11月5日
あけみちゃん、お誕生日おめでとうございます。なのはなにきて、あけみちゃんに出会って、本当に幸せです。なのはなにきて、自分の中での不安が山ほどあった中、あけみちゃんがシスターになってくれて、ずっとそばにいてくれました。自分の中でマイナスな感情が出たとき、辛いとき、どんな時でもあけみちゃんは、隣で笑って、明るく吹きとばしてくれました。
あけみちゃんが桃メンバーで忙しかったとしても、自分が作業から帰ると、「お帰り、どうだった?」と聞いてくれて、あけみちゃんがいつもそばにいてくれているような安心感があって、あけみちゃんという大きな存在に救われました。あけみちゃんが作業の時でも、ダンスでも、いつもまっすぐ生き生きとした姿勢があって、その姿に何度も背中を押されました。何度も勇気をもらいました。時には厳しく、「それは違う」と怒ってくれて、どんな時でもあけみちゃんが自分にまっすぐ向かってくれて。私は実の姉とはうまい関係が取れず、姉という存在がすごく居心地の悪い存在という風にしか思えなかったけど、なのはなにきて、あけみちゃんにお姉ちゃんになってもらって、本当にうれしかったです。自分の中でお姉ちゃんという概念が変わって、こんなにもいてくれるだけでうれしい、大好きなあけみお姉ちゃんの存在が本当にうれしくて幸せでした。あけみちゃん、お姉ちゃんになってくれてありがとう。
今でもあけみちゃんは、自分が落ち込んでいたり、泣いていたりすると、すっととなりに来て気持ちを添わしてくれて、あけみちゃんの存在が私の中で本当に大きな存在です。あけみちゃんに出会えて本当に幸せです。あけみちゃんが笑顔でいてくれるだけで、私は本当に幸せです。あけみちゃん。大好きです。これからも、ずっと、よろしくお願いします!
今日、コンサートの主要役者のそなちゃん、あやちゃんと一緒に、どういう気持ちで言っているのか、どのような気持ちで聞いているのか、1シーンずつ、細かく相談していきました。
相談していくうちに、どんどん深い解釈ができてきて、自分がこうじゃないか、と言っているうちにその解釈が、自分の心にすとんと落ちてくるものがあって、本当に今日の1日が充実した時間でした。
私は、ゆめの役を演じます。ゆめのは引きこもり。だけど、ただ、ゲームに夢中になり、隠れて隠れて、うちにこもった引きこもりではない。ちゃんとした自分の意思を持っている。ミツバチが滅ぼされる、ネオニコチノイドが堂々と使われるような世の中に、何か違和感を感じていて、そんな世の中では生きていく自信がない。こんな世の中ではいけない。そう感じている。ちのが、緊急事態の続く世の中に違和感を感じているのと同じように、この世の中に、こういう世の中であるべきではない、と感じている。たとえ引きこもりだったとしても、客観的な消費者ではなくて、ちゃんとした意思を内に秘めている。
ちのちゃんの、勇気ある勇敢さを隣で見ていくにつれて、自分の中にもあった、勇気ある心が徐々に少しずつ、見えてきている。本当はちゃんと生きたい。引きこもりで人生を終わりたくない。ちゃんとした生き方をしたい。優しい世の中に変えることができるような世の中にしたい。そういう気持ちが徐々に出てきて、
「一度は捨てた人生だから、どんなことでも手伝うわ」
という前半ラストのシーンにつながるのだと思いました。
私は途中の、
「いい結果を出せなくてもいい。でも、私はちいちゃんと一緒に行く」
というセリフに対して、ものすごく勇気をもらいました。ここのシーンでは、妖怪たちをやつけに行く、という意思を示し合わせるシーンなのですが、ちのが何とか、じゅりを説得しようと、あれこれ、行こうという意思を伝えるが、じゅりは「むり」という。ちのは今まで、今の世の中がおかしい、そう感じ続けてきたけど、共感してくれる人も、同じような考えの人もいなくて、どこか、孤独感、隙間風が通るような感情を抱いていた。その時、じゅりにも「むり」と言われて、やっぱりみんなと合わない、悲しい感情になったと思います。でもそんなとき、まさかのゆめのが賛成する。じゅりのせなかを押す。「私も妖怪を退治しに行く」ではなくて、「ちいちゃんと一緒に行く」と言ったのは、ちいちゃんと同じ考えだよ、と言いたかったのではないかと感じました。ちのちゃんと行動する中で、ちのちゃんの勇敢さに心を打たれ、少しずつ、ちのちゃんと同じように行動したい、自分の内側にある正義を行動に移したい気持ちが強くなって。ゆめのちゃんは今の生き方じゃなくて、最後の最後まで、本当はちゃんと生きたいっていう意思が強かった、その気持ちがこの物語になって、ゆめのちゃんは死ななかったんだ、と思います。
じゅりちゃんはネコになってよかった、というシーンでも、ゆめのは、「私もネコ的だったけど役にたてなかった」という言葉があり、それは、きっと、ゆめのの周りの人たちは、ゆめのが猫であることに対して、許さなかったんだろう。周りは認めず、「何者かになること」を求めていたのだろう、だからネコでも共通認識、家族のような温かい存在がないと、ネコであっても、役に立てないのだと思います。でも、ネコを認める――、それをゆめの、ちのは、することができる。何もしないネコは悪者ではなくて、1人の大きな存在であって、いてくれるだけでよい。そんな存在なんだって思います。
まだ途中までしか、読み込むことはできなかったのですが、やっていく中でちゃんと深いところで理解していきたい、と感じました。
今回、今のところですが、主要役者を務めさせてもらうことになって、正直不安や、心配も多くありますが、でも、私はゆめのちゃんと一緒に成長していきたい、と強く思います。ゆめのちゃんを演じていく中で、たくさん、ゆめのちゃんから勇気や希望をもらいます。そうだ、そうあるべきなんだ。今、私はこんなふうになあなあに生きていくべきじゃない。ゆめのちゃんのように強い意思をもって、目的をもって生きていくんだ。今の私じゃいけない。と、いつも姿勢を正されます。演じていく中で、自分をゆめのに一体化して、ゆめののように、まっすぐに生きていきたいって思います。浅い世界で生きたくない。チャラチャラ、軽く生きたくない。ふざけて笑って、まともな日本語も話さずに、ちゃんとしたコミュニケーションも取れずに、人との境界線がわからずに、そんな生き方したくない。今までそれで苦しかったんだよ。変えたい。自分を変えていきたい。まっすぐに、自分の内側の正義に、勝つことができる自分になりたい。コンサートで、それを、自分の大きな壁を越えていきたい。そう感じます。
