「決意」 うたな

6月11日 

 今日の日記は過去のこと、暗いことが大半を占めます。でも、どうしても書きたかったので読んでいただけるとうれしいです。
 私にとって、去年の今日は忘れられない日です。
 去年の今日、私は自殺未遂をしました。自宅のマンションの7階から、飛び降りようとしました。柵を乗り越え、あとは手を離すだけ、というところまでいきました。家の中は、見られたら恥ずかしいものを処分して、きれいにして、伝えたい人への手紙と遺書を玄関に置いて。
 その日までの数日、過食嘔吐で身体がボロボロになり、職場を休んでいました。死のうとする直前まで、食べたかったものを胃に詰め込んで、吐いて、泣いていました。「こんな身体になるまで頑張らせてしまった」「かわいそうな人だった」という称号がほしくて、極限まで痩せてやろう、という意地がはたらいていたと思います。そんな、生きているのか死んでいるのかわからない状態でも、死ぬのが怖くなって、自殺を踏みとどまりました。
 人と会うこととか、朝から夜まで働くこととか、嫌というほど運動することとか、過食嘔吐することとか、自分に迫ってくることすべてが怖かったです。明日から逃げたいのに明日が来る。そんな人生が無理になっていました。幸せになるために小さいときから頑張っていろんなことを犠牲にして努力したと思っていた。でも待っていたのは、地獄のような日々だった。

 どうして、私の周りの人は普通に生きているのだろう。来る日々を、平然と迎えることができるのだろう。パパ、ママ、丹精込めて育ててくれたのに、こんな娘でごめんね、こんなことばかりで頭がジャグリングして、過食嘔吐と運動脅迫にさいなまれた日々でした。

 過去にとらわれることがよくないことだとは分かっていますが、6月11日という日にちを見てしまうと、去年のことを思い出さずにはいられませんでした。改めて、地獄のように苦しい日々のことを鮮明に思い出しました。また、忘れかけていました。
 自分の症状まみれの日々に、戻りたくない、戻ってたまるか。症状を自覚して、治さないと、痛い目に遭うと思って、思い返すだけで身震いしそうな日々を繰り返してはならない、と自分に言い聞かせました。
 今、自分が幸せを感じられる日々を過ごしていることが信じられません。つい最近まで、楽しさをあまり見いだせなかった畑作業も、夢中になる気持ちが出てきて、熱中できるものも見つかって、大好きだったダンスをさせてもらえる。
 毎日、誰かと一緒に、ごはんをおいしい、と食べられている。自分を許してくれる、信じられる人たちがいる。師匠にしたい、お父さんやお母さんの存在がある。自分の人生が続くことも信じられなかったし、こういう生き方があるということも知りませんでした。
 まだまだ未熟で、みんなにたくさん迷惑をかけて、できないことも多くて、成長も遅いです。でもこれだけは言えます。私は今、幸せです。あの時、どうして自殺をやめたのかわからないけれど、やめてよかった。こんな幸せがあるなら、生きていてよかった。そう思います。

 摂食障害になった人は、地獄の日々を送る可能性と、普通の人にはできないよりよい生き方をする可能性の、2つをもっている、とお父さんはおっしゃっています。その分岐点に立たされている私。絶対に、前者の方に転びたくない。本気で治す。自分の親への依存や、人格障害を、自覚して、前向きに治っていく。

 今日は、苦しんだ過去を思い出すと同時に、今の幸せを感じて、改めて、絶対に治ってやろうという決意をしました。これからも、つらくても、めげずに頑張ります。