2022年スプリングコンサート 感想文集

「幸せは今、ここにある」 ななほ

 

 

『永遠は一瞬、一瞬は永遠。愛の、世界に……』
 勝央文化ホールのステージで、スプリングコンサートをしたのが夢だったかのように、不思議な気持ちで昨夜は布団に入りました。でも、目が覚めると体育館には舞台背景のパネルや飾りが置かれていたり、卒業生の姿があって、
(ああ、夢じゃなかったんだ。本当にお客さんとの間に、共感や幸せを作ることができたんだ)
 と満たされた気持ちになりました。

 盛男おじいちゃん。私たちのスプリングコンサートはいかがでしたか? ステージに立っている間も、コンサートの練習期間も、ずっと盛男おじいちゃんの存在を近くに感じて、盛男おじいちゃんの温かい笑顔に包まれながら過ごしていました。

 盛男おじいちゃんが話してくれたテニアン島での話、盛男おじいちゃんが、
「僕も、違うかもしれないけれど、摂食障害と病気の怖さが分かるような気がするんだ」
 と言いながら戦争中の水の話をしてくれた時のこと、私がなのはなに来たばかりのころからずっと、盛男おじいちゃんが私の本当のおじいちゃんのように温かく迎えてくれて、信じてくれて、盛男おじいちゃんの存在に勇気をもらっていました。

『永遠は一瞬、一瞬は永遠』。
 盛男おじいちゃんと小麦を育てた時のこと、播種で稲について教えて頂いた時のこと、盛男おじいちゃんの山でシイタケの種付けをした時のこと、キャンプで山を案内してもらった時のこと、門松作りを1から教えて頂いた時のこと、桃の樹の下でおじいちゃんがテニアン島でのことを話してくれたこと……。

 おじいちゃんと過ごした時間はどれも、私の宝物で今もずっと、私の心に鮮明に光を放っています。

「ななほちゃん。僕はね、ななほちゃんが来たばかりの時から、この子は大丈夫だって思っていたんだよ」
 盛男おじいちゃんがなのはなに来て下さる度に、おじいちゃんはそう言って、私の手を強く、強く握りしめてくれました。

 盛男おじいちゃんと山に行って、おじいちゃんが私に質問して、私が答える度に、おじいちゃんは笑って、「ななほちゃん、よく分かったね! 素晴らしいよ」と肩をトンと叩いてくれました。
 いつだって、盛男おじいちゃんは私を大きく受け止めて、未来を信じてくれて、おじいちゃんの大きな手に私の手を包んでもらって、「僕の孫じゃ」と笑ってもらって、それは永遠に私の心に大切に刻まれています。

 スプリングコンサート当日の朝。勝央文化ホールに到着し、客席でお父さんとお母さん、家族全員でエイエイオーとしました。その時、お母さんが、
「お父さんが昨日の夜、原稿を書いてくれてね、お母さんがコンサートの挨拶をしようと思っているんだ」
 と言って読んでくれたお話、そして、当日に新しく追加された幕開け前のやよいちゃんのセリフ。その言葉に涙が出ました。

(ああ、おじいちゃんだ。おじいちゃんが側にいる、おじいちゃんが見守ってくれている)
 そんな気持ちで、スプリングコンサートの旅が始まりました。

 

〈有元盛男おじいちゃん。なのはなファミリーの始まりの場所である山小屋のオーナーであるおじいちゃんは、ずっと、なのはなファミリーを支えて下さいました。いつも、私たちを大きく見守って下さり、たくさんのことを教えていただきました〉

 

■『マディ・ウォーターズ』から『ホーリー・ウォーター』へ

 年が明けてすぐ、スプリングコンサートに向けて準備が始まりました。まずは、身体作りから始まります。今回のコンサートは、2年と4か月ぶりということで、その期間も毎日、畑や桃の作業をしていたものの、フルメニューや柔軟筋トレをするのは久しぶりでした。

 あゆちゃんやのんちゃん、ゆりかちゃんを中心に考えてくれたフルメニューでは、基本的な柔軟や筋トレの他に、フラダンスとモダンダンスの基礎練習やバックストレッチなど、色々なメニューがあり毎日毎日の積み重ねで、ダンスを美しく踊る為に筋肉や柔軟性がついていくのを感じました。

 そして、卒業生ののんちゃんが4曲のダンスの振り入れに来てくれました。一番初めに振り入れをしてもらったのは、コンサートのオープニングで演奏した『マディ・ウォーターズ』です。
 今年は大人数で踊る曲が3曲あったのですが、のんちゃんが振り付けてくれるダンスはどれも、一人ひとりがかけがえのない存在で、みんなが一人ひとり歯車のようで、なのはならしい新しい世界があるようなダンスです。

 最初は、
(この動きがどこで使われて、どうなるんだろう?)
 と思いながら振りを覚えていき、のんちゃんが伝えてくれるフォーメーションにみんながついた瞬間、
(ああ、こういう事だったのか! 前から見たらどんな風に見えるんだろう?)
 とワクワクした気持ちになりました。

 『マディ・ウォーターズ』は一人ひとりが小さな分子になった様に、小刻みに震えたり、砂鉄が磁石に集まるように一斉に同じ方向に手を出したり、見ている人が次の展開を予測できないような面白さや、深みのある振りが特徴的で、踊っていても楽しかったです。また、でんぐり返しをしたり、床にみんなが仰向けになる振りもあり、(こんなこと、してもいいのか!)というくらい、非現実的な世界に踊っている私たちまで引き込まれていくようでした。

 

 

 そして、『マディ・ウォーターズ』の後は、『ホーリー・ウォーター』。
 私はのんちゃんが振り入れをしてくれるまで、『ホーリー・ウォーター』という曲を聴いたことが無かったのですが、1度聞いただけで、とても好きになりました。

 今年もあゆちゃんがコンサートで演奏する曲の和訳をしてくれたのですが、『ホーリー・ウォーター』は私たちにピッタリで、今度は私たちが得た答えをお客さんに伝えるんだよとあゆちゃんが話してくれました。

「どうして崩れることができようか 私の心臓はまだ波打っているというのに 聖なる水よ、どうか私の無念や後悔、悲しみ、痛みを流し去って、溶かし去って」

 『ホーリー・ウォーター』のダンスは卒業生ののんちゃん、しほちゃんに、あけみちゃんが中心となって踊り、その3人を囲むようにしてみんなで踊ります。その中でものんちゃんが、
「この振りは聖なる水を掬い上げたようなイメージで」
 と話してくれた振りがあるのですが、みんなで手を上にあげる度に、パァッとキラキラとした黄金色の光に辺りが照らされて、透明な水までもが黄金色に光り、霧のような雨が降り注いでいるような気持ちになりました。

 お母さんがいつも、「前向きな所にしか答えはないんだよ」と話してくれるように、今度は私たちが誰かを癒す存在になれるように、希望を与えられる人になれるようにという気持ちで、『ホーリー・ウォーター』を踊りました。
 のんちゃんが振り入れをしてくれてからも、あゆちゃんに見てもらいながら大人数で踊るダンスの練習やバディ練習をしていたのですが、そこにコーラスも入るとまた、自分達の曲になっていくようで嬉しかったです。

『ホーリー・ウォーター』はコンサートの前半ラストの曲になったのですが、『マディ・ウォーターズ』(泥水)から、『ホーリー・ウォーター』(聖なる水)へとコンサートの劇も、自分達の心も清らかに浄化されていくようで、この曲を大人数で踊れることに喜びを感じました。

 

■一人ひとりが戦士になって

 私は今年、9曲のダンスを踊らせて頂いたのですが、その中でも特に印象に残っているのが『バード・セット・フリー』と『ディープ・ウォーター』です。

 死んでも魂は永遠になる。
 スプリングコンサートの練習が本格的に始まってきた頃、ロシアのウクライナ侵攻のニュースをお父さんが教えてくれました。その時、お父さんは、
「ウクライナの人は、潔く戦いに行って、死ぬことを恐れていない。死んでも魂は永遠になることを分かっているんだよ」
 と話してくれました。

 ロシアとウクライナの話をお父さんがしてくれる度に、私は自分に、
(私は死ぬことを恐れていないか? 今の時代、どう生きていくべきなのか?)
 と自分に問いました。
 摂食障害になって一度は、死の直前まで追い詰められていた私を、なのはなファミリーが救ってくれました。あの時、お父さんとお母さんに、
「お前はずっと苦しくて、もう限界だったんだよ。安心して、ここで子供になったらいい」
 と言ってもらっていなかったら、私は今頃、存在しているかも分からないし、まだ見ぬ誰かにとって尊い生き方とは、かけ離れた人生になっていたと思います。

 この時代に、この時間に、今も戦っている人がいる。それを思うと、私も心が正されました。そして、偶然にも卒業生ののんちゃんが振り付けてくれた『バード・セット・フリー』は剣を持って戦う振りつけがありました。
 初めてのんちゃんがこの曲のダンスを見せてくれた時、(ジャンヌ・ダルクのようだな)と思い大好きになったのですが、お父さんからウクライナの話を聞かせて頂く度に、『バード・セット・フリー』を踊る気持ちが作られていきました。

「私は飛び立ち、高音を当てに行く 伝えたい思いや 声がある さあ、私が叫び、誓うのを 今夜聞いて あなたは私を縛ろうとするけれど、私は声高らかに、その戦いを受けて立つ」。
 あゆちゃんの和訳を読んだとき、少しの間その場から動けなくなる位、自分に重なって、勇気が湧いてきました。

 あゆちゃんと『バード・セット・フリー』のダンス練習をした時、あゆちゃんが、
「みんなはある意味、戦いをお客さんに見せるんだよ。もう依存には負けない、もう逃げないという戦いを見せるんだよ」
 と真っすぐに目を見て話してくれた事があります。その時から、自分の中で何かが大きく動いたような、目に見えない鎖から解放されたような気持ちになり、なのはなの子になった私は、もう逃げる必要も誤魔化す必要も、自分に嘘をつく必要もなくて、自分の全てをさらけ出して戦うんだと思いました。

 スプリングコンサートのラストに相応しいような表現を。お父さんとお母さんの脚本がより深い所でお客さんに伝わるように、アインシュタインの手紙に書かれている宇宙の愛、世界を癒すエネルギーという愛が伝わりますようにという思いを胸に、ダンスに気持ちを乗せました。

 練習の時も感じたのですが、ホール入りをしてからも日に日に、『バード・セット・フリー』を踊る時にみんなの気持ちが1つになって、一瞬、時が止まったかのように、見ている人に、(あ、伝わった)と思う瞬間があり、この曲を踊ることで自分の気持ちも作られて、より本物になっていくのを感じました。

 

 

 そして『ディープ・ウォーター』は盛男おじいちゃんが残してくれた『青春』の詩をイメージして、あゆちゃんが隊列の動きを考えてくれました。
 盛男おじいちゃんが私にかけてくれた言葉に沿うような生き方をしたい。盛男おじいちゃんが期待してくれたように、盛男おじいちゃんに恥ずかしくないような生き方をしたい。

 あゆちゃんと『ディープ・ウォーター』のコーラス練習をした時、
「1日1日、よく生きていく覚悟をするんだよ。この青春の詩のような生き方を死ぬまで続けるんだよ」
 と話してくれました。そして、そうじゃないと私たちは生きられないということを感じました。

「人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる
 人は自信と共に若く、恐怖(不安)と共に老ゆる
 希望ある限り若く、失望と共に老い、朽ちる」。
 回復できないのではなく、回復する。誰かにしてもらうのを待つのではなく、自分から変わっていく。あゆちゃんは青春の詩の『老い』は私たちにとって、『依存』であり『症状』であることを話してくれました。

 今、なのはなに来て摂食障害の目に見える症状は無くなったけれど、いつもすぐ後ろに、崖があります。逃げようと思えばいくらでも逃げることができるし、過去を見ようと思えばいくらでも過去に逃げて、甘えることができる。それはとても簡単なことで、弱いです。私はそうなりたくないし、いつも依存の穴がすぐそばにあることを思ったうえで、信念や希望を持ち続けたいと願います。

 盛男おじいちゃんが残してくれた『青春』の詩。『ディープ・ウォーター』は、盛男おじいちゃんに、私たちはこの詩にあるような生き方をし続けますと宣言する曲だとあゆちゃんが話してくれて、この曲を歌う度に、涙が出たし、その分、力を貰って自分の心を軌道修正してもらって、盛男おじいちゃんの存在に私は逃げない覚悟をしました。

 

 

 よくお父さんとお母さんが、
「なのはなのみんなはカナリアです。今の時代で真っ先に生きにくさを抱えたカナリアです」
 と話してくれるように、カナリアとしての使命を話していきたいし、良くしか生きられないことを感じます。少しでも自分の欲を持ったり、優しくない選択をしたらその瞬間に、症状が出ます。苦しくなります。心に傷を負った時に同時に自分の中に生まれた時限爆弾は、私が未来に尊く、まだ見ぬ誰かの為に生きている間は静かにしているけれど、過去に逃げたり、依存逃げた瞬間、すぐにカウントダウンが始まります。

 『バード・セット・フリー』と『ディープ・ウォーター』は私にとって、戦いの曲でした。依存を断ち切る、お客さんに戦いを見せる曲です。そして、戦いの先にある希望や新しい世界、切り開いた世界を表現する曲でした。最後の最後までスプリングコンサートに向かう過程で、みんなと気持ちを揃えて踊ったり、本気でコーラスを歌えた時間が嬉しかったし、ウクライナを応援する気持ちでお母さんや衣装部さんが、『バード・セット・フリー』の衣装を青と黄色に考えてくれました。

 そして、真ん中でれいこちゃんがウクライナの国旗を振ります。その姿は今の時代を生きるジャンヌ・ダルクの様だったし、私達自身でもあるんだなと感じ、その位日常生活でもメリハリを持って、一瞬一瞬を勇気を持って強く生きていきたいと思いました。

 

 

・ナナポンとの出会い

 今年のスプリングコンサートのテーマは、『宇宙』でした。1月23日のお母さんのお誕生日会の時点ではまだ、このコンサートがどんな風になるのか想像もできなかったのですが、お誕生日会の次の日、お父さんが、「コンサートの最初のシーンを思いつきました」と言って、剣を持ってくる少女とそれを追ってくる人という話をしてくれました。それから、お父さんとお母さんが脚本書きの旅に行ってしまいます。(旅と言っても、大井が丘のお家と喫茶店、パソコンの中での旅ですが)

 お父さんたちが脚本書きで出られている間も、みんなでコンサートのダンス練習や音楽合宿をして過ごし、その数日後に脚本の読み合わせがありました。
 登場人物は、たちつてとの頭文字が使われていて、やよいちゃん演じるとうこさん、のんちゃん演じるたかおさん、さきちゃん演じるてつおさんに、市谷博士とイーダくん。その時はまだ前半だけだったけれど、たかおとてつおの幼少期のシーンで涙が出たし、
(ああ、この脚本でコンサートができるんだ)
 と思うとワクワクしました。

 それからしばらくして、後半の脚本ができたお話があり、お父さんがリビングに2部、脚本を置いてくれました。その時、私は山小屋便りの編集をしていたので、お父さんが「脚本できたよ!」と言ってくれた時、
「わ~。早く読みたい。編集を早く終わるように頑張ります!」
 と言ったのですが、そうしたらすぐにお父さんが、
「え、今みんなが畑に行っている間に読んじゃったら?」
 と言ってくれて、その返事が予想外だったのですが、えみちゃん達と大笑いしながら脚本を読みました。

 すると、配役で、『異次元から来た人 ナナポン ななほ』と書かれていてそのまま読み進めていくと、セリフには無いけれどト書きに、
「研究室には博士と助手、そして最近から飼い始めた雑種犬ナナポン」
 と書かれていたり、
「博士と一緒に剣を見ている犬。その正体はナナポンだ」
 と出ていたりして、
(ん? 私は犬? それとも、異次元から来た人?)
 と思い、読んでいても面白かったです。

 そして、最後までセリフがない。これが私の最初のナナポンとの出会いでした。

 

 

「お父さん、私は犬ですか? それとも、人ですか?」
 お父さんにそう聞くと、
「ななほは異次元から剣を持ってきた人で、犬の振りをしながら研究室で博士たちの様子を見守っているんだよ」
 と話してくれて、それから演劇練習が始まりました。

「ななほちゃ~ん。衣装が届いたよ~」
 夜、アコーステックギター教室をしているとあゆちゃんが走ってきて、「ほら、ナナポンの衣装!」と見せてくれたのは、私が想像していた何倍も宇宙的で、カラフルで、発色が良くて、「こんなにかわいい衣装を着てもいいの?」と思いました。

 

・小さな家族

 演劇練習が始まってからは、毎日、朝の7時15分から8時半までと、夜も9時から時には消灯すぎまで演劇メンバーのみんなとシーンを作っていきました。マダガスカルのシーンなど本番はカットしたシーンやセリフもあるのですが、それらも作っていく時間がとても楽しかったです。

 私はコンサートでセリフを言うのも、主要役者として出るのも初めてで緊張していたのですが、今まで何度も役者をしたことがある、なおちゃんや、やよいちゃんの姿を見ながら、
(このセリフは正面を向いたら引き立つんだな)
(ここはフリーズ)
(ここは上手にはける)
 など見たり、真似をしながら分かってきて、その時間が嬉しかったです。

 演劇練習をしていく間に、その役者の性格もその人自身も新しい一面を知ったり、どんどん好きになっていきました。博士の口癖の、「君は勘がいい」も日常生活でもお互いに言ったり、たかおさんはお父さんの演技指導でどんどん面白く、ユーモア満載になっていきました。

 たかおさんを演じるのんちゃんは、とても真面目で一生懸命なのですが、そんなのんちゃんがあれだけの面白い役を演じている姿に私も力を貰ったし、私がなのはなに来たばかりの時ののんちゃんと、最近ののんちゃんと、NHF紅白歌合戦でののんちゃんと、たかおさんを演じるのんちゃんではまるで違う人に感じるくらい、とても魅力的で、そんなのんちゃんと一緒に演劇練習ができた時間も嬉しかったです。

 コンサートではいくつもの係があったのですが、その一つひとつの係が小さな家族の集まりのようでした。毎朝、起きてすぐに演劇メンバーのみんなと顔を合わせて、なおちゃんが仕事に出るのを見送りをして、日中は桃畑や山小屋便りの編集。そして夜はダンス練習や演劇練習。演劇メンバーのみんなと思った事は素直に言い合って、お互いに許し合って、笑い合って、対等に正直に話したり、真っすぐに向き合いながら演劇を作っていく時間は、私の心を耕してくれて、強くしてくれました。

 

 

 演劇練習以外でも、毎晩の『キュア・フォー・ミー』と『アップ・タウン・ファンク』のダンス練習では、メンバーみんなと集まって細かく振りを揃えたり、何度も笑いながら練習した時間が楽しかったです。夜の消灯5分前まで『アップ・タウン・ファンク』を踊ると眠気も吹き飛んでしまうことも多々あったのですが、それでも、まえちゃんやのんちゃん、あけみちゃんが振り付けてくれたこのダンスは、とても明るくて前向きで、踊っていても、ついつい笑顔になってしまいます。

「ここは『自分にサンシャイン』だよ」
「ナナポンが出てくるところは、楽しそうだからつい出てきちゃったという感じでね」
 とまえちゃんが話してくれると、どんなに疲れていても、気持ちが揺れていても、すぐに前向きになって、こんな風に仲間の存在があるからいつも笑顔でいられて、みんなに引っ張ってもらいながら今があるんだなと常に感じて、本当になのはなでいられること、仲間に出会えたことが嬉しいなと感じました。

 小さな家族。朝の時間もみんなで協力してグッズ作りや企画のラッピングを進めたり、夜の時間に手が空いたら舞台美術の方を手伝いに行ったり、台所チームのみんなはいつも楽しそうに料理を作って、みんなの通し練習の時には苗の水やりをしてくれていて、各係の小さな家族も他の家族と協力して係を進めて行ったり、いつもお互いさまで、対等で、良かれの気持ちで向き合える仲間がいることが幸せだなと思います。

 

・目の前にある幸せ

 私は今年も照明とビデオ・カメラの係を担当させて頂いたのですが、かにちゃん達とホール入り期間、照明の仕込みができて嬉しかったです。ホールの竹内さんやスタッフの方と照明の仕込みをしたり、カラーフィルターの準備やシュートをしたり、ホールに居るだけでワクワクした気持ちが続き、ずっとここにいたいなと思うくらい、楽しかったです。

 竹内さんと一緒に何かをしたり、話させて頂くと、竹内さんが本当になのはなの事を好きで居て下さり、信頼してくださっているのを強く感じて、今まで卒業生が見せて来てくれたなのはなファミリーの空気や、竹内さんが好きで居て下さるようななのはなの空気を私もずっと繋げていきたい、より進化させていきたいと思いました。

 ホール入り期間は大詰めと言っていいくらい、舞台背景なども急ピッチで進んで行ったのですが手が足りていない所に各自で回り、お昼休憩では何度も近くの河原へ行きみんなで桜の木の下でご飯を食べて、そんな風に、日々の幸せを感じながらみんなとコンサートを作り上げていく事に喜びを感じました。

 

 

 お父さんが今回の脚本の中で書いてくださっているソロモン王のシーンで、『コへレトの書』が出てくるのですが、お父さんの脚本で、
「親しい人と、食べること、飲む事を楽しみ、会話を楽しむ。そこには自ずと穏やかな心、優しい心、利他心が生まれ、その優しさが次々に広がっていく」
 と書いてあります。

 スプリングコンサートの練習の時から、この、ソロモン王の言葉に何度もハッとさせられて、気が付けばその言葉がすんなりと自分の中に入っていくのを感じました。

 将来の100を夢見て自分を犠牲にして働き、家族をも犠牲にする。しまいには、いつ手が届くか分からないものの為に、子供にまで目の前の幸せを先送りにしろと要求するようになる。今の時代は、誰もが幸せの青い鳥探しをするように、小さい頃から子供を習い事づけにして、
(これができたら幸せになれる)
(良い会社に入ったら、良い大学に入ったら幸せになれる)
 と思いこまされて、実際に私の周りにも、今の幸せを大切にしている人がいたんだろうかと疑問に思います。

 そして、今までそれが幸せだと思っていた自分、気が付いたら今を犠牲にして働き、いつかの幸せを求めて我慢してきた自分に気が付きました。でも、そこには幸せはないし、誰のことも幸せにすることができない。ソロモン王のセリフに、
「人は幸せな心でいたら、導かれるようにモラルを高めていける」
 という言葉に救われたような気持ちになりました。

 目の前の幸せをかみしめるように味わい、お父さんとお母さんが教えて下さるように、幸せのその日暮らしをして、人と人との間にある幸せを感じること。本当はそれだけで良くて、そうやって自分もずっと楽しく幸せに生きていたならば、自然と周りの人も幸せになり、お互いにモラルを高めていける、優しい心、利他心の気持ちでお互いさまで生きていけるのだと分かり、このシーンに答えをもらいました。

 今回、コンサートに向かう中で、自分がダンスに向かう時の気持ちの変化を大きく感じました。
 私は、コンサートに出るのは初めてではないのですが、今年は練習の時から表現することに喜びを感じて、自分がどこまででも動けるような、飛んでいけるような、体力も気力も果てしないくらいに続くような力強い気持ちがありました。

 正直、今までのコンサートは自分に甘くて、気持ちにも身体にも粘りがなく、練習期間もずっと逃げ出したいような気持ちと、そうしてはいけないという気持ちが戦っていて、ダンスもコーラスも、心の底から楽しんだり表現することができていなかったと感じます。

 本番をイメージして、練習をすること。それを分かっているつもりでも、気持ちが続かなくて、浅い所で満足していた自分がいました。でも、今年は今まで感じたことのないような深い楽しさや喜びを感じて、それが私にとって、大きな希望にも繋がりました。こんな風に楽しんだり、気持ちを使ったらいいのかと思ったと同時に、きっと、お父さんとお母さん、あゆちゃん達が見ている世界はもっともっと、深くて、楽しくて色とりどりで、私もその世界を見てみたいと強く思いました。

 前回のコンサートも楽しんでいなかったわけではないし、その時のベストは尽くしてできる限りのことはやり尽くしたという達成感や喜び、660人の前で表現をする事の大切さを感じたけれど、その時をまた、超えられるような気持ちで本番をイメージした練習ができました。

 卒業生ののんちゃんや、りかちゃんも、お仕事で忙しい中、なのはなに帰って来てくれて、ダンスの振り入れをしてくれました。卒業生が自立して働いている姿、笑顔でなのはなに帰って来てくれる姿を見ていると、自分も回復できないなんて言ってられないなと思うくらい、すごく希望を感じて、私もちゃんと自立できるようになりたい、よく生きたいと強く思いました。

 

 

 あゆちゃんとのコーラスやダンス練習で感じた、周りの人との一体感。それも、改めて感じて涙が出ました。全体の中に埋もれることが美しいという言葉があるように、自分の声も誰の声も聞こえない、ただ一本の音の筋が真っすぐに伸びていくような感覚は、自分の身体が宙に浮いて、光になっていくような不思議な気持ちを私に教えてくれて、それを感じてから、何が美しい形なのか、揃っているということなのかが少しずつ分かるようになってきました。

 コンサートを終えた今、私はソロモン王のシーンに出会って、生きる喜びを真っすぐに受け取ることができるようになったのだなと思いました。なのはなに来るまでずっと、いつかの幸せを求めて頑張って、薄々、いつまで経ってもゴールがないと分かっていても、ゴールがあると信じて今を犠牲にしてまで生きてきました。

 コンサートの練習が始まった頃、どうしてこんなにも楽しいんだろうと思った時、私は今までコンサートも本番に重きを置いてしまっていたことに気が付きました。間違った頑張り方をしてきて、練習の為の練習になっていたことに気が付きました。でも、それが分かった時からものすごく心が軽くなって、効率を求める必要がない、今を精いっぱい真正面から楽しんだらいいんだと分かり、分かった瞬間から、変わっていく自分がいました。

 お父さんとお母さんは、このコンサートに向かう過程が、回復する過程と同じようなもので、プロセスが大切だということを話してくれます。あるべき姿、あるべき形は1つしかない。そのたった1つの答えを、美しいものを求めて、目指してみんなと練習したり、気持ちを揃えていく過程はこの上ないくらい、喜びを感じます。

 自分だけが気づくのではなく、みんなで気づいて成長する。揃えていく。
 ダンス練習やバディ練習をする度にその事を感じて、本当になのはなのみんなは誰もが一生懸命で、よくありたいと願っていて、そんな仲間とコンサートを作っていけることに喜びを感じたし、みんなで手を繋いでゴロンと良くなるんだと実感しました。

 

 

 私たちがコンサートに向かう中、台所チームさんはものすごく楽しそうに料理をしていて、サプライズで天津飯やチャーハン、エビチリが出たり、りゅうさんを中心にスペシャルメニューが続きました。台所チームのみんなの話を聞いているだけで、パッと気持ちが明るくなるのは、台所チームが心から今を楽しんで、好きな気持ちでみんなの為に美味しい料理を届けようと思ってくれているからなのを感じ、思いは時空を超えられるのを感じました。

 ホール入り期間中もゲネプロの日まで、私たちは朝の時間にホウレンソウや小松菜、苗の水やりをしていたのですが、日中には台所の方々がハウスの苗の水やりをしてくれていたと聞き、とてもありがたかったです。本当になのはなはいつもお互いさまで、協力し合っていて、私もその中の1人としてよくありたいと心が正されました。

 また、忙しい中で大竹さんがなのはなに帰って来て下さり、舞台背景の制作や小道具作り、時には一緒にナナポンハウスの補強をしてくれました。大竹さんと1時間くらいの時間だったけれど、ナナポンハウスの補強をした時間は私にとって、とても宝物のような時間になりました。

 大竹さんが、
「僕は普段、彫刻の仕事をしているけれど、なのはなは何を任されるか分からないから、色々な商売道具を持ってきたんだ」
 と笑ってくれたり、大竹さんの見せて下さる技はどれも画期的で、(こんな風にしたらいいのか)と思う物ばかりで、いつも優しく朗らかに、何でも快く手伝って下さる大竹さんの姿に、私も背筋が正されて、今が幸せだなと思いました。

・脚本の答え

 コンサートが終わった今、今までに味わった事のないくらい、気持ちがスッキリして未来に希望を感じます。本番当日は小さな失敗をしたり、ピンマイクのハプニングなどもあったのですが、それもあっての本番で、よりそのシーンも役者の事も好きになりました。

 お父さんが、
「リーゼルはみんなです。おさらば3人組も、博士もみんなです」
 と話して下さったように、この脚本で私も小さな旅をして、たくさん答えをもらいました。

 私たちは何の為に生まれて、何のために存在しているのか。

 摂食障害になった時、最初に思った疑問がそれでした。でも、その答えが全てこの脚本に書かれていて、私はまだ見ぬ誰かの為なら、生きていきたいと思えるし、生きていて良かった、生まれてきて良かった、答えを求めていて良かったと思えました。たかおとてつおの幼少期のシーンは、私たちの幼少期でした。今まで当たり前だと思ってきたけれど、当たり前じゃなかった。小さく小さくお互いに傷つけあって、対等に家族として仲間として認め合うこともなければ、会話もできないくらいに、道を見失っていました。

 アインシュタインの言葉に、ソロモン王の言葉に、博士の言葉に、そしてアインシュタインがリーゼルにあてた手紙に答えをもらい、お父さんとお母さんの脚本で救われた自分がいます。こう思ったらよかったのかと、もう過去を見る必要がないことも分かったし、幸せは今、ここにあることが分かりました。

 コンサートの本番、お客さんに伝えたい、この脚本の答えをつたえたいという気持ちで演技をして、ダンスをして、全力でコーラスを歌いました。私1人ではなく、なのはなのみんなが一人ひとり、気持ちを乗せて心で表現しました。戦いを表現しました。

 

 

 とうこさん演じるやよいちゃんがサミュエル・ウルマンの『青春』の詩を読んでいた時、お客さんの方から「そうだ!」という声が聞こえ、読み終えた後、大きな大きな拍手が会場を包みました。その時、涙が出る位嬉しかったです。伝わったと思いました。自分1人ではできないと思うことも、みんなとだったらできます。

「3人集まったら地域を動かせる、5人集まったら世界を動かせる」
 というお父さんとお母さんの言葉が私は大好きで、ものすごく希望を感じたのですが、今回のコンサートを通して、本当に私たちなら世界を変えられる、優しい世界を作っていける、愛のある世界を作るんだと思いました。

 1曲1曲、踊った後、歌った後にものすごい拍手が帰ってきました。ソロモン王のシーンでは、お客さんが集中してセリフの一言一句を聞き逃さないぞという気持ちで聞いているのを感じました。私たちだけじゃなくて、今の時代は、生きる答えを求めている人がたくさんいるのを感じます。私たちは常に発信者であり続けなければいけない、受け取る側ではなく伝える側として、今の時代の先頭に立って、発信していく責任があるのを感じました。

 誰もが『青春』の詩のように生きたのならば、誰もがソロモン王のセリフにあるように生きたのならば、誰もが手紙に書かれてあるお互いの存在を、日に、大切に思いながら生きて行ったのならば、確実に世界は優しいほうへ、愛のあるほうへと変わっていくと思います。

 今度は私たちがリーゼルにかわって、愛で世界を救う。これ以上、生きにくさを抱えた人が出ないように、子供も大人も苦しくならない、良かれの気持ちで優しい心で生きていけるように、私はなのはなの子としてなのはなの気持ちを広げていきます。

 

・近くにいても、遠くにいても

 今年はたくさんの卒業生がなのはなに帰って来てくれて、本番までの間もコンサート当日も、古吉野なのはなや勝央文化ホールがとても賑やかでした。ホール入り期間中、夜遅くに帰る日も多かったのですが、古吉野の玄関を開けると、卒業生が賑やかに廊下を走っていたり、家庭科室では卒業生たちがお米研ぎやお弁当準備をしていたり、本番のロビーも卒業生の姿で溢れていて、とても嬉しい気持ちになりました。

 本当に誰が卒業生で、誰が入居者で、誰がスタッフさんなのか分からないくらい、みんなの笑顔がキラキラとしているのを見ると、私も力が湧いてきたし、こんな風になのはなを心の故郷として帰って来れるのは幸せだなと思いました。近くにいても遠くにいても、卒業生の心はいつもなのはなの気持ちで、こんなにもたくさんの仲間がいると思うと嬉しかったです。

 また、毎年のようにコンサートにカメラマンの中嶌さんや岡さんが帰って来て下さったり、正田さんや、奈義の岡本さんやまちこちゃんの旦那さんの忠政さんもカメラマンをして下さりました。アメリカのシアトルから遥々日本に帰って来てくれたえりさちゃんも、『グレイテスト』のダンスに出てくれました。コンサート当日は緊張もしていたのですが、それよりも、たくさんの人に支えられて、このコンサートを迎えられるという喜びで胸がいっぱいになり、無事にスプリングコンサート大成功が嬉しかったです。

 この気持ち、今回のコンサートで感じたことが永遠になるよう、私も日々の生活に繋げていきたいし、私はいつでも1人じゃないことを感じました。

 盛男おじいちゃん、今年のコンサートはいかがでしたか? 盛男おじいちゃんが残してくれた『青春』の詩にあるような生き方をこれからもずっとしていきます。

 

 

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