第426回「摂食症から治るのが怖いのはなぜ?」
私は摂食症から治ろうと前向きになろうとすると、摂食症から治らなくていい、癒されなくていいと思ってしまっている自分もいて、治ることが怖いです。こんなふうに治ることに対して不安や心配ばっかりなのですが、こういう気持ちに対してどう処理したらいいでしょうか。そして、なぜこういう気持ちが出てくるのでしょうか。
【お父さんの答え】

治らなくていい、癒されなくていい。そういうふうに思う人は多いんじゃないでしょうか。
考えてみれば、5、6歳の頃から、ずっと生きにくさを抱えているわけですよね。本人からするとずっと同じ自分であって、思春期になってから違う自分になって症状が出たわけではないのです。
実際には、思春期になって女性ホルモンの分泌が多くなることで摂食症の症状が出て、拒食になったり過食嘔吐になったりします。過食嘔吐になったりすること自体は本人にとっても困ったことなんですけど、全く違う自分にならなければならない、とは思えないわけです。
思春期になってそれまでの良い子を続けることが苦しくなり、過食嘔吐をするようになって気持ちの逃がし先ができた。一時的だけれども、気持ちがこれまで経験がないくらい楽になるという感覚を初めて味わいます。
そうなってくると、今までの人生で一番楽しかったこと、一番楽しかった時間というのが過食した時間です、ということになってしまう人が多いんですね。
症状が出るまでは、困ったこともないけれども本当に楽しかったということも、実はあまりないという生活を送っている人が多い。いつもいい子であろうとしてきた窮屈さだけがあった。
そうなってくると、治るっていうことは唯一、楽しいと思えた過食嘔吐を失ってしまうこと、となります。一番楽しいと思える時間が、なくなってしまう。そうしたらつまらなくて、苦しいだけの生活に戻ってしまうだけ、となる。
だから「私、治らなくていいです」あるいは「治るのが怖い」という気持ちが生まれるのです。
それというのも、本当にずっと生きにくさ、苦しさばかり感じてきているからなのです。
みんなが「楽しい」という時でも、楽しさを感じることができなかった。むしろみんなが楽しいという場面で、疎外感を感じることのほうが多かった。
本当に癒されて、症状の無いなかで前向きに仕事ができた、そんな生きる楽しさを少しでも味わったことがあれば、それは治りたいと思うわけですけど、言ってみたら症状が出る前に戻るだけとなると、治ることに意味を見出しにくい。
思春期になる前も、ずっと症状は出てなかったかもしれないけど生きる苦しさは感じていたはずで、だからそういう生きる苦しさをうっすらと、あるいは時々強く感じながら、症状を出さないで生きていくだけの生活に戻るのは、嫌だなと思ってしまうわけです。
摂食症の人でなければわかりにくいのですが、過去に楽に生きた経験がないので、「楽しく生きられるようになる」と言っても、また「治ったら楽になるよ」と言われても、なかなか実感として信じることのできない、それが現実なのです。それで唯一、気持ちを逃すことができた症状を手放すのが怖いと思うのです。そういうことで、治ることに対する怖さはあります。
もし症状を捨てるのが怖い、という人に対して、その人に「治りたいな」と思う時間を作れるとしたら、なのはなファミリーでは、既に症状から離れている人とのグループミーティングを経験してもらっています。
なのはなでは、OMT(オープン・マインド・トレーニング)と言っていますが、グループミーティングで既に症状を離れている人の体験談を聞くと、ようやく症状から離れたらどうなるか、というイメージが掴めます。その体験を聞くと、自分の知らない世界が本当にあるんだ、ということが初めてわかります。それと同時に、「他の人は治っても、きっと私だけは治れない」と思っていた気持ちに、いや私もこの人たちと同じだったら治れるかも、という希望が芽生えてきます。
というわけで、摂食症に苦しんでいる人は、必ずしも治りたいとばかりは思っていない、そして治る決心をするにもハードルがある、ということについて述べました。
