「あるべき時にあるべき音を」 ほのか

7月20日
 
 〇自分から離れる
 
 バンドでの演奏にも少し、慣れがでてきましたが、漠然とした違和感が続いていました。そして、今日その違和感の正体を、お父さんが暴いてくれました。
 
「全部強・強・強で、思いきり叩きすぎている。自分の音を聞こうと思って、どんどん音が大きくなる」
 
 うっすらと、鍵盤の負荷を気にしていました。勢い余って、というか気合が入りすぎるのか、まるで握力検査の時握力計を握るときのような、ものすごく強い力の出し方をしていたことに気が付きました。
 
 あくまで伴奏だから、馴染ませる。自分の音が聞こえないのが理想的な状態だから、自分の音が聞こえてきたときは、それは浮いている、ずれているということになる。

 お父さんの言葉を聞き、本当にそうだ、と思いました。自分が自分が、どう思われているか、上手く弾けているかを気にする気持は必要無くて、大事なのは、この音でボーカルを立たせよう、全体が上手くいくように、ダンスが上手く見えるように、ボーカルの人が歌いやすいように、という気持が必要。それがあれば、無駄な緊張はなくなる。
 私は正直、自分のことでいっぱいいっぱいで、自分のことは自分でなんとかしなければ、という利己的な思いがあったと思います。それで、自分完結だったから、自分の演奏がボーカルの歌いやすさ、ダンスの踊りやすさに繋がると思うところまでいきませんでした。そういう、自分を上に置いてしまう気持が、どこか浮いてしまう、一人走ってしまう原因になっていたと思います。
 
 そして、肩の力を抜いて、空間をイメージして、あるべき時にあるべき音を置くことを考えました。そうしたら、足りなかったのは、このことだったのだ、とすぐに感じました。楽器の音がよりクリアに、立体的に聞こえました。今までは爆音でボーカルや他のパートの音を殺してしまっていたのだなと思います。自分の音、自分から離れる、それに尽きるのだ、と、今日のハウスミーティングでも教えてもらいました。
 
 私にはまだ評価を気にする気持や自分を愛する気持が残っているなと思います。
 それを無くしていって、演奏も、頭もクリアな状態にしたいです。
 
 そして今度は、ちょっとおとなしくなりすぎたか……? 全部弱・弱・弱、でもいけないなと思います。極端ではなく、勘を働かせて幅をつけていく。そんな風にしたいです。
 
 違和感の正体が分かった時は若干、申し訳なさや、情けなさがありましたが、今日気が付いて修正へ向かうことができ、本当によかったと思います。合わせのたびに、お父さんが小さな音まで拾って聞いて、それぞれのパートに毎回違うアドバイスをくれました。お父さんも、お母さんも、あゆちゃんも理想が高く、それぞれの曲での理想をしっかり持っているのだなと思いました。自分だったら、気持の粘りが無くて「わーすごい!」で終わらせてしまうだろうなと思うのですが、あゆちゃん、お母さん、お父さんは、「こういうところはいいけれど、もう少しここをこんな風にしてみて」と、毎回違う視点からよりよくするアドバイスをしていました。気持の粘りを持つこと、理想を高く持つこと。今日、お父さんお母さん、あゆちゃんのそばで、それがいかに大事なことかを感じました。
 残りの時間、粘って粘って、8月1日はその途中経過かもしれないけれど、最大限、良いものにするぞ!