2025年ウィンターコンサート
感想文集

 

「良い生き方を求めることに誇りをもって」 ゆうは

 

 

 「KIN NHF」の始まりの日。
 これは現実? それとも幻想?
 非日常的で一瞬だったけれど永遠に残る幻のような最高の時間でした。

 

 初めて参加させていただくコンサート。
 素人にはできない、プロにもできない。なのはなだからこそできるコンサート。
「上手なステージなんて求めていない。所詮は素人。プロには及ばない。
 けれどプロより感動するステージを私たちなら作ることができる」
 そう話してくださったお父さんの言葉に、とても勇気をもらいました。
 そんなコンサートを作る一員になることができて、すごく嬉しかったです。
 他では決して得ることのできない、これからの人生観が大きく変わる貴重な体験となりました。

 

 8月の終わりから楽器練習が始まり、9月6日に音楽合宿第1弾、そして計15回の合宿(集中練習日)、1週間のホール入り期間を経て迎えた当日。
 約3か月、コンサートという大きな目標に向かってみんなで全力で走り抜けてきました。
 何かにこんなに本気で取り組んだのは、今までの人生で初めての経験だったのではないかと思います。
「本気を出すのは格好悪い」そんな現代の風潮に流され、なんとなく生きてきた。
 心の底では本気でやりたいと叫びつつも、それができずにいつしか本気を見失っていた私に、なのはなのお父さんお母さん、みんなが言葉と姿で本気でやる意味、楽しさを伝えてくれました。
 どこまでも緻密に正解を求めて本気で生きる人生。
 それを知れたおかげで、これまでとは比べ物にならないほど良い人生に変えていけると思いました。
 その過程でもちろん苦しいこともたくさんありました。
 自分では気が付かなかった、見て見ぬふりをして逃げてきた自分の弱さに直面することが何度もありました。
 でもそれは、自分がこれまで生きてきた中での甘えからくるもの。
 コンサートを通じて、自分の甘えを自覚し、あたたかい家族と手を取り合いながら頑張れた時間が宝物となりました。

 

 

〇Bohemian Rhapsody
 
 幕が開け、1曲目。
 緞帳が上がっていく瞬間の緊張感、目の前の視界が開けていく感覚、今も鮮明に思い浮かべることができます。
 たくさんの想いが詰まっている曲で、1曲目から涙が出そうでした。
 幕開けの曲なので、「ウィンターコンサート、楽しんでください!」とお客さんに伝えるんだ、とお父さんから教えていただきました。
 その思いに加え、あゆちゃんが教えてくださった和訳を読んで感じた想いもこみ上げてきました。
「ママ、僕はたった今 人を殺してきてしまった」
 この歌詞からあゆちゃんの歌が始まるこの曲。
 こんなはずではなかった。
 誰かを悲しませるような、苦しませるようなことをするはずではなかった。
 ただ、ただ良く生きたかっただけなのだ。
 そんな純粋な良く生きたかったという気持ち、表情を作ると教えていただいて、これまで良く生きたかったけれどそれができずもがいていた自分の物語と重なりました。
 また、この曲は幕開け、しかもコーラスからスタートの曲。
 お客さんの気持ちをつかむ重要なコーラスとなるので、コーラスをする曲の中でも特に力を入れて練習した曲でした。
 音を取ることにすごく苦手意識のある私は、今自分が出している音が違っていることすらわからない状態でした。
 あまりの不出来さに、できない自分がみんなの中にまじっているということを苦痛に感じ、泣いて逃げ出してしまったこともあります。
 でもそんな時、みんなが、「一緒に居てくれるだけでも嬉しいよ。音はそのうち分かるようになるから」とやさしく声をかけてくれました。
 そして、たくさん、個人練習に付き合ってくれました。
 できない焦り、そしてそんな自分がどうみられるか。自分にこもって恐怖を抱いてしまっていたけれど、自分から離れてみれば、そこはみんなのあたたかさにあふれていました。
 できないからみんなと一緒にいたくないと思ってしまった気持ちが、できるようになるためにみんなと一緒にいたいと思うようになりました。
 そうして練習を重ね、食事前のコーラスも始まり、何度も何度も歌い、しっかりと前向きに声を出せるようになりました。
 みんなと声をそろえられる喜びを知ることができました。
 この曲は、ももかちゃんのリフトがあるのですが、その時にあがったお客さんからの歓声を聞いた瞬間、心の底から嬉しかったです。
 私は踊っていて姿を見ることはできなかったけれど、宙を舞うももかちゃんを思い浮かべるとパワーをもらうことができました。
 「just get out」の場面では始まりの、「良く生きたかったけれど、もう駄目なんだ」という、切ない気持ちから、「そんな弱気の自分を捨て、良く生きてやるんだ!」と志を持った歌詞と気持ちに切り替わり、力いっぱい踊ることができてポーズが決まった瞬間すごく気持ちよかったです。
 みんなと何度も緻密に動きをそろえ、気持ちをそろえ、たくさん練習してきたこの曲でコンサートをスタートさせられて嬉しかったです。

 

〇劇の始まりのシーン
 
 『Bohemian Rhapsody』が終盤に差し掛かると、私は途中で抜け、ダッシュで上手から下手に回り、劇に出る準備に入りました。
 私は物語の最初、第一声となるセリフを言う役をいただきました。
 人は何のために生きるのか。本当の幸せとは何か。その答えを求める旅の始まり。
 その旅の始まりが私に務まるのか、と不安に思う気持ちもありました。
 けれど、ここから始まるのだとわくわくした気持ちもあり、この役ができることが嬉しかったです。
 学生2という名前もない、お客さんの印象にも残らないだろうなという役。
 それでも私にとっては、かけがえのない役でした。
 同じ学生役のほのかちゃんと、この子はどんな子なのだろうか、どんな気持ちなのだろうかと、脚本にはない、その子の人生を作っていくことができて、とても楽しかったです。
 ステージに足を踏み出す瞬間は、緊張もしたけれど、後にはほのかちゃん、あやちゃん、そなちゃんが続いてくれていることがとても心強かったです。
 そして、この後の3時間、どうか主人公たちが素敵な時間をお客さんと共有できますように。
 そんな祈るような気持ちを込めて、バトンをつないではけていきました。

 

〇主人公の女の子たちと手相見妖怪が出会うシーン
 
 手相見妖怪の、ゆめのとちのの手相をMOFで見た後に、「何か希望はありますか?」と聞くセリフ。
 私は最初、じゅりちゃんを猫にするように、手相見妖怪に何かしてもらいたいことはあるか、要求はあるかという質問かと思っていました。
 けれど、途中から、「何か生きていくための希望はありますか」という質問だったのではないかと思うようになりました。
 そしてこの後の物語を通して、その希望をかなえられるように、心の中を隙間風が吹き抜けている3人が希望をもって生きていくことができるようにするために、この手相見妖怪が現れたと思うと、改めて手相見妖怪の存在の大きさを感じられました。

 

〇Animal
 
 お父さんのお誕生日会からこの曲をさせてもらって、コンサートでもダンサーとして出させていただきました。
 大好きになった曲のダンサーにならせてもらったことがすごく嬉しかったです。
 でもその喜びに浮かれて、自分の至らなさがはっきりと出てしまった曲でもあります。
 練習の時に、あゆちゃんに「あまりに精度が低い」と言わせてしまいました。
 確かに、お仕事組さんがたくさんいて、お休みが暦通りではなかったりもすることを言い訳に、あまり練習することができていませんでした。
 個人練習はいくらでもできるし、少しずつでも集まることはできたはず。
 それなのに自分から行動を起こさず、声がかからないからとりあえずいいかと流してしまっていました。
 本当に甘いなと思います。
 あゆちゃんに指摘をいただいてから、気持ちを引き締め、みんなで声を掛け合うようになり、ディテールを詰めながら練習できてすごく楽しかったです。
 もともと好きな曲を踊れて楽しいと感じていたけれど、みんなで本気で練習して踊る楽しさは全くの別物でした。
 狐のしっぽは特に難しくて、一人ひとりの腕の動きはもちろん、全体で少しでも呼吸がずれたり位置がずれたりしてしまうとぎこちなくなってしまうので、たくさん研究をしました。
 なめらかだったといってもらえた時は、みんなと心の中でハイタッチをしている気分でした。

 

〇じゅりちゃんが猫となり家族と1週間を過ごすシーン。
 
 数ある大好きなシーンのひとつです。
 初めて脚本を読んだときは、私は猫の存在についてよくわかっていませんでした。
「ソファーでぐだーっとしていただけの猫でした」
 この言葉の本質をつかめず、戸惑ってしまいました。
 いつか猫になってしまったことを後悔し、人間に戻りたいと思うのではないか。
 そんな風に考えていました。
 でも、お父さんが、
「猫的な人がいてもいい。みんながみんな目に見えて役に立つ人でいなくてもいい。ただぼーっとそばにいて話を聞いてくれる人の存在も大切」
 と教えてくださりました。
 そして、集合などを通して何度も猫の存在についての話を聞くうちに、猫について理解が深まり、その素晴らしさに気が付くことができました。
 猫はありのままの自分を、人から受け入れてもらい、自分自身も等身大の自分を受け入れられる人。
 それができていなければ、無理に役に立たなければと必死になっても、邪魔な存在になってしまう。
 自分のできることを、あるがままに苦しくなくやっていく。
 “誰かのため”が“自分のため”にもなる行動ができる。
 そんな猫的な生き方があると知れたことが、大きな発見でした。

 

 脚本を読み込み、お父さんの話を聞き、猫への解釈が進む中、猫ってこういうことなのかと身をもって分かったと思えた瞬間がありました。
 私は今回のコンサートで、つきちゃんやふみちゃんが中心となってくれている衣装係として、活動させていただきました。
 12月になり、練習も係作業もかなり詰められ始めたころ、つきちゃんが
「今回ゆうはちゃんが衣装係にいてくれて助かった」
 という言葉をかけてくれました。
 何か大きな仕事をした後というわけでもなく、ただ偶然お風呂で出会っただけの時に。
 その言葉を聞いたときは、何といわれたか言葉がうまく呑み込めないくらい驚きました。
 コンサートにかかわらず、以前からなのはなの衣装部でいてくれるつきちゃんやふみちゃんが、コンサートでも多くの衣装を考案して、みんなが無理なく衣装を回せるよう、お仕事前の朝早くや夜遅くまで沢山のことを考え、細かく管理し仕事をこなしてくれている姿を見ていました。
 2人が経験を活かして、計画的に、けれど臨機応変に動いてくれていて、苦労を見せずに、みんなに対応していて本当に格好良かったです。
 経験のない私は2人のように機敏に動くことができず、格好いい姿に憧れや希望を感じながら、2人の考えを横で聞かせてもらったり、簡単な衣装チェックや準備を手伝わせてもらったりしていました。
 できることが少ない分、2人のそばで見て学び、私にできることには誠実に仕事をしていたつもりです。
 けれど2人のように、全体をみて柔軟に動けないもどかしさがありました。
 それでも、つきちゃんは私がいて助かったといってくれました。
「いつもそばで見ていて、なんとなくでも衣装のことを分かってくれているから」
 と。
 その瞬間、劇で猫のじゅりちゃんが家族とお別れするシーンが頭をよぎりました。
 家族は、じゅりちゃんが猫として、ただそばにいてくれたことを喜んでいました。
 そしてじゅりちゃんも、猫として家族と1週間を過ごし、何ができてもできなくてもありのままを受け入れてもらいつつ、そばにいて寄り添って過ごし、毎日を一生懸命に生きる家族に勇気と元気をもらっていました。
 つきちゃんは衣装係としてそばにいるだけで喜んでくれました。
 できていることは少なくても、今の自分の能力を受け入れて、その中でできることを割り振ってくれました。
 私は、そばで見て沢山のことを感じ、学ばせてもらいました。
 そばで見ているだけの時もある私はまさに猫だったのではないかなと思っています。
 何もわかっていないのに手を出して邪魔をしてしまうよりも、そばにいてできることがあれば誠実に向き合う。
 必死になって追い詰められなくても、それだけで役に立つ存在になれるのだと知りました。
「私、ねこ、やめないよ」
 こう宣言するじゅりちゃんのセリフが大好きです。
 猫として家族と関係を取りながら1週間過ごし、ありのままでいる猫になった選択が間違っていなかったことを確信し、これからも猫として生きていくじゅりちゃんの強い決意が感じられるこのセリフにすごく勇気と希望が感じられました。
 このセリフでお客さんからも拍手が起こり、猫を受け入れるあたたかい人がたくさんいるのを感じて、明るい気持ちになりました。

 

 

〇閻魔様と天国と地獄のシーン
 
 私も、そして多くのお客さんも衝撃を受けたシーンなのではないかなと思います。
 悪いことをした人は地獄へ、良いことをした人は天国へ。
 そんな勧善懲悪の常識を一気に覆されました。
 天国へ行くか、地獄へ行くかは閻魔様の気分次第。
 そんなことがあっていいのか、と驚いたとともに、自分のこれからに望みを見いだせたシーンでした。
 私はこれまで、世の中のみんなから声をそろえて地獄行きだといわれるような人生を歩んできたと思います。
 やさしさをなくし、モラルをなくし、自分の利益ばかり考える利己的な生き方。
 過去の、巻き戻せない過ち。
 でも、それはもう関係ない。
 今、私はなのはなにいる。
 これからの人生を、より良い人生に変えていけるように、利他的な人間になれるように決意し魂を磨いていけばいい。
 これまでの人生がどんなものだったとしても、良く生きたいと決意した瞬間から新たなスタートを切ることができると教えていただけて、それなら未熟な私でも、自分の未来を良くしていけるかもしれないと思うことができました。
 また、このシーンでは、「奇数の人は地獄で、偶数の人は天国へ」というセリフや、狙った場面で笑いが起こったり、有頂天の話で「おお」と納得してくださっている方がいたり、ここだというところでほしい反応をお客さんからいただけたことがすごく嬉しかったです。
 このストーリーがおもしろく楽しくお客さんの中にしみこんでいっていることを感じました。

 

 

〇Born for this
 
 何のために生まれ、何のために生きていくのか。
 決意を示す曲。
 天国でも地獄でも現世でも、魂磨きをすることだけが尊いことに違いはない。
 なのはなに来て、お父さんとお母さんに導いてもらいながら、日々魂磨きをして成長を続けている。
 傷を負った私たちだからこそ分かること、できること、それらを自覚し、目を背けずその使命を果たせる人であれるよう、魂を磨きながら生き続ける。 
 それが、なのはなで気が付き決意した今の私の生きる意味。
 地獄に落ちて、魂磨きをして、生きていく意味、生きていく理由を胸に刻み込み、決意を固めて、心も身体も生まれ変わって、新たな人生の段階を歩んでいく地獄の卒業生たちと同じ段階にいるのを感じられる曲でした。
 この曲はコーラス隊とダンス隊の2つに分かれてはいるけれど、みんなが同じ志でいることを強く感じられました。
 同じ志を持つ仲間がこんなにもいる。
 これほど心強いことはないなと思います。
 そして、来てくださった方も、同じ気持ちになっていただけるよう、気持ちがこもりました。
 あゆちゃんがダンスを見てくださって、1カウントずつ動きを止めて、細かくそろえて練習を重ねました。
 確実にみんなが一体となっていくのを感じ、ダンスの中に、あるべき静寂が作り出されたときも感動は今も残っています。
 こうでなければいけない。
 そう感じる動きがみんなとできた達成感が嬉しかったです。

 

〇リトル・トリーに会いに行くシーン
 
 リトル・トリーのまりかちゃんのセリフごとに拍手が起こり、改めて会場のあたたかさを感じました。
 白人のかにちゃんとさとえちゃんにはいつも見惚れてしまいます。
 2人がキーワードを言っているわけではないのに、2人のおかげでその後の物語の深さが増しているように感じます。
 華のある人というのはこういうことなのだなと思いました。
 そしておばあちゃんの、
「これまでも充分、大きな幸せに包まれてきましたよ」
 とセリフで拍手が起こったときには、そうだよなと、お客さんと一体の気持ちを得ることができた感覚があって嬉しかったです。
 それからおじいちゃんの、「トレイル オブ ティアーズ」の話。
 少しずれているかもしれませんが、被爆地で生まれた私は小さいころから平和教育を受けてきました。
 体力のない子供や年老いた人が次々に死んでいったこと、誇りをもって勇敢に生きた人々。
 そういった写真や話を見聞きした覚えがたくさんあって、おじいちゃんが話すアメリカインディアンの人たちの姿も容易に頭に浮かび、胸が苦しくなりました。
 そこから私たちは幸せをどう考えるべきなのかという答えにつながった場面では、通しの時から何回聞いても毎回涙があふれてきます。
 物理的な豊かさを手に入れて一見幸せそうに見えたとしても、目標を見失ったまま走り続けるむなしい日々。
 理解し理解されること。それが愛。それが積み重ねて過去を振り返ったとき、幸せだったと感じることができる。
 それを知って、私はなのはなに来なければ一生、本当の幸せを知ることはできなかっただろうなと思いました。
「理解し合う日々を一日一日、積み重ねること、それが幸せになることだったんだ」
 大好きなセリフで、袖にいるけれどいつも同じ気持ちで心の中でこのセリフを言っていました。
 当日も同じようにこのセリフを心で言っていると、舞台袖からうなずいているお客さんの姿が見えました。
 その姿を見た瞬間、胸に熱いものがこみあげてきました。
 ああ、あの方に届いたのだ。伝えることができたのだ。
 そう思うことができました。
 袖からだったので、一人の方しか見えませんでしたが、たった一人でも、誰かの心に届いたと分かって、自分の中でこのセリフが一段と重みのある大切なものになりました。

 

〇未来のシーン
 
 私たちのこれからを宣言する大事な場面。
 ここでは、たけちゃんも座敷童子としてステージに立ってくれました。
 堂々となのはなファミリーのコンサートに立ち、セリフを言い、お客さんから沢山の拍手を受けるたけちゃんにすごく希望を感じました。
 私はギターアンサンブルで、たけちゃんの姿を一度もきちんと見られたことはないのですが、ギターとぴったりにたけちゃんのセリフが聞こえてくると、たけちゃんと気持ちがそろってコンサートを作れているように思えて嬉しかったです。
 そして「KIN NHF」。
 理解し合う、なのはな農場。
 これは遠くない未来の話だと思っています。
「世の中が、利己心の社会から利他心の社会に変わった」
 未来の人がそう話すことのできる世の中を作っていく。
 それだけの力が私たちにはある。
 そのことを自覚し、夢物語ではなく本物にする。
 そのことに誇りをもって生きていくのだと強く心を固めていくことのできる場面でした。

 

〇ラストシーン
 
 最後の最後にもう一度、少し学生の出番がありました。
 物語の最初と最後をつなぐブックエンドとなる役。
 実際にぐちゃぐちゃになった車を調べて、気持ちを作るところから練習を始めました。
 ここは、「何を言っているのかわからない。言葉が流れてしまっている」とよく指摘をいただくシーンで、特に練習に苦戦しました。
 けれど、ほのかちゃんが何度も練習に付き合ってくれ、個人練習ではかにちゃん、みつきちゃん、なっちゃんが声をかけアドバイスをくれ、沢山のスーパーマンに助けられながら作り上げることができて、練習がとても楽しかった記憶となっています。
 本番の後には、みつきちゃんが、
「どんどんグレードアップしていったね。今までで一番いい“ひぇー、この人”だったよ」
 と言ってくれて、スーパーマンたちのあたたかさに感謝でいっぱいになりました。

 

〇The Show Must Go On
 
 コンサート最後の曲。
 みんなでぎりぎりの全力を、すべてをさらけ出した曲。
 さやねちゃんが中心となってくれて練習を進めました。
 その時さやねちゃんから本当に熱い思いを感じて、その思いをみんなでさらに強いものにしていくことができたと感じています。
 心が壊れそうなときも、内側がさらけ出されそうなときでも、ショーは続いている。
 このショーが終わることはない。
 私たちはショーマンとして生き続けていくことしかできないのだ。
 そのことを分かり、覚悟を決めて踊らなければならない。
 みんなで強く同じ意志をもって、一体となり表現をしました。
 私たちの生き様。
 それを包み隠さずすべて魅せられるように。
 コンサートの集大成として全員でこの曲に表現できたことが嬉しかったです
 緞帳が下りはじめ、物語が終わったとき、目が潤んできました。
 全力をささげた3時間がものすごく楽しくて、気持ちよかったです。

 

〇あいさつ
 
 お父さん、お母さんがステージに来てくれて、緞帳が再び上がり、みんなで並んで挨拶をしました。
 その時にやっと落ち着いて客席をしっかりと見ることができました。
 私たちはこの方たちに届けていたのだ。
 この中で、たった一人でも、コンサートを通じて明るい未来を見てくださった方がいるかもしれない。
 そう思うと、私たちのこれまでがとても誇らしく感じました。
 勢ぞろいで3列に並ぶと、ギュッとなって、改めて私にはこんなにも多くの家族が、理解し合える仲間がいるのだと思うと、今この空間に居られることが何よりも尊く思えました。
 お父さんがあいさつで話してくださったことは次の準備で残念ながらゆっくり聞くことはできませんでしたが、落ち着いたころにお母さんの話になり、そこでこらえていた涙があふれてきてしまいました。
「この子たちは必死で生きてきたんです。やさしいから、頑張って必死に生きてきたんです。これからきっといい人生を歩いていきます」
 泣きながらなので正確に聞き取れていないかもしれませんが、お母さんの言葉で、お母さんの大きな愛を感じました。
 ずっと望んできた、本当の愛にあふれる世界がなのはなにはあると改めて思うことができました。

 

 

〇White Flag
 
 物語の幕が下りた後、真っ先に永禮さんのあたたかいアンコールの声が聞こえ、あいさつの後、最後に『White Flag』を踊りました。
 何があろうと屈しない。
 死んだふりして、見ないふりしてやり過ごす、それは絶対にしない。
 やさしい世の中が来る日まで、利他的な社会にしていくために私たちは挑み続ける。
 決して白旗をあげることはない。
 なのはなのすべてが詰まった大きなこの曲を、アンコールでみんなと踊れたこと。
 思い出すだけで今も胸がいっぱいになります。
 力強く、今の自分の精一杯を詰め込んで、すべての演目が終了しました。

 

 ウィンターコンサートを通じて、本当に沢山の仲間がいることを実感することができました。
 各地から卒業生やボランティアの方々が集まってくださり、ぎゅうぎゅうに肩を寄せ合って当日昼食をいただいたとき、本当に恐れることは何もないんだなと思うことができました。
 なのはなを好きでいてくれる、なのはなに希望をもってくださる、同じ志を持つ仲間がこんなにもいる。
 お父さんの脚本を、こんなにもたくさんの方に支えられて、舞台で表現できることが本当にありがたかったです。
 食事は、ホール入り期間中も毎食あたたかくて豪華な食事を用意してくださっていて、とても驚きました。
 美味しい食事を用意してくださり、古吉野に帰るとすでにあたたかいお風呂が用意してあり、台所さんたちの偉大さ、あたたかさが、毎日身体に染み渡りパワーをもらうことができました。
 照明班さんも試行錯誤を重ねて最高の演出にしてくださり、撮影班さんはその最高の一瞬を永遠のものにしてくださり、他にも私の見えないところで沢山の方の力があって当日を迎えられたことが感謝でいっぱいの気持ちになります。

 

 そして、見に来てくださった方がたくさんいたこともすごく嬉しかったです。
 曲では、『Wake Up Romeo』でかなり早い段階から手拍子をくださり、劇中でも何度も笑いや拍手が起こり、お客さんのあたたかさに包まれたステージとなりました。
 そのあたたかな反応で、声が大きくなり、気持ちが高まり、さらにさらにと良いステージにしていくことができました。
 今までの努力の練習過程はもちろん、受け取ってくれる方がいて初めて本物にすることができるのだなと知りました。
 スポットを浴びて、多くの方に反応をもらいながら表現できる人生。
 どれだけ恵まれたことか。
 最高のカードを引いたと心の底から思います。

 

 みんなで3か月間、本気で挑み、作り上げてきたコンサート。
 無事成功させることができて、大きな達成感と喜びを得ることができました。
 何かに向かって、仲間と全力を出し努力をしていくことがこんなにも楽しいだなんて、初めて知ったかもしれません。
 この経験は私の人生でかけがえのない財産です。
 これからどんなに苦しいことがあっても、このコンサートが支えになってくれるだろうなと確信しています。

 

 今回のコンサートは、これまでの私の生き方を覆すものでした。
「理解と愛にあふれる人生をすごしたい」
 そんな純粋な願いを、周囲の環境に、打ち消されて、心に傷を負って生きてきました。
 どうにかして空っぽの心を満たしたい、幸せになりたい。そのために特別でいなければいけない。
 物語の主人公と同じように、必死にもがいて苦しんで生きてきました。
 普通になりたいと思いながらも、愛情を得るためには特別でいなければいけないと思い込み、焦り追いつめられる毎日。
 いま幸せを感じることができないから、未来の幸せを追い求めて、目標を見失ったまま走り続ける。
 けれどいつまでたっても幸せになれず、むなしいままで絶望する。
 間違った考え、生き方ばかりしてきました。
 コンサートから、特別であろうと焦らなくても、苦しまなくても、ありのままの姿で周囲と、理解と愛のある良い関係を取っていくことができることを知りました。
 その中で小さな理解の積み重ねを大切に、今感じられる幸せを大切にして生きていけばいいと知りました。
 今なのはなでは苦しみを共感し、喜びを共感し、あたたかい家族との理解あふれる生活をしています。
 その幸せを、幸せだと気が付くことができるかどうかは自分次第。
 いま自分がどれだけ恵まれた環境にいるか、改めてよくわかりました。
 この幸せを広げていけるように、この日お客さんが見た世界を実現させられるように。
 物語の幕は下りたけれど、私たちの「KIN NHF」は幕を開けたばかり。
 世の中をあるべき姿にしていく良い生き方を求める。そのことに誇りをもって生きていきたいです。

 

 

【ウィンターコンサート2025 感想文集】

❖「“ゆめの”を演じて」 ゆうな
❖「初めての舞台、伝える側になれた喜び」 ここの
❖「良い生き方を求めることに誇りをもって」 ゆうは
❖「永遠になる一瞬をみんなと積み重ねながら」ほのか
❖「閻魔大王として舞台に立って」みゆ
❖「人間にはネコ的な要素が必要だということ」ななほ
❖「生きていく道標」まなか

 

 

←ホームページへ戻る