4月6日
・わたし、ネコになる
昨日のお花見会では、「わたし、ネコになる」をみんなと歌えたことが嬉しかったです。
みんなの声に、目の前に広がる桃の花、「わたし、ネコになる」のメロディ。隣にいたまみちゃんと肩を寄せ合いながら……。目の前で歌うかにちゃんと時々、視線が合って笑顔を交わしながら……。桃畑で歌うこの曲は格別で、私の人生にとってまた、大切な瞬間が刻み込まれたのを感じました。
ネコになって生きる。今、働く中でも自分がネコになることで、自分も相手も働きやすいと感じる場面があります。
ミーティング前までは気づかなかったけれど、ミーティングが終わって新年度が始まった今、自分の抱えている欠落の深さを感じると同時に、それを乗り越えた先にある大きな希望を感じ、信じることができています。
そして、わたしネコになっていいんだなと心から思う自分がいます。
正直、ウィンターコンサートで「ネコになること」について知った時は、頭の中で理解していたとしても、実際にネコになる勇気がありませんでした。なぜならば、ネコとかけ離れた自分を作ることで、これまで、自分を守ってきたからです。
本当はネコ的要素を持った方が生きやすいと自分も周りの人も分かっているのに、「ネコになってしまったら、私は役に立たなくなって、みんなから期待もされなくなり、忘れられてしまうんだ」というような怖さがありました。
役に立つ人でいなくちゃいけない、常に人のために動いて、評価されなければいけない。優秀じゃなければいけない。そうじゃなければ、私は必要がない存在になるし、忘れられてしまうし、見捨てられてしまうような気がする……。
だから、必死に自分を追い込んで、自分を責めてまで頑張って、その結果、空回りして、失敗して、でも、そういう頑張り方しかできなくて、心の中では善意で良かれと思うのに、頑張れば頑張るほどに、自分も苦しいし、相手にも不快な思いをさせてしまうような、ジャグリングの中にいました。
でも、いつもニコニコとその場に存在するネコ。人に沿って、誰かのそばにそっといるネコ。期待されなくてもいいし、私も自分にも周りにも過度な期待をしなくていい。何も求めず何も与えず、ただ利他心で朗らかに周りの人と関係をとる。
私はずっと競争の中で育ってきたんだなと思います。だから、競争のないなのはなファミリーにいても、なのはなの中でのエリートを目指して、その小さな枠組みを勝手に作り、勝手に目指して空回りしていました。
本当にこの曲が大好きです。私たちの曲だなと感じるし、この曲を深く理解し合える仲間がいることが嬉しいです。
「当たり前に生きることが難しい」「世の中にある小さな上下関係、競争、弱肉強食のような価値観に苦しさを感じる気持ち」。
(どうして私だけ、できないんだろう。できる気がしないんだろう?)という生きる難しさ。それを共感できる人がいて、今、そんな小さな世界に拘らず、なのはなの夢を持って未来に希望をもって生きられることが嬉しいです。
大好きな桃に囲まれて、大好きな仲間と歌う「わたし、ネコになる」が嬉しかったです。
