「いつも何者かを演じていることで」 ほのか

11月26日

 被害感情を無くすには、他人の評価基準を信じないこと。自己否定を無くすには、自分の評価基準を信じないこと。
 お父さんが昨晩仰っていたことが、印象的に残りました。

 昨日の夜、布団に入っていたときに、思いました。
 人間が気にする地位や競争心、他人の目、世間体、人間界で通用するルールみたいなものは、猫には通用しない。猫はそんなものは持っちゃいない。猫になることで、自分を縛るものから解放されるのだなと思いました。
 ありのままを許し合い、理解し合うこと。自分も誰かを大切に思って、誰かのことを共感したら相手も同じように共感できて、相互理解が深まるんだと思いました。誰かに強制しないし、期待もしない。だから自分にも期待しないで、と公言するのだなと思いました。
 力を抜くのが猫ではない、だらっと生きるのも猫ではないとあゆちゃんが言っていました。必要以上に役に立とうとか、よく見せようと思わないで、ありのままで存在していていいんだなと思えるのが、猫なのでしょうか。もしそうだとしたらすごく生きやすいなと思います。
 答えを探し続けて、またひとつ、またひとつと道が拓けていくような人生がショーマストゴーオンなのだと、教えていただきました。そうやって生きて行きたいです。今はまだはっきりと理解できていないこともたくさんあるけれど、求め続けたいです。それも、自分が楽になるためではなくて、これから出会う誰かにちゃんと出会うため、その答えを伝えられるためではないといけないと思います。
「こうなりたい、できるだろうか」じゃなくて「このカードをひいた、さあいくぞ!」あとは実行するだけなんだよ、向かって行くだけだよとあゆちゃんがボーンフォーディスのダンス練習のときに教えてくれました。
 だからやる気のある明るい表情が良い、強いけど怖くない方がいいと教えてくださいました。わたしはこうなりたい、という理想はあるけれど、果たして本当にその通りになるんだろうか、できるだろうかという不安が先に立って、明るい表情をできていませんでした。ですがあゆちゃんのその言葉を聞いて、できるかできないかじゃなくて、向かって行くだけなんだと思ったら、すごく前向きになって、明るく決意の漲る表情ができるようになりました。

 今日は気持ちが落ちているから、と機嫌の悪い人を前提に過ごしていると、その日一日を無駄に過ごしてしまう。本当は、明日やるべきことはこうだから、こんな人をやろう、こういうことをしようと思って次の日を迎える。今日、今から踊るのはこの曲だからこの曲の人になろう。というのが正しくて、それが素の自分をやらない、ということだとあゆちゃんが教えてくださいました。そうやって曲と一緒に一日を過ごすことで、いつも何者かを演じていることで、助けられるんだよ、と。
 わたしはコーラスを歌うときも、ダンスを踊るときも「わたし」が歌っていて、「わたし」が踊っていたことを思いました。だから妙に恥ずかしさが残ったり、力を出し惜しみしたり、わたしは苦手だから、みたいに思ってダンスで遅れをとってしまうんだなと思いました。
 だから自分のコンディションは考えないようにしようと思いました。

 今日は朝と夕方に2回も虹を見ることができました。きっと今年のコンサートもうまくいく気がして、神様が応援してくださっているように感じました。隠すところは何も無く、真っ直ぐに謙虚な気持ちで、祈るような気持ちで表現したいです。