「『厨房の哲学者』を読んで」 ななほ

5月28日

 昨夜はどれみちゃんと一緒の「お母さんと話してみよう」の時間が嬉しかったです。
 仕事でのこと、なのはなでのこと、自分の今の気持ち……。お母さんに話したいと思っていた嬉しいことや楽しいことをたくさん話す時間があって、お母さんの作ってくれる温かくて穏やかで、希望のある空気の中、話しをできたことが嬉しかったです。

 本当に今、働くのも楽しい、なのはなでの活動も楽しいと心から思えます。お母さんやお父さんも言われていましたが、今の働き方やなのはなでの自分の役割がちょうどバランスがいいのだと思うし、日々の忙しさが嬉しいです。最近では仕事も充実しているけれど、帰ってきてからも山小屋だよりの編集をしたり、ギターの練習をしたり、仕事組の当番や桃作業をしたりと複数の役割があることに支えられています。

 また、よしえちゃんの結婚式など、何か目標や目的に向かって努力をできる機会があり、一昨日の夜、新たにえつこちゃんが、「ななほちゃん、『ガラスの香り』の演奏に入ってもらえませんか?」と声をかけてくれました。

 今回の結婚式では、フラダンスは踊るものの、私は新曲のフラダンスメンバーに入っていないため、夜のダンス練習がなくてやや寂しいなと思っていました。そんな時に思わぬところから、『ガラスの香り』に誘っていただき、あと1カ月でどれほど完成度高くできるかは分かりませんが、また私の中のやる気スイッチが新たに1つ増えたし、できる限り練習し、努力して、結婚式で披露できるように頑張りたいです。

 母の日にお仕事組で贈った黄色いカラーの花で、お母さんが絵ハガキを描いてくれました。その絵ハガキをお母さんが仕事組のみんなに配ってくれて、今、その絵ハガキが私のお守りになっています。

 黄色いカラーの花言葉は「壮大な美」。私もただの美しさ、歓びではなくいつも深いところを見て、壮大な美しさや喜び、生きる価値を見出しながら生きていきたいです。

・『厨房の哲学者』

 最近、楽器練習の合間に久しぶりに読書をしたい、本が読みたいという葛藤に負けて、脇屋友詞さんの『厨房の哲学者』を読みました。私は普段、どちらかと言うと外国文学の特に長編小説や、連続小説が好きなのですが、久しぶりに読んだこの本がすごく面白かったです。

 この本の表紙に、
「重要なのは、何かを選ぶこと。選ばなければ、人生は始まらない。選ばざるを得なかった仕事に黙々と熱狂する」
 とあります。この言葉は、決して自分の人生は自分で決めるとか、自分のやりたいことをするとかいう意味ではなく、与えられた運命に沿って努力し続けたら道は開けるという意味がありました。

 それは摂食障害から回復する時も、症状から治って自立した人として生きていく時も同じだなと本を読んでいて思いました。
 いつまでも治してもらう人、治される人としていたら何も始まらないし、究極のところ、治ると決めるのは自分しかいない。そして、「もっといい人生になるはずだったのに」とか、「こっちのほうが幸せになれるんじゃないか」とか幸せの目移りをしている間は何も前には進まなくて、「この目標を実現するために、こうする」と決めたからには、保証がなくてもそれができるまで努力し続ける。

 人は生きていく時、例え今は信じられなくても、上手くいく保証なんてどこにもなくても、自分が選んだ人生を信じて努力し続けたら、必ずいい結果が待っているんだろうなと思うし、それは摂食障害だからとかいう訳ではなく、誰でもそんなふうに信じて生きて走り続けた人は、同じ境地に行くんだろうなと思いました。

 この脇屋友詞さんは、1958年に北海道で生まれて、中学卒業と同時に東京と赤坂にある「山王飯店」で働き始めます。その3年間はほとんどずっと、鍋洗いしかしていなかった。でも、それでも自分はいつか、中華料理を作り、料理長になって自分の店を作るという未来を信じて、今目の前に与えられた仕事に熱心に向かいました。

 とはいっても、中学卒業で同期で入る人はみんな、年齢は年上だし、他の友達は高校に進学して遊んでいてとても華やかに見える。それなのに自分は、易者の父親が「お前には食神がついている。だから、食の道に進め」といい、中華料理店に行って「息子をここで修業させたい」と言ったその一言で、脇屋さんの人生は思わぬ方に展開していきます。

 脇屋さん自身は当時、将来何になりたいとかいう希望もなく、ただ腕白な小中学生時代を過ごしていて、当たり前に高校に進学し、社会に出るものとばかり思っていた矢先、料理人になるなら少しでも早く現場に出たほうがいいということで、中学卒業で働き始める。

 最初の3年間は鍋洗いだけで、何度も辞めようと思った。まだ20歳にもなっていないから、今から仕事を変えることだっていくらでもできる。そう思っていた時、スキー場である言葉に出会います。それは、「この道より我を生かす道なし。この道を歩く」という小説家 武者小路実篤さんの言葉でした。

「中卒で働くと決まった時、自分だけが人生から締め出された気がした。高校に行った友人たちには何にでもなれる未来があった。それが羨ましかった。彼らにはたくさんの選択肢があった。僕には鍋を洗うという一つの選択肢しかなかった……」

「けれど、何にでもなれる未来なんて、本当はどこにも存在しない。何にでもなれるのは、何も選んでいないからだ。どこかにたどり着くためには、道を選ばなきゃいけない。一つの道を選んで、その道を歩き続けなければいけない。何かを選ぶことは、それ以外のすべてを捨てることだから、選ぶのが怖かった。選んでしまったら、ここで自分の未来の可能性は閉ざされてしまうと思い込んでいた。それが間違いだった……」

 この文章を読んだ時、「私はなのはなと言う1つの道を選んだ」と思いました。
 私はなのはなの中では珍しく、自分からなのはなに来ることを望んで、なのはなに来ましたが、今、その選択肢で本当に良かったと感じます。

 年齢的には脇屋さんと同じくらいで、同級生も周囲の大人も、「まだ若いからいくらでも選択肢がある」と言う中で、私はなのはなしかないと思ったし、その選択肢が間違いじゃなかった、私はこの道を選んだんだと今思えます。

 そういう意味でも脇屋さんの本の言葉に共感したし、この道を選んだのだからこそ、いい生き方をしたいです。

 また、お父さんがいつも話している「技を盗む」ということ、「見て覚える」ということもこの本にはたくさん書かれていました。料理人と言う立場もあるし、実際に今私自身も社会に出て働く中で、仕事は誰かに教えてもらうものではなく、見て覚える、真似して覚える、誰かの良いところを盗むのだと、言葉は少し激しいですが感じる場面が多いです。

 中華料理の世界も特にそうで、親方たちの料理の仕方を背中で見て覚える、鍋洗いをしていてもどんな風に料理を作るのか見ていたら覚えるし、料理をするときのフライパンが奏でる音や食器の鳴る音、作り手の足音や手の動かし方で、その料理を今、炒めているのか、あとどのくらいで完成するのかが分かる。それは見ていなくても、五感があれば分かるし、自分がしていなくてもその技を盗むことはいくらでもできると思います。

 そういう意味でも私も常に当事者として、いつでも見たことあることは自分もできる、自分もやれるという状態にできるような心持ちでいたいと思いました。

 やがて脇屋さんは、努力と縁と知恵で、27歳にして「リーセントパークホテル」の中国料理部料理長になります。その後、東京で4つの有名な中華料理店を経営する田表取締役総料理長になっていきます。

 そこに至るまでの、脇屋さんの信じる気持ちや努力、そして巡り合った人たちへの真摯な気持ちや相手を信じる気持ちにとても共感しました。また、自分の店を持つにあたり、これまでの大皿で盛り付けて提供する中華料理だけではなく、フランス料理のようなコースメニューも提案して、更に中華料理の幅を広げていきます。

 その既存の価値観にとらわれない姿の奥には、過去の努力や積み重ねがあるのだと思いました。
 脇屋さんが働き始めたばかりの頃、自分の中に「自分だったらこうする」という思いがあったけれど、時にそれは上司とのトラブルに繋がっていました。そんな時に先輩から、「それは、上の人間になってからやれ」と言われて、今じゃなくて、自分が上の立場になった時の為に知識や技術を吸収することに専念していました。

 だから、自分が総料理長になっても、経営が上手くいくし、自分のついてくる部下がたくさんいた。そして、自分がずっと思っていたことを実行してみた。自分が着古された白衣のエプロンばかりを着せられてきたこともあり、小さなことで言うと、経験年数に関係なく、職場では全員に真っ白な白衣のエプロンを用意した。

 私もそういう心持ちでいたいと思いました。今は下っ端で自分が口を出すようなことはなくても、自分だったらこうする、お父さんだったらこうするという考えを持ち、いつか、それを土台に自分で新たな価値観を生み出す人になりたいです。

 そうじゃなければ生きるのは楽しくないし、自分だったらこうするという考えや意志を常に持ち続けて成長する生き方をしたいです。

 この本を読む中で、目の前の仕事、与えられた役割が自分のものだと思えるかどうか。何を成せるか成せないかは、才能でも運でもなくて、自分がどれだけ今を真剣に懸命に生きるかに尽きるのだと感じました。

 自分が行ける所まで行く。どこまで遠くに行けるのか。
 『ハウ・ファー・アイル・ゴー』の歌詞にもあるけれど、その気持ちで今与えられている人生に責任を持ち、一生懸命に生きていき、未来を信じ続けたいと思いました。