「私が求めていたもの」 あや

5月21日

〇私が求めていたもの
 あゆちゃんに夜、ダンスを見てもらいました。ダンスが始まる前に、あゆちゃんが、
「少しダンスから離れたら踊れなくなってしまうのは、こじんまりとした世界に閉じこもってしまうから」
「普段からダンスで表現しているような心持ちで生きていたら、いつ踊っても踊れる。日常からその気持ちで生活していたら、表現して、といつ言われてもすぐにその気持ちを出すことができる」
 と話してくれました。日ごろ、onとoffを作りすぎてしまっていること、気持ちがすぐに自分の小さいスケールにこもってしまっていることを感じました。
 また、
「未来にどう向かっていきたいか、その志、意志がなければ、みんなはどこかでつまづいてしまうだろうな」
 というお話もしてくれました。摂食障害から治り続けるためには、本当に走り続けないといけない。自分の役割や、果たしたいこと、未来に見て、走っていく必要があることを改めて感じました。
「自分はここまでだ、と決めていたらそこの小さい籠ったスケールでしか生きられないけど、自分は大きいスケールで見るんだ、と思ったら、そのスケールで見ることができるんだよ」
 とあゆちゃんが話してくれた時、自分の気持ちに凄く響きました。全部自分の気持ち次第なんだ、と思いました。
 あゆちゃんの言葉一つひとつが胸に響いて、ダンス練習を始める前から、なんだか涙が出てしまいました。
 未来に向かって、進むこと。強い意志を持つこと。そう思ってダンスをしている時、(あぁ、私が求めていたのはこれだ)と思いました。あゆちゃんの言葉を聞いてから、全体の空気がガラッと変わって、みんなの向く先が一つになるのを感じました。
 その全体の気持ちが揃う、ということを感じたとき、全員が同じ方向を向いていることの強さみたいなものを感じました。練習一発目だったけど、明らかに前回と全く違っていて、気持ち一つでこんなにも変わるんだと思いました。

 また、話は違うのですが、お父さんが、「自分はなる人、合格する人、と決めること」をこないだ話してくださったのですが、そのあと、「自分の未熟さをふまえたうえでの、決める、ということなのだろうか」。未熟でもそう決めていいよ、と言ってほしいような気持ちが浮かんできました。でも、それは違う、と思いました。誰かに背中を押してもらいたいような、保証が欲しいような気持ち、それは守りでしかなくて、大切なのは、自分がどうありたいか、どこに向かっていきたいか。未熟でも、自分が行きたい先は自分で決める。向かうべき道を自分で信じる。
 私は、なる人、合格する人だ、と決めました。未熟だけど、なる人として、その方向に自分を成長させていく気持ちで向かいます。あゆちゃんが今日、話してくれた、「自分はここまでだ、と決めていたらそこの小さい籠ったスケールでしか生きられないけど、自分は大きいスケールで見るんだ、と思ったら、そのスケールで見ることができるんだよ」というお話と通じるような気がしています。自分はなる人だ、と決めたら、自分がそうなる人として、導かれるような(言葉で上手く説明できないのですが)、必然的にその方向に人格も作られていくような、感じがします。

 また、お父さんが、「ただ点数をとるためだけに生きる」という気持ちで向かったらいいと教えてくださって、そのことが凄く楽になりました。謙虚になれてるか? 競争心はないか? おごりの気持ちはないか? 自分の中に利己的な気持ちがないか、確認したくなる気持ち、自分をさぐる気持ちが暴走して、強くなりすぎて、囚われてしまう時がたまにありました。そんな不安の材料集めをしてしまっている私に、お父さんがこの言葉をかけてくださったおかげで、自分が進むべき方向がちゃんと見えて、それに向かっていけている。全体がクリアになりました。
 でも、お父さんのこの言葉が苦しくならないのは、根に利他心があるからだなと思います。なのはなに来る前の私がこの「点数を取るためだけに生きる」というのをテーマにしてしまったら、落ちに落ちていたと思います。お父さんのこの言葉が変な期待とか、プレッシャーじゃなくて、純粋に、私を目的地までおろしてくれるような、よそ見から元通りにしてくれるような感じがしました。
 今日がとっても幸せでした。自分はなること、合格することが決まっている人、として生活します。そして、日常生活から、ダンスの気持ちで過ごします。