3月10日のなのはな

3月10日、今回のロングミーティングが幕を閉じました。2月10日から、ミーティングが始まり、1か月をかけて行われました。
私たちの摂食症の原因となる幼児期の逆境体験を理解し、そこに解決を与えるミーティングです。なのはなファミリーの活動の中でもこのミーティングは摂食症の核の部分でありとても大切にしている活動です。
そのミーティングの締めとなる総括の講義の時間があり、お父さんお母さんのお話を聞き、このミーティングでみんなで考えたこと、得たことを再確認しました。
摂食症の生きる苦しさは、表面的な食にまつわる症状に限らず、もっと幅が広くて、深いです。
幼少期に、体験した逆境体験がずっと未解決事件のまま残ってしまいのちに摂食症を引き起こします。その幼少期の怖さを大人になっても引きづってしまう事で症状が止まらないのです。
その時の体験した出来事は大人からみたらちっぽけなことでも、小さな子にとってはそれは戦争のような、世界が破滅してしまうのではないかというほどの事件となりそれは大きな傷となります。そこに解決が見いだせないまま、未解決事件となり、ずっと不安を抱え続けてしまいます。
そして二次的な症状として、その時抱えてしまった歪みを持ったまま年齢を重ねていくと、さらに生きにくさは大きくなってしまい苦しみが深くなってしまいます。
人間関係は歪み、我慢の生き方のスタートです。未解決なままの幼児期逆境体験を抱えてしまうことで、日々の小さな幸せを喜びながら成功体験を積み重ねて自我を作っていくという人としての生き方が出来なくなってしまいます。
当たり前が当たり前でなくなるのです。それがなのはなに来るまでの、私の人生でした。

今回も、グループ体制でミーティングが行われました。3人から4人でチームが組まれ、基本的にはグループ内で、それぞれの作文の読みまわしやOMT(open mind training)という決められた時間をテーマに沿って一人ひとりが話しあう、という事をしてきました。
大きく3つのステップに分かれて、今回のミーティングは進みました。自分の体験を振り返る、摂食症の原因となることを掘り下げて考える…一見苦しそうな事のように思えるかもしませんが、
実際は全くそんな事はありません。むしろ、楽しんで、面白がって、解決に導いていけると感覚がありました。
今回のミーティングで私は、たくさん笑えて、涙を流して(いい涙です、悲しくて泣くんじゃなくて、そうかそうだったのか、という気付きが重なり涙がでます)、たくさんの感情を動かしながら、今ある生活がどれほど大きな歓びに包まれているのかを感じました。
初めは、利他心ってどういうこと? 利他心の理解を深めるのが第一段階でした。摂食症になってしまった人は利他心でないと生きられない。なのはなのお父さんお母さんがいつも教えてくれることです。
でもその利他心って何? 利他心について理解を深めていきます。
稲盛和夫さんやホセ・ムヒカ大統領の本やスピーチから抜粋した資料を読みます。その資料を読んでの気付きを作文に書いて、自分の理解を仲間に話す。
資料を読んで、作文を読んで、講義を聞いて、OMTをして、全ての過程で得られた気づき、学び、発見を、共有財産にしていきます。自分の学びが、誰かの力になります。

次に自分の体験、逆境体験について迫っていきます。
これもいくつかの段階に分かれて、テーマに沿った作文を書いて読みまわすのですが、テーマの中にはユニークなものもあり、様々な視点から考えることができました。
読みまわしていても、「普遍的なことはなにか」と深く考えるきっかけになりました。
そして書いていて、自分が、言葉にして可視化するまでは気づいていなかった、引きづってしまっていた気持ちにも気づかされました。
私の中にも確かに不安がありました。自分でも気づいていなかった、もしくは蓋をして見ないようにしていた、その気持ちが、そこにはありありとありました。

最後が、いよいよ自分の逆境体験の解決を考えます。
みんなで探って、答えを探し出します。どこにいても1人じゃありません。
摂食症の、引き金となる、怖い気持ち。それは幼少期の傷になった体験、その時の衝撃、怖さです。
私は、病気になった自分を責めてきました。自分が悪い、自分が出来損ないだから、迷惑をかける。
こんな自分は、生きていない方が良い、いっそ死んでしまったほうがいいだろう。自己否定に歯止めがかからなかった。
だけど、本当はそうじゃない、自分は悪くなかったのだ、解決して、ここで症状を手放してみよう、という決意の文章を書きました。
そしてその文章を、全体で最後に読みまわした、その日が最終回でした。
私は幼いときに逆境体験を抱えてしまいました。だけど、その時の心配はもういらなくて、何も怯えなくていい。
今見える景色は利他の世界。私は、ここで生きる使命を全うするために、ただ当たり前のことを当たり前にするだけ。
みんなの決意、傷との決別の意志が、強く刻まれていました。そうだ、そうだ、私は前を向く。
私が得た、悲しさ、寂しさ、怖さ、辛さ、悲しい気持ちが全部理解されました。
それは私だけの苦しみが、私だけのものではなくなった瞬間でした。心が本当に晴れました。心の中にいた小さい時の私に寄り添って同調してくれて、安心をくれました。
引きづっていた感情はそこで昇華されたようでした。もう大丈夫なのだと、私は理解が得られたのだと安心しました。
生きる使命は、治り続ける意味とは、利他的な気持ちを世界に向けること。その未来、その未来に一緒に進んでいける仲間がいるから、もう何も怖くない。そう思いました。

それと同時に未来への希望も感じました。
世界は優しさ基盤で動いている。本当にはそうあるべきなのだ。私が困ったとき必ず助けてくれる人がいる。
自分だけが頑張ろうと、責任を負いすぎないでいい。自分に拘らなくていい。
私の体も、頭も、縁あって出会ったものなのだ。その自分を精一杯使って生きていく。
主体性を持って生きていく覚悟をしたとき、症状から離れられて、前向きに自分の人生を作っていく気持ちを持てるということ。このミーティングで得られた学び、それは大きなものでした。
気持ちの面の変化だけではなく、すごく嬉しかったし、驚いたのは、朝にすっきり目が覚めるようになりました。
症状的なものと言えども、なのはなに来るまでの睡眠時間の短さに原因があるのだと、逃げ道を作っていたけど、それも気持ちの問題だったのだと、改めて体験的に知る機会となりました。
今回ミーティングを受けさせてもらい、このミーティングをお父さんお母さん、実行委員の人たちが今回のメンバーに合うように考えてくれた事が本当にありがたく、感謝しています。
次は私がミーティングを作る側になるそんな気持ちも持って成長したいです。
(そな)
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