5月28日
寝ても覚めてもサトイモの話になってしまう。私の一日はサトイモで埋め尽くされている。私はなのはなのサトイモ料理も好きだ。今までサトイモなんて煮物に入っても入って無くても気づかないくらいどうでも良い存在だったのだが、今私はなのはな産サトイモの虜になっている。掘って楽しい、食べておいしい。去年の豊作に続き、今年も豊作にしたい。
今日から念願の崖崩れ畑の草取りに取りかかった。
私とすにちゃんのどたばた劇を見てか、今日はスーパーヒーローまえちゃんが助けてくださった。本当に本当にありがたくて嬉しかった。まえちゃんが畝間の管理機がけをしてくださった。ボーボーだった草原が一瞬で茶色になった。人間の勝利だ、と思った。
それを追いかけて三角ホーですにちゃんと畝方の草を取っていった。
前回埋めた草が出てきて厄介だった。もう二度とこの種の草は埋めないと誓った。
すにちゃんが早いこと早いこと。すにちゃんのスピード感に一時的についていけてもそのスピードを持続させようと思うとすぐバテてしまう。かつ、根っこから取らなくてはいけないから質も重要で、ものすごく集中力が必要だった。
午前の後半に差し掛かる頃、他の作業を終えたメンバーがヘルプに来てくれた。
どんどん人数が増えていき、みんなが手で草を取っていってくれた。
みんなの力はやはり偉大で、どんなに根が張るイネ科の雑草が密集していてもみんなが密集して入ったらあっという間に綺麗になる。
あれもやらなくてはいけない、これも、あれもと、私とすにちゃん2人で背負いきれなくて2人で衝突していた野菜に対する不安とかストレスとか疑問とか、そういうのを全部まえちゃんはじめみんなに助けてもらって、本当にありがたかった。脅迫的な張り詰めていた気持ちが少し緩んだ。
午後も引き続きサトイモの作業をさせてもらった。
まえちゃんが芋が深植えになってしまったところを掘り起こして、中耕して植え直してくださっていた。すにちゃんもその掘り起こしに入り、私は4人のメンバーと畝上の草取りの続きを行った。
午前より人数が減ったため、進みがあまり良くなかった。1畝30分弱掛かってしまった。残りは6畝で、このままでは17時までに終わらないとすにちゃんに相談しにいったのだが、まえちゃんが「今のままでいいから草を抜いていこう」と言ってくださり、その通りにした。もうぐだぐだ言い訳せずにとりあえずやろうと思った。「考えることは意味が無い、考える人は嫌いだ」というお父さんの言葉が頭の中で反響した。終わらなくても全力を尽くそうと思った。みんなが気持ちを沿わせてくれているのを感じた。結果的に1畝半残ってしまったが、最後はのりこちゃんたちが走ってヘルプに来てくれてすごく嬉しかった。誰かが助けに来てくれるのってこんなにも嬉しいことなんだと感じた。今日はみんなに助けられて本当に嬉しかったから、私も誰かの助けになりたいと思った。
夕食後、早速実践できることがあった。
急遽吉下のタマネギを回収することになり、真っ暗になるまでみんなと回収、運びをした。行ける人で、有志の回収だった。私はもうお休みモードになりかけていたのだが、こういう時こそ動けるようにならなくてはいけないと思い、行った。
夜の外の空気が涼しくて気持ちよかった。暗くて誰が誰だかよくわからなかったのだが、声でどれみちゃんがいることがわかった。先日のお誕生日にお父さんが「どれみはクローバーみたいな人」と仰っていたことを思い出した。
ありったけのコンテナを持っていってもすぐにいっぱいになるくらい大量のタマネギがあった。軽トラで回収しに来てくれたのは、あゆちゃん。真っ暗で何も見えなくて、まだ大量に残っているタマネギに少し不安を感じていたのだが、あゆちゃんが来てくれただけでなんだかものすごく安心した。結果的に残りは明日回収することになったのだが、少しでも進めることができて良かったと思う。
話は変わってしまうが、昼食後30分間の読書の時間がすごくありがたいと感じている。
今は重松清の本を読んでいる。毎日少しずつ読み進めることが、今すごく楽しい。
本を読むと、心のゆとりがもてる気がする。自分を登場人物に投影することで、感受性を深めることもできる気がする。今読んでいる本には、精神的に病んで、入院していたという女の子が出て来る。主人公をはじめとする普通の人はこういう人がこういう風に見えているんだと知った。普通の人と病んでいる女の子との関係を見ていると、自分の過去を彷彿させた。
「病気から治ることがゴールではない」「病気から治って、何をしていくか、どんな影響を与えていくかが大事」とお父さんお母さんは教えてくださる。
今の私には、まず病気から治ることが果てしなく遠い道のりに感じることがある。
治ることをあきらめる、病気におぼれる選択は幻想。あって無いような物。そんなに甘いもんじゃないよ、とある日あゆみちゃんは私に話してくださった。
隣の芝生は青く見える。他人ばかり良く映る。やっぱり私はダメなんだという自己否定と被害感情とがのしかかると、努力して治る道を放棄したくなるときがある。
だが、そんなのも幻想だ。治らない道=死につながっているのだから。治ることを放棄するということは、つまり命を放棄することになるんだろう、と思う。
自分のことを考える時間は0にしなくてはいけないのに、(そもそも意識せずとも0になっているのがスタンダード)今の自分は覚醒度が低く本来の自分100%では無いことに悔しさ、歯がゆさを感じる。
だがしかし、それを自分でどうこうしようとじたばたするのは偉そうで、(過去にじたばたしていた経験がありますが)良い未来が開けますようにと祈りながら目の前のことを一生懸命やっていくことが今の正解だと考えている。今日も、結果はどうであれ今の全力を尽くして取り組んだ。この積み重ねの先が、きっと治る道に繋がっているのだと信じている。