2022年スプリングコンサート 感想文集

「愛を生み出すこと」 あんな

 

 コンサートが終わって、夕食の席で、みんなの話を聞いていて、私が気づいていないところで、いろいろなところで、お互いに思いやる気持ち、助け合う気持ちがあったんだろうなと思いました。ピンマイクの不具合を舞台回しをしているみんなでカバーしあったこと、せいこちゃんが舞台を繋いでいたこととか、ふみちゃんがマイクなしで声を張り上げたとか、大竹さんが話してくれた調光卓でのなるちゃんとの話、舞台裏でも、私が気づいていないところで、本当に、優しい気持ち、お互いを思いやる気持ちが、たくさんあって、できていたコンサートだったんだろうなと思いました。その中に一員といさせてもらって、一部になって、未熟なりにも、その中にいさせてもらえたことが、ありがたいと思いました。

 本番前の昼食のときには、レッスンルームの鏡の前の席に、お父さんお母さんの横に、ズラリと応援して下さる方々が並んで、カメラマンの中嶌さん、ホールの竹内さん、他にも、こんなにたくさんの方面の方が、なのはなを好きで応援してくださっているんだなというのを感じました。卒業生も今回、たくさん帰ってきて手伝ってくれていました。のんちゃんやりかちゃんはダンスを教えてくれたり、ホール入り期間や当日に来てくれる人もいました。卒業生にとってもなのはなは大切なものなのだと改めて感じました。私はきちんと成長してこれただろうかと思い、私はこれから私の人生に誠実に向かおうと思いました。

 

 

 今回のコンサートは、私にとって、思っていた以上に、意味のあるものとなりました。
 テーマは宇宙で、脚本の中には、最後の場面のアインシュタインからリーゼルに宛てた手紙に向かって、ソロモン王のコヘレトの書、盛男おじいちゃんが遺してくれた青春の詩などが盛り込まれていて、お父さんが書いてくださった脚本は、「人はどう生きるべきか」という答えそのものでした。そして、自分たちが依存症から立ち直っていくときどう思ってどういう気持ちで生きていくべきかという、最終回答でした。

「今回のお父さんが書いてくれた脚本は、何よりもみんなにとっての脚本だと思うんだよ」
 お母さんがホール入り前に話してくださった言葉に、本当にそのとおりだなと感じました。
 この脚本には、私がずっと求めていた答えが、詰まっていると思いました。そして、ここまでの人生、私は、迷いに費やしてきたと思いました。愛の世界を作る、そのために生きる。勇気を持って、優しい世界を作っていく。このことは、ずっとずっとお父さんお母さんが言い続けてきてくれたことで、これまでのコンサートでも訴え続けてきたことだと思いました。ホールに入ってからのことですが、私の中で、迷いの中から、そこにまた辿り着いたような、精神が舞い戻ってきたような、そんな感じがしました。今回は、このことを、きちんと、深く、解ることができたような気がしています。

 

 

 最後の『バード・セット・フリー』は、「今度は私たちが、宇宙の愛を世界に伝える番だ」「愛の世界へ」という、とうこさん、ななぽんのセリフに乗って、勇気を持って、ダークマターに、見て下さる方に、自分の生き方についての決意を形にするようなつもりで、踊りました。
 お客さんが食い入るように自分たちを見てくれているのを感じました。感動しているのを空気で感じました。気持ちを込めて踊ることができたのが嬉しかったです。これは私にとって、みんなにとって、なのはなにとって、決意表明の踊りであり演奏であり、願いや祈りの踊りであり演奏だと思いました。私にとって、本番の、最後の『バード・セット・フリー』は、一瞬が永遠となったと感じます。

 

 

 ホールでの練習のときだったと思います。ウクライナで兵士に志願する人のように、命を失ったとしても国を守るのだという気持ち、遺された仲間のために命は惜しくないというような思い、勇気をもって「行ってくるね」、という表情と気持ちで踊るのだということを、あゆちゃんが話してくれました。そういう覚悟で生きなければ、本当じゃないのだ、そしてそうでないぬるい気持ちでは、おそらく自分の摂食障害を克服することもできないのだと思いました。

 また、今回のコンサートを通して、私は、人智を超えた存在、ダークマターやダークエネルギーの存在を、心の底から信じることができたことが、自分の中で大きな変化でした。
 1月に自尊心MTがあり、そこから答えの詰まった脚本で作るコンサートまで、繋がっていたと思います。私は、自分の力の及ばない存在があると思って、一人を慎み、頭を垂れて生きる、という気持ちを、言葉では言えたとしても、ちゃんと自分のものにできていなくて、うまく信じたり捉えたりすることが、正直できていませんでした。

 お父さんが書いて下さった脚本を、みんなと何度も練習をして、通しをして、また作っていく日々の集合などでお父さんのお話を聞かせてもらう中で、答えが自分の中に沁みわたっていくのを感じました。

 

 

 ダークマターが愛そのものだということ。地球も身体もすり抜ける、自分たちを包み込んでいる存在であるダークマターが、愛そのものだということ。ダークマターが心を持つ人間を作り、美しい心を生み出すために、宇宙と地球を作ったということ。ダークマターの意志に沿って優しい気持ちで生きれば、幸せを感じられるということ。ソロモン王のセリフにあるように、幸せはお互いを尊重しあい、足下の幸せをかみしめるように生きることであって、進歩向上や効率を求めることではないということ。愛が時間と空間を超えるということ。

 そして思いました。私には、愛がなかったと。だから苦しかったし、未来が信じられなかったし、時間を超えられるはずもなく、出口が見えなくなっていました。
 自分がここにいるのは、ダークマターが生み出したからだということ。だから私の使命は、愛を生み出すこと。そして、答えにたどり着いたから、それを伝えていくのが使命だということ。

 ダークマターが物理学的に確かにあるということや、宇宙物理学を突き詰めたアインシュタインが言っていることとお父さんお母さんが言っていることが同じだということが、より説得力をもって、自分の中に入ってきました。

 

 

 盛男おじいちゃんが1月25日に亡くなり、その追悼コンサートでもありました。
 おじいちゃんが遺してくれた、サミュエル・ウルマンの『青春』の詩は、ダークマターによって自分が存在し、そしてまた消えていくということを知ったことで、自分のものに近づいていくのを感じました。

「人は信念とともに若く、疑惑とともに老いる。人は理想とともに若く、恐怖とともに老いる。希望ある限り若く、失望とともに、老い朽ちる」

 やよいちゃんが声にして伝えると、お客さんから拍手が起こりました。毎回、この詩は、自分のありかたを問いただされました。私は老いて生きてきたという自覚がありました。
 希望をもった表情で、ステージに出て、お客さんに希望を見せることで、そういう人を演じることで、自分のものにしていける気がしました。

 ソロモン王のシーンや手紙のシーンで、見て下さる方に確実に届いている感触があった、とお父さんやあゆちゃんが言っていました。それだけ答えを求めている方がいるということ、賛同してくれる人がいるということを、話してくださいました。
 席を立つ人はいなくて、感動したり食い入るように見てくださっていました。
 自分たちが、優しい気持ちを伝えて広げていくということ。今は点で、それぞれが点かもしれないけど、それが広がっていき、面になって、世の中を大きく変えることになるのだというお父さんのお話に、希望を感じました。

「自分がここにいたいとかいたくないとか関係なく、何者かがここに自分を存在させている」
 あゆちゃんが、『プロミス・ディス』の出を体育館で練習しているときに言ってくれたことがありました。
 そういう誇りを持って、愛する気持ち、優しい気持ちを生み出すために、生きていく。このコンサートで、そういう決意をすることができました。

 

 

 人生は短い限られた旅で、空しいところから生まれて空しいところに帰っていく。その中で自分ができることは、愛を生み出すこと。そしてそれを伝えていくこと。
 愛とは、お互いを大切に思い、優しい気持ちで、人のために尽くし、日々、身近な人とかけがえのない時を過ごすこと。
 実際の生活で、コンサートの中でもそうでしたが、私は、思いやりや、肯定する気持ち、優しい気持ちが持てていないところが多い自覚があります。足下の幸せは、愛にあるということ。それがすべてだということ。やっていることが多い少ないではなく、役割が大きい小さいではなく、自分がすべきはただ、愛を生み出すこと。自分に足りなくて必要なことを自覚できたコンサートでもありました。

 通し練習や、ゲネプロ、本番は、時間が過ぎるのがあっという間でした。
 ホールでの緊張感のある空気感が心地よいと感じられました。
 あゆちゃんが話してくれた、舞台回しをしている役者のみんなが、自分たちに代わって伝えてくれているのだという意識、みんなで一つのことを伝えるという空気、気持ちが、それぞれにあったし、そうあろうとする気持ちがあったと思います。
 ダンス練習は、1月から、卒業生ののんちゃんが振り入れをしてくれて、作ってきました。正直、私はコンサートへなかなか気持ちが入らなくて、崩れた気持ちで取り組んでしまっていた期間が長かったです。そして様々に迷惑もかけてきてしまいましたが、あゆちゃんやお父さんお母さんはじめ、みんなの中で、引っ張っていってもらい、気持ちを作ってくることができました。
 コンサートを通して、新しい気持ちで、優しい気持ちで、ちゃんと生きていこうと思うことができました。優しい気持ちを広げていく使命を果たしていこうと思うことができました。

・ソロモン王の兵隊

 

 

 兵隊をさせてもらえて嬉しかったです。はじめはどういう人なのかよくわからなくて、ぐずぐずですべてが覚束なかったですが、お父さんに「何を考えている」と聞かれたり、どういう身分で立場で、どういうつもりでいるのか、ということや(王様に失礼があるのが一番よくなくて、たかお達が失礼な真似をしたら容赦しないという気持ちということ、身分が高くて王様に近い立場であることなど)、具体的な正解の位置や動きを教えてもらって、そうすることで、役になることができたし、途中からどんどん楽しくなっていきました。本番は、見て下さる方に対して効果的な動きができているのをダイレクトに感じて遣り甲斐があったし、夕食のときにお母さん、お父さんから「兵隊、綺麗だったよ」「出もよかったし、歩き方もできてたし」とコメントをいただけてよかったです。

 

◆実感としてのダークマター
 毎年、桃の開花が早まっていて、去年は3月の終わり頃には満開になっていたため、コンサートが佳境になる頃は、霜対策のリスクが高まっている時期のはずでした。しかし、毎年毎年、開花が前年を上回って早まってきたにも関わらず、今年は開花が驚くほど遅くて、開花してからも気温的にも霜が降りるような低温になることはなく、霜対策の心配をする必要がありませんでした。
 このことは、まさに、ダークマターを感じる出来事でした。
 なのはながコンサートで宇宙の愛を伝えようとしていることを、ダークマターが応援してくれているのだと感じました。

 

 

 防除や、花粉取りや、人工授粉の作業は、ホール入り期間中でも開花状況をみてやる必要があり、私は主にゆりちゃんと2人で、午前の時間に桃作業を進めて、午後からみんなに合流しました。桃の作業をしていても、天候があまりにもよくて、全部が良いタイミングで終えられなかったとしても、きっといい結果に繋がるし、ダークマター・ダークエネルギーがいいふうにしてくれるだろうと信じられました。

 限られた時間の中での作業で、つい焦ってしまう気持ちや、厳しい言い方になってしまうところがありましたが、ゆりちゃんの穏やかな、優しい気持ちに、ああこれではいけないなと気づかせてもらいました。
 何がどうなっても、それがダークマターの意志なのだと信じられました。
 そして、そういう気持ちで桃に向かっていったらいいし、人生に、目の前のことに、向かっていけばいいのだなと、思いました。
 苦しい頑張りになってしまうとき、何かが間違っていると思えばいい。自分にこだわらずに評価も求めずに、よかれの気持ちで判断して、精一杯でやって、上手くいかなかったら、ダークマターがそれを望んでいると思えばいい。そういうことを信じて、新しい気持ちで生きていける気がしています。
  
 これまでは、みんなから外れることが不安だったりストレスに感じていたけど、そういう気持ちがありませんでした。自由な心でいられる感じがしました。お仕事組さんは、いつもいつもみんなと練習できるわけではないし、共有できるわけではないように、私も自分の役割を果たしながらできるところで、よかれの気持ち、優しい気持ちでいたらいいのだと思いました。

 

 

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