなと感じました。それも今よりも前からそういう世の中になっていたんだなという事を知り、早くこの世の中を、脚本にあるようにだれもが平和に過ごしている世界に、貧しい世界がない世の中に、利他的な世の中に変えたいと感じさせてもらいます。
そのあとの歌詞で、
「ショーは続く、続けなければならないんだ、やめるなんて選択肢はない」
「このショーは続く、ショーは決して終わらない、いいかい、続けなければならないんだ」
今それを読むと、その歌詞がすごく、胸に刺さります。
やめるなんて選択肢はない、ショーは続けなければならない、その生き方しかできない、まさにそのことを自分に言い聞かせてくれている感じがします。
この曲を通し、最後の最後に私もショーは続けるんだ! ショーは決して終わらない! という気持ちを思いっきり表現します!
その後歌詞で、「たとえ何が起ころうとも、俺はすべて運命にゆだねるさ」というのも脚本と通じていてより胸に刺さります。
自分がひいたカードにたいして何が起ころうとも俺は全て運命にゆだねる、私もそうあらなければなと今はそう思います。
この曲に、私の私たちの生き方をおもいっきり表現してくれているように感じました。この曲を使い私も自分の生きざま、自分の持って生まれたカードに何が起ころうともゆだねる事、ショーマンとして生きていくこと、脚本でもらった猫として生きるという事、I KIN YEも他にもたくさん脚本でもらったことを全て表現します!
夜の練習の時あゆちゃんの言葉が胸に残りました。
「今日はもう終わりだから、一番良い『ショー・マスト・ゴー・オン』をしよう、もう今日は帰ってこないからね」
と、いってくださりました。
そのことを聞き、前も日記に書いたかもしれないけれど、改めて毎日を消費してられないな、毎日生産的に有効的に使いたい、今はそう凄く凄く思います。
けれど自分はまだ、思う事と行動はちがうので、もっと言葉に見合った行動を、生産的な行動を日々積み重ねていきます!
