12月8日
私は、生きた音楽がしたいし、生きた音楽しかしたくない。昨日の『オぺラ座の怪人』を最後に合わせたときに、強くそう思いました。
私は最近、ずっと悩んでいました。大好きなトロンボーンなのに、なんだかうっすらと息苦しい。どうしたら良いのかわからない。練習でリーダーをしていても空回り。大好きなトロンボーンなのに苦しい。このままではステージで吹きたくない。このうっすらとした苦しさが何なのか、わからずにいました。それが何だったのか、昨日の練習でわかりました。
「深い音を出すという意志を持つこと。そして、自分の全てをさらけ出すこと。格好つけない。下手なところも上手なところも、ばかなところも、全てをさらけ出す。それで、こういう音が吹きたいという意志を持って、これが私の精一杯です、という自分の全てをさらけ出す」
お父さんのその言葉の後では、これまでと演奏がガラリと変わりました。音の強さ、空気の密度が、はっきりと違うのを、肌で感じました。久しぶりに、トロンボーンを吹くのが楽しいと感じました。こうでなくてはいけないと、思いました。でも、これが最低限で、私たちならもっともっとできるはずだとも、思いました。そのことに希望を感じました。
私は、上手に吹こう、正解を吹こうとして、苦しくなっていました。だから、いつも微妙に自分を守って、つまらない演奏になっていました。悪い言い方をすると、ごまかしていました。実際には全くごまかせていないのですが。自分でごまかしたつもりになって、小さくまとまっていて、そのことが窮屈でした。
理想の音を吹くためには、アンブシュアも、息のスピードも、ものすごくピンポイントで、ストライクゾーンが狭い。または、たっぷりの息が必要だから酸欠になるのが怖い。だから、音を外したり変な音になるのが怖いから、ストライクゾーンを広くして、音を外さなければよしにして、自分を守る。そんなのは音楽ではありません。本当の音楽がしたいのに、自分を守るためにただの音しか吹けなくて、音楽になっていなくて、それが苦しかったのだと、気がつきました。
自分を守らずに、音を外すしても良いから、ストライクゾーンの狭い理想の音を、何が何でも吹くんだ、それ以外の音は吹きたくないんだ、という気持ちで吹いたら、体中の細胞から喜びがわき上がりました。私の心も体もこれを求めていたと、思いました。
その日の夜、アンサンブルやバンド、コーラスに向かう気持ちも、変わりました。もっともっと理想の音を、と思ったら、もっともっともっと、ああ、もう9時になってしまったよ、明日こそは! 音を出したい気持ちをぐっとこらえて、曲を聴いてもっと理想を緻密にくっきりさせよう! と、気持ちが生き生きとしました。
残り少ない時間の中で、自分の最大限を尽くして、どれだけ、音が変わるのか、自分を使って実験をするような気持ちです。怠け心なんて、臆病さなんて、そんなもの吹き飛ばしてやる!!!
