
「この物語は、みんなの物語です」
午前10時頃、ホール下手側の客席に全員で集合したとき、お父さんが話してくださいました。
死のうとは思わないけど、もう人間をやめたい。このまま、この世界で大人になって生きていける気がしなくて、いつか自分は不幸な死に方をする。それは今か今かと、いつも誰かに殺されるような恐怖が片時も離れることはなくて、いつも怖かった。
生きて行くのが、とても怖い。自分がちゃんと生きられるとも、思えない。
私は、医者として活躍したい、という希望があります――。
主人公3人の気持ちは、わたしの気持ちそのものでした。
生きづらさはとても言葉にすることが難しくて、誰にも理解されることがありませんでした。この広い世界の中で、自分でもわけのわからない、取り返しのつかない爆弾級の傷を負いながら生きて行くことに無念さ、苦しさを感じながら生きてきて、自分のエネルギーをどこに向けて走っていけばよいか、わかりませんでした。
その生きづらさは、わたしだけのものではなく、主人公たちと、今ここにいる仲間と共感するために持ったもの、ということを、なのはなに来て知りました。
今は、同じ苦しみを味わってきた、理解し合う仲間に出会いました。
どう生きて行ったらいいか、何のために生きて、死んでいくのか、その答えをお父さん、お母さんが教えてくださり、今回の脚本の中にも示してくださいました。
そんな世界でなら、生きていきたいと思う。いや、その世界を創っていくのは自分たちだ。もうこれ以上同じ生きづらさを感じる人が増えないために、何かできることをして生きていきたい。死ぬような恐怖を味わって、それがどんなに冷たく、心を動かなくさせるのか。それを知ったからには、このような痛みを誰にも感じて欲しくない、と思います。だからみんなが安心して生きていける、優しい世の中にしていくために、治りたい。
本当にそれはできることで、自分たちが作っていく道。未来。夢なんかじゃない。
仲間と一緒に、舞台を繋いで走り続けたコンサート。チームプレイで、お互いの気持ちを感じました。みんなでひとつの生き物になって、呼吸しているみたいに舞台の流れを作りました。私もそのひとつのパーツとして、みんなとコンサートをさせてもらえて、ありがたくて嬉しかったです。
○第一の難関
シーン1への早着替えでした。
『ボヘミアン・ラプソディ』が終わった後、今までひろちゃんが一人で学生の衣装とピンマイクを準備してくださっていたのですが、ひろちゃんがお仕事でいないときには、早くはけるまちちゃん、みつきちゃんが早着替えを助けてくれました。それで本番では、3人がかりで早着替えを助けてくれました。たすきを外して、ピンマイクをつけておいたコートを着て、鞄と教科書を持つという流れだったのですが、それに使える時間は何秒だったでしょうか。1秒、2秒でも無駄にしてしまうと、間に合いませんでした。ひろちゃんがいつもコートを広げてスタンバイしてくれていて、まちちゃんは走り込んでくるわたしの襷を素早く外してくれて、みつきちゃんはコートのボタンをしめてくれた後はいつも、「いってらっしゃい」と背中を押してくれました。ひとりでは、本当に不可能でした。10秒無いくらいの秒単位の闘いでも、3人がいたら大丈夫だ、と思えました。助けてもらって、落ち着いた気持ちで舞台に出ることができました。3人のやる気、暖かさに支えられていました。
今回初めて役者をさせていただきました。主人公じゅり、ちのと同じ医学部の友達の役でした。私の演劇の経験は小学校止まりで、はじめの頃は特に、知識も経験も無いわたしの演技は、お父さんお母さんの頭を悩ませるものでした。
ただ自分の担当の台詞を読むだけで、主人公とどういう関係なのか、この場面はいつ、どこで、どんな状況が前後にあるのか。そのことを考える必要がある。そうじゃないと言葉にも演技にもリアリティが無くて、嘘くさくなってしまう、とあゆちゃんが教えてくれました。
人の台詞を聞いているとき、どんなことを思っているのか。この人はどういう人なのか。また全体を見たときに、この役はどんな効果をもたらしていて、何を引き立てる役なのか、ということ。ゆうはちゃんと話し合って、細かく詰めていきました。言葉が聞き取りにくいときは、中庭で台詞を練習しました。そうしていくうちにだんだんと演じやすくなり、学生として最初と最後のシーンを演じることに楽しさも感じるようになりました。違うときは全力で違うことをお父さんが教えてくださり、はじめは驚きました。そんなに全力で誰かがぶつかってくるような、真正面から向き合ってもらったことは初めてでした。お父さんのアーティストモードには、よくしたい、こうでなくてはいけないという理想があるのだなと感じました。本当に高いレベルで芸術を作ろうと思うとき、そのくらい感性を尖らせて向かっていく厳しさが必要なのだと感じました。
○猫
ねこになる、ということ。このことを理解するには少々時間が掛かりました。
ある日の集合で、ねこについての質問が立て続けに読まれました。その中で、あゆちゃんが、
「ねことしてのあり方は、ひとによって違うんだよ」
ということを教えてくれました。
じゅりちゃんはもともと一生懸命な人で、いつも誰かの役に立たなくてはと焦っていたけれど、猫になることでその焦りから解放された。決してそれは怠けるとか、手を抜くという意味では無い。
人間が気にして苦しくなる雑味、地位や競争心、他人の目、世間体……人間界で通用する暗黙の了解みたいなものは、猫には通用しない。猫はそんなものは持っちゃいない。猫になることで、自分を縛るものから解放されるのだなと思いました。
ありのままを許し合い、理解し合うこと。誰かに強制したり、誰かに期待、見返りを求めない。だから自分にも期待しないで、と公言できる。必要以上に自分を良く見せようと気張る必要も無く、あなたの存在が尊いことなんだよ、ということを知りました。
そしてわたしの場合、働き者のねこにならなくてはいけないです。
気持ちだけ前のめりではなく、行動でもそれを示す。しっかり動いて、見返り、評価を求めない。善意でよく動く、ねこになります。
○人が生きている理由
人は、魂磨きをするために生まれてきた。魂磨きは死んでも天国と地獄で続いていく。場所は違っても、魂を磨いていくという本質は普遍的な物である。ということを学びました。人生にも、人格にも、ゴールがあるように思って今まで生きてきたけれど、そんなものは全くの嘘だったんだなと思いました。今まで見えないゴールを追い求めて必死に競争してきて、それはまずあり得ないものだったのだから、どんなに藻掻いても届くはずがなくて、それが苦しかったのだなと思います。
魂磨きのために生きているなら、自分を守る生き方は正しくない。時間や物を消費する生き方も正しくない。そう思うと、自らの安全や保証を図りながら生きて行く人生は、生きるに値しないものだと感じました。
自分の歪み、怖さと真正面から対峙するのは苦しいかもしれないけれど、それを流してごまかしながら生きていくほうがもっと苦しい。
お父さんがそう話してくださいました。
喜、楽を求めることが良いとは限らない。人は安心するために生きているわけでも無い。毎日が修行で、毎日が魂磨き。何か大層なことをするのではなく、日々の小さな選択が魂磨き。朝ちゃんと起床時刻に起きるとか、トイレのスリッパを揃えるとか、寒がらない、暑がらないとか。魂を磨こうと思えば、いくらでもできる、そこらじゅうに転がっているのだなと思います。
○理解する=愛
kin=理解する=愛しているということ。お互いに理解するからお互い好きになる。それはまさに、なのはなでお父さん、お母さんに理解してもらって感じた、温かい気持ちだと思いました。わたしはなのはなに来たばかりで、まだお父さんお母さんのことを何も知らなくても、お父さんお母さんはわたしのことをわたし以上に理解してくださっていて、わたしがわからないこと、感じていることを共感してくださり、解き明かしてくださいました。それが本当に、愛する、ということなのだと知りました。お互いに好きでも、お互いのやっていることに無頓着だったり、共感できていなかったら本当に愛していることにはならない。気持ちを理解してもらえる、ということがどんなに嬉しいことか、なのはなに来て初めて知りました。それこそまさに、愛じゃないか。手相見妖怪さんの台詞が胸に広がります。
○幸せは未来ではなく、過去に向かって言う言葉
幸せをもっともっと、先に追い求めて、目の前の幸せを感じることができない。白人たちと同じように、わたしも幸せを未来に願ったり、求めていた、ということに気づきました。ここに行けば幸せになれる。このブランドの物を持っていたら幸せになれる。この人のことを推しにして熱中していたら幸せになれる。きっとこういう生活をしたら、幸せな大人になれる。幸せはいつか誰かがもってきてくれるものだと、夢に描かれるのを待っていた。ところが、欲しい物を買っても、行きたかった場所に行っても、熱中してお金をつぎ込んでも、いつも満たされなかった。空虚で、願っていたはずなのに落ち着かなかった。
そういう空っぽな気持ちを感じているのは、わたしだけでは無い気がします。実際に、わたしはそうやって間違った幸せを求めてきました。
なのはなに来てからは、毎日が幸せに満ちています。誰かと話した他愛も無い会話や、みんなでいただくおいしい食事、手入れした作物の成長を感じるとき、ゲストの方がたがなのはなに帰ってきてくださるとき、幸せを感じます。理解し合う日々の積み重ねが、幸せになる、ということ。なのはなでみんなと共感して、お互いを理解して、お互いを許し合う、高めあう関係を築いていく、今の連続が、幸せだなと感じます。
○ミラクル
QUEENの『The Miracle』という曲が、わたしは本当に大好きです。
「That time will come one day you’ll see
When we can all be friends」
いつかその時は必ず来る。君はそれを目にするんだ。僕らみんなが友達になれる、そのときを。
あゆちゃんが和訳してくれた歌詞には、こう書かれています。人々が歴史の中で残してきた偉業、数ある奇跡を曲の中に並べながら、その中でも私たちにとって最も必要な奇跡は戦争の終結。そのときは必ず訪れる。
確信を持った、純粋な楽観がそこにはあるのだと、あゆちゃんが教えてくださいました。そんな明るくも力強い歌詞が、わたしは大好きです。
ダンスはあまり経験がありませんでしたが、みんなの中で踊らせてもらえて、すごく嬉しかったです。
○ゴージャス
あゆちゃんが、『オペラ座の怪人』が始まる前に、ゴージャスな音にして、と言ってくれました。高級感のある、オペラ座の煌びやかな装飾を彷彿させるような、音。それをイメージしたら、本当にゴージャスな音になったと、あゆちゃんが教えてくれました。
みんな自身も、ゴージャスな人になったらいいと思う。とあゆちゃんが言っていました。日本語のカタカナのゴージャスの意味は、英語の意味と違うのだそう。英語のゴージャスは、人に対して言っていて、たとえば、彼女はゴージャスだ、というのは懐が深くて、利他心があって、華のある人のこと。それはまさに、あゆちゃんみたいな人のことだな、と感じました。私もそんな人になりたいと思いました。
○引いたカード
今の状況がどうか、ではなく、ただ引いたカードの通り、向かって行くだけ。さあいくぞ! という覚悟を胸に、やるだけ。
あゆちゃんが『ボーン・フォー・ディス』のダンス練習をしているとき、そう教えてくれました。こうなりたい、という理想はあったけれど、果たしてその通りにできるかどうか……。今の自分は○○だから、と今を悲観しがちでした。そうではなく、そんなジャッジはいらないのだと知りました。わたしには医師としてなのはなのソーシャルフィールドを作るという目標があります。そう書かれたカードを引いてきた、とそう信じています。だからそこに向かって行きます。前向きは強気。お母さんがそうだと、お父さんが仰っていました。わたしも地獄卒業生のように、前向きに、強気に役割を果たして生きて行きたいです。
○音楽は人と人との間に生まれるということ
緞帳の向こう側に、たくさんのお客さんが、わたしたちの姿を見てくださっていました。わたしたちが表現して、お客さんが拍手や空気感で応援してくださっていることを感じました。お客さんと、わたしたちと、照明係の方がたや音響のお父さん……全員で舞台を繋いでいる感覚がありました。みんなでひとつの生き物になって呼吸しているような、そんな一体感。姿は見えなくても、お互いの気持ちを感じ取っていたような気がしました。暗転の後、舞台に出てからゆっくりとフェードインする明かりにじりじりと焼き付けられているような空気感を感じ、全員で舞台を動かしているようでした。
○みんなの力
ラストシーンにスタンバイするとき、『Love of my life』の曲中でいつもなおちゃんからピンマイクを受け渡してもらっていました。手相見妖怪さんが、主人公3人と旅をしてきて、えんま様に、阿弥陀様に出会い、チェロキーに出会い、そして200年後の未来へ行き、わたしたちがやるべきこと、kin NHFを作っていくことを確かめて、そろそろ帰ろうか、と言った後の場面です。
なおちゃんが手相見妖怪の姿でモフを持ちながら舞台袖に来て、お互いに頷き合ってピンマイクをもらいました。それを手にしていると、そのピンマイクは本当にいろんなところを旅をしてきたように感じました。なおちゃんからバトンを渡してもらったような気がして、背中を押してもらったようで勇気と元気をもらいました。
それだけではありません。本番中は、今までは為し得なかった奇跡のような瞬間が何度も訪れました。今まで何回も通し練習をしてきて、今までで一番良いと思えました。ボヘミアンのフォーメーション移動が今までで一番うまくいった。体幹がぶれずに回ることができた。ミラクルのサビでは番号ぴったりに背骨を合わせて踊ることができた。自分の力ではない、みんなの気持ちの力に支えられて立っているような感覚でした。ふらふらと倒れてしまいそうなときでも、本番はぐっと留まることができました。みんな一人ひとりの気持ちがぐっと集まって、お互いを守り合っていたように感じました。その雑味のない整然とした空気感、みんなの気持ちの力が、いろいろなところで助けてくれたのだと思います。気持ち次第でしもやけも腹痛も生じるみたいに、気持ちの力は強いのだと感じました。その力がプラスのほうに働けば、みんなとひとつになってお客さんの心を動かすパフォーマンスができるのだなと思いました。個人プレーではなく、みんなで手を繋いで走り続けたステージだからこそ、一体感と迫力を呼ぶことができたのだと思います。
そんなひとりひとりのことが大好きで、深いところで繋がっている家族だと思います。
永遠になる一瞬をみんなと積み重ねながら、その一瞬一瞬を味わい、みんなと作り上げたコンサート。その中にいさせてもらえて、幸せでした。その脚本を、その世界を本物にしていくのは自分たちです。脚本の中にお父さん、お母さんが示してくださり感じた、理解し理解されることの暖かさ、わたしたちが求める、誰もが優しい気持ちで生きられる理想の世界。それを今度はわたしたちが伝える人になって、広げていきます。自分たちが助かった道を広げていくのは、これから先の誰かが助かる道になる、ということ。「kin NHF」を作る一人として、毎日魂を磨いていきます。
【ウィンターコンサート2025 感想文集】
❖「“ゆめの”を演じて」 ゆうな
❖「初めての舞台、伝える側になれた喜び」 ここの
❖「良い生き方を求めることに誇りをもって」 ゆうは
❖「永遠になる一瞬をみんなと積み重ねながら」ほのか
❖「閻魔大王として舞台に立って」みゆ
❖「人間にはネコ的な要素が必要だということ」ななほ
❖「生きていく道標」まなか
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