「摂食障害にならなかったら」 うたな

7月16日

 摂食障害になったことを、どう受け止めるか。ハウスミーティングでのお父さんの回答に、大きく心が動きました。
「摂食障害にならなかったら、どういう生き方をしていたか」
 摂食障害になって、私はなのはなに来ました。なのはなで、「利他心をもって、まだ見ぬ誰かのために動く」ことを教えていただきました。もし摂食障害の症状だけがない状態の、人格はそのままの私が社会に出て生活していたとしたら。人を見下して、嘲笑しながら人間関係をとっていた。他人のものや公共のものを大事にできず、すぐ壊したり粗末に扱ったりしていた。利己的で自分勝手で、人として情けない生き方しかできなかったと思います。社会にとって害となる人間だったと思います。

 競争社会、利己的な社会では生きられなくなって、摂食障害になった私。お父さんが、治る道と治らない道があるとおっしゃっていましたが、私にとって、治らない道にあるのは、先ほど書いたように生きる運命です。でも治る道には、「利他心をもって、まだ見ぬ誰かのために動く」ことができる人間になる可能性が残されています。

 自分が生まれてきたことに、意味があるとしたら、「利他心をもって、まだ見ぬ誰かのために動く」人間として、社会にとっていい影響のある人間になって生きることができる人になれ、ということかもしれません。私が摂食障害になったことで、利他心をもってした行動によって喜ぶ人がいるとしたら、摂食障害になってよかった、と思います。

 こういう解釈であっているかどうかわかりません。でも、あれほどクズみたいな人間だった私が、誰かに喜ばれる存在になれるなら、今私は「摂食障害のイメージはプラスです」と自信をもって答えることができます。