2022年スプリングコンサート 役者インタビュー

市ヶ谷博士/アインシュタイン博士役
なおちゃんへのインタビュー

 

①市ヶ谷博士は、どんな人ですか?

 市ヶ谷博士は、人生のある段階で、生まれてきた意味、自分はなんのために生きるのかを見失い、それを知りたいと強く思いました。そして、その答えを、宇宙に求め続けてきました。答えを見つけるまであきらめない、どこまでも研究を続ける信念をもっています。自分の研究(疑問)は人が求める普遍的な問いである、と自分の研究に誇りを持っています。

 ひたすらマイペースに情熱を持って、答えは見つかるという希望を持ち続けている人です。 人のことを、肩書や先入観で見ることはありません。自分自身の目、心で見ることができます。初めて会ったたかおさん、てつおさん、ナナポンに対しても、まったく壁や先入観を持たず、まっすぐな気持ちで接する純粋な優しさがあります。

 偏屈に見えて、人好きです。同じように答えを求める仲間がずっとほしかったです。だから、おさらば3人組との出会いが本当に嬉しかった市ヶ谷博士です。アインシュタインの手紙で、アインシュタインと同じように、研究に没頭してきて、大切な人を損なってきたかもしれないという後悔と痛みを心に抱えながら、その見つけた答えをこれからは実践していこうと最後に前を向いて進みます。それが、市ヶ谷博士です。

 

②市ヶ谷博士と自分が似ていると思ったところは、ありますか?
反対に、似ていないと思ったところはありますか。

〇似ているところ
 偏屈に見えて、人好き。人好きなところが似ています。私は、なのはなに来るまで、自分はひねくれもので、皮肉屋で、人嫌いと思っていたけれど、実は人が好きなんだなと気づきました。マイペースだけれど、孤高にはならない(なれない?)。おしゃべり好きで、周りの人を楽しませることが好き、どんな状況でも、良くも悪くもシリアスになりすぎず、遊び心や楽しいことを忘れない(研究室で毎週日曜日にクイズ番組を仲間内でやっているところとか。その楽しみ方が、似ている)。
 没頭して、ときに暴走し、周りが見えなくなるところがあり、イーダのようなそれを止めてくれる相棒が必要なところが似ています。

 

 

〇似ていないところ
 市ヶ谷博士の迷いのなさ、思いの強さ、明確さ。私にはまだまだそれが足りないと思います。脚本を読み返してみると、市ヶ谷博士のセリフや行動には、立ち止まったり、後ろ向きになったり、弱気な言葉がないと気づきました。そういう気持ちがないのではなく、言葉にも表情にも行動にも出さない、と意志を持っているのではないか? と思いました。
 剣を使って時空を超えられるほどの、強い思いがある市ヶ谷博士に、私は憧れの気持ちを持っています。前に進む迷いのなさと思念の強さ。似ていないけれど、市ヶ谷博士みたいになりたいと思います。

 

③なおちゃんは、市ヶ谷博士とアインシュタイン博士を1人2役で演じましたが、2人を演じるときに、意識していたことはありますか?

 イメージでいうと、市ヶ谷博士は、セリフやストーリーから自由にキャラクターを想像して、自分自身を土台として肉付けしていくように演じました。そして、登場する仲間も、会場のみなさんも、市ヶ谷博士の研究への情熱に引き込まれて知りたい、一緒に時空を超えたいと思ってもらえるようにしたいと思って演じました。

 アインシュタイン博士については、彼に関する本を何冊か読み、それから手紙を一番大事に読み込んで、アインシュタインの思いや伝えたかったこと、アインシュタインが最後に答えを見つけた時の気持ちや、その答えを自分の中に何度も何度もしみこませていきました。キャラとして立たせる、アインシュタインらしく演じる、というよりは、「アインシュタインの見つけた答え、メッセージをどうか伝えられますように」と祈るような気持ちでした。

 実は、はじめはどうしたら2人を演じ分けができるかと試行錯誤したのですが、技術的なところ(セリフのスピードや、動きなど)で2人を演じ分けようとしても、上滑りしてしまいうまくいきませんでした。そこで、無理やり演じ分けることはやめました。

 市ヶ谷博士は、自分とほぼ重ねて、自分自身の延長で作りこんで色を重ねて濃くしていき(それが一番自然でした)、アインシュタインは、それとは反対に自分は透明になって、私という肉体にアインシュタインの魂を宿らせる気持ちで演じました(透明になるけれど、アインシュタインの魂は、普遍的なものとして、自分の魂でもあるとも感じました)。抽象的なことですが、意識したことは以上です。

 

③役を演じていて、学んだことを教えてください。

 なのはなファミリーの役者は、日々どれだけ心を耕しているかで演技の説得力や深みが決まるのだとあらためて学びました。お父さんお母さんが以前、その人の心そのままにしか表現できないと話してくれたことがあります。

 今回、私はアインシュタイン博士を演じました。はじめ、手紙も私が読みました。しかし、うまく読めませんでした。
 私がいない日の練習で、あゆちゃんが読んでくれた時、そのシーンが素晴らしく、みんなが深く感動できるいいシーンとなりました。そのビデオを私も見せてもらいました。
 あゆちゃんの声で読まれた手紙は、私のそれとはまったく違うものでした。演技力とか、そういうことではありません。アインシュタイン博士の、宇宙に答えを求めた意志、愛のエネルギーが宇宙のエネルギーだったという答えへの確信、アインシュタイン博士がリーゼルの心を損なってしまったことへの深い悲しみと悔恨。そのひとつひとつが、うわべのものではない、本物の言葉として響きました。

 私には、その深さを理解し表現する心の深さが足りなかったと思いました。劇をするときだけ、さあ気持ちを作ろう、と思ってできるものではないです。日々、毎日の生活の中で、流さずに心を耕し、魂を磨き続けて、伝わる演技になるのだということを、あらためて学びました。

 日々を大切にすることを怠って、誰かに伝えることはできないと思いました。それをアインシュタインの役から学ぶことができました。

 

 

⑤思い入れのあるセリフ、シーンと、その理由を教えてください。

◯市ヶ谷博士
思い入れのあるセリフ:
「この新相対性理論で、いまのこの世の中を、劇的に変革することができるんだ。キリストが生まれてからのこの2000年で、宗教が人間のモラルを導く役割は終わった。
 これからは、新相対性理論が宗教に代わって、人のモラルを構築していく。
 もし、時間と空間を広げることができるとわかれば、誰もが愛情にあふれた人生にしたいと願うだろう。
 アインシュタインが本当に見つけたかったのは、この公式かもしれない」

理由:
 理論を発見した喜び、世の中を変えていく決意、求めてきた最終回答へと肉薄している興奮、その3つの感情がぎゅっと詰め込まれた、興奮せずにはいられないセリフで、思い入れがあります。このセリフを何度かくりかえし練習をしていたある日、ふっと、これは自分のことであり、なのはなファミリーのことなのだという解釈ができました。私たち一人ひとりが、世の中を劇的に変革できる、モラルを作っていく、それができるのだと思った時、エネルギーがふつふつとわいてくるのを感じました。

 新相対性理論とは、なのはなで日々発見していく幸せの在り方、生きる意味、のことです。自分の欲のために生きるのではなく、利他心で、優しい気持ちで生きていったのなら、時間も空間も広げることができる。その感覚はなのはなに来て自分が感じた感覚につながっていました。

 年齢という枠組みはなくなり、1日1日が濃く長く、それでいて一瞬のようにも感じる美しい毎日。生き方や価値観を変えれば、時間も空間も広がり、世界は変わる。そして、その生き方を、私が自分の生活の中で地道に、実直に実践してけば、世の中を劇的に変革できる、私たちは新しいモラルを作っていくのだという気持ちで、高揚してこのセリフを私は言いました。

 

 

 もちろん、この市ヶ谷博士の発見はアインシュタインの手紙につながっていくわけですが、この段階では、まだあくまでも市ヶ谷博士の構築した理論です。なので、よりいまの自分自身に沿った気持ちとして、なのはなファミリーで新相対性理論に出会ったから、私がモラルを作っていくという思いをこめられました。とても思い入れのあるセリフです。

 

〇アインシュタイン
思い入れのあるセリフ:
「ただの動物ではない、心をもつ人間を作ったならば、人間はきっと、幸せを求めるに違いない、とその何者かは、考えた」

理由:
 はじめてこのセリフを声に出して読んだとき、胸が詰まって涙が出そうになりました。毎回、このセリフで私は泣きそうになりました。なぜ泣きたくなるのだろうと考えた時、それはアインシュタインの手紙に書かれた『答え』につながる、ダークマターの願いを感じたからだと思います。

 私(人間)は、きっと幸せを求めるだろうと、考えられ、何者かによって(ダークマターによって)作られた。
私は、愛情のあふれた人生を生きて、幸せを求めて生きていく。
 歴史に名を残すような大仰な仕事を成し遂げるためではなく、能力を高めて立派な人になるのでもなく、ただただ、愛のために生きていく。
 毎日、大切な人との間に小さな幸せを感じ、愛を生み出して生きていく。
 人間を作ったのならば、誰もがそう生きていくに違いない、と考えてダークマターは人間を作りました。
そのダークマター願いが、この短いセリフにつまっているのを感じ、その願いが届きました。

 泣けてしまうのは、切なさと喜びが同時に生まれたからです。
 幸せを求め、愛を生み出すために生きる、そんなシンプルな生き方を見失っていきてきてしまった自分がいました。こんなにもシンプルな答えでありながら、その願いのとおり生きるのがとても難しく、ダークマターの意図とは違う、愛を生み出さない生き方をしてしまった自分に、切なさを感じました。と同時に、ああ、愛のために生きる、そう素直にまっすぐに生きていいのだ、それが私に求められていたのだ、という答えが本当に嬉しかったです。

 これまでの生き方と、これからの生き方を同時に、一瞬にして見つめられるこのセリフに、私は思い入れがあります。

 

⑥練習の過程で、印象的だったことを教えてください。
 アインシュタインの演じ方に頭を悩ませていた時でした。
 どう演じるのか、個人練習で模索をしていました。しっくりいく演技を自分で作って、みんなと合わせる、という順序で考えていました。でも、迷走して、どう演じたらよいのか、わからないままに週末の合わせになりました。ホール入りが近づいている週末でした。このままで大丈夫か、アインシュタインの役を全うできるのだろうか、と焦りがありました。

 その日の通し練習で、後半のはじめのシーンを演じた時、たかおさんやてつおさん、とうこさんとの掛け合いで、アインシュタインの演技(動きや表情)が自然と出ました。

 頭で考えた演技ではなく、おさらば3人組と実際にやりとりをして、アインシュタインとしての自分の気持ちが自然と触発されたのを感じました。演技というのは、相手との間に生まれるのだと思いました。自分が一人で考えていてもわからなかったことが、みんなの演技が教えてくれました。頭で考えることなく感情から直で演技がつながりました。その1シーンで、アインシュタインとして自然に身体と気持ちが動いた感覚から、希望が出ました。私はアインシュタインを演じられる、と思えました。

 演技は、一人で完結する個人プレーのものではなく、役者同士がお互いの気持ちを引出しあい、そうすることで本物の感情が宿っていくのだということをあらためて感じました。とても嬉しく、印象的なことでした。

 

 

 もうひとつは、全員で素粒子となったシーンの練習の時のこと。そのときに、あゆちゃんが、
「ここにいたいとか、いたくないじゃなくて、何者かが意図をもって、自分を存在させているんだよ」
 と話したことです。そのときに、生きるというのは、生きたい、死にたいといった自分の意思(我)でコントロールすることではなく、すでに、この4次元の世界の中でなにがしかの役割と意味を与えられたものとして自分は存在しているんだ、と思えたことがとても印象に残っています。

 自分の思い通りにならないと苦しくなることも、自分には価値がないと悩む必要もまったくないのだと思いました。

 

⑦コンサート全体を通して、お客さんの反応を、どう感じましたか?

 青春の詩の朗読をしていたとき、客席からあがった「そうだ!」という同意の声、そして、終えた後の、大きな拍手。やよいちゃんがみんなの思いを代弁して、とうこさんとして伝えてくれた本物の気持ちが伝わった瞬間でした。

 また、後半のソロモン王の長台詞や、アインシュタインの手紙のシーン。しんとした空気の中に、その言葉を真剣に聞き、そこにある答えを私たちと一緒に心に刻もうと思ってくださっている気持ちを感じました。

 今回のコンサートは、剣を使って時空を超えるという展開はあるけれど、メッセージの伝え方は、とても実直で、地に足をつけた形だと私は思いました。私たちの見つけた答えを、ストレートに伝え、それをお客様は受け取ってくれたと感じました。
 なぜ生まれ、なんのために生きるのか、その答えを本当に求めている人が客席にたくさんいてくださり、愛を生み出すためという答えを共有し、それをこれから自分のこととして考えて向き合っていこう、実践していこうとする人がいるということ、それが、自分たちに生きていく希望や勇気をくれます。真面目に、本気で信じた気持ちを伝えれば、伝わるのだと感じました。

 

⑧今回のコンサート、脚本から得たことは、どんなことですか?

「美しい愛を生み出すために私は生まれた」という答えが、この脚本から得た大切なことです。とてもシンプルで、それでいてそれを実践していくことが難しく、私が見過ごし、ないがしろにしてしまった答えでした。
 なのはなファミリーで教えてもらうこと(ミーティングや日々の作業、お父さんお母さんのお話、形を変えて何度も体験し、伝えてもらう生き方)が、すべてこの「愛を生み出すため」という言葉に集約されたと感じます。

 幸せのその日暮らし、利他心。それは大切な人を愛する心、大切な時間を愛することにほかなりません。愛を生み出す、愛する心を大切にして生きる、そしてその愛の力でいま起きている悲しいこと、争いから救うこと。そのために、私は毎日、毎日、愛とは何かを考えて、実践して生きていく。

 私が摂食障害から回復してどう生きていくか、世の中を変えるというのはどういうことなのか、あるいは優しい世界を作るために人生をかけて戦うということはどういうことなのか、その答えが『アインシュタインの手紙』というクライマックスシーンによって、すべて解き明かされました。

 

 

 アインシュタインが最後の答えにたどり着いたとき、アインシュタインは、自分はその答えとは程遠い生き方をしてきてしまったという後悔の念。やり直せないけれど、答えを娘に託し、次の世代に託すアインシュタイン。

 アインシュタインは、愛という答えは、相対性理論を発表した時のように、世界中の誤解と偏見を生むだろうと言いました。アインシュタインの手紙は、今、語られるべきものだった、と思いました。

 誤解と偏見に決して屈することなく、愛を生み出すことを実践していく。誤解と偏見の側に流されず、勇気をもって実践していく。私自身、後悔や、誰かをないがしろにしてしまった痛みがあるけれど、これから先は違う、ダークマターによって自分が生まれ落ちた意味を、手にした答えを大切に生きていく。そう思えたことが、脚本から得たことです。

 

 

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