11月4日
箇条書きで失礼します。
今日の気づき~あゆちゃんとの演劇練習~
・今まで脚本を読み込んでいたようで、全然読み込めていなかったということ
あゆちゃんが教えてくれたキャラクターの性格、背景がどこまでも緻密で繋がっていて、「読み込む」というのが本当はどういうことなのか、に気が付きました。
ちのは、医師を目指しているから「MOF」というノーベル賞のニュースのことを知っていること、「気になる! 見てみたい!」という気持ちがあると教えてもらいました。そのセリフを聞いて、どう思うか、背景まで繋げて考えないといけないのだと思いました。
・ちのは中性的 男勝りっぽさもある
自分の判断で生死が決まる場所で働くことを志望していて、男も女も関係がなくなるような、戦場に行くような勇気を持っている人。
救急救命医として活躍したい、という人だから、強さを持っていて、覚悟もある人なのだと思いました。私は、救急救命医を志望する人はどんな人なのか、どんな人であるべきなのか、ということを考えられていませんでした。
・あゆちゃんの表情がとってもチャーミング!
あゆちゃんが、実際にちのを演じてくれました。あゆちゃんの表情が、本当に魅力的で、思わず顔が緩んでしまうほどでした。
恥ずかしい、とか、隠れていたい、という気持ちがあるとお客さんに顔を魅せることができないのだと思いました。やろう、と思っても、すぐ顔を見えなくしてしまったり、思いっきり表情を作れなかったり。ダンスと同じように、自分を離れないといけないのだと思いました。
・「ちの」はどう思うだろう
あゆちゃんの脚本の深い解釈を聞いてから、自分でもそのくらい読み込んでみよう、と思い、脚本を見てみました。
最初の時よりは、こう思うかな、というのが増えたようには思うのですが、まだ分からない、と思ってしまう部分が多いです。
どうしたら「ちの」の気持ちを分かるようになるのか、考えが止まらないようになれるのか、課題だなと思います。
日ごろの生活で、「ちの」の立場になって行動する、見ようと努めることで何か分かってくるもの、見えてくるものがあったらいいなと思いました。
まだ、考えが止まってしまう部分が大きいけれど、今できることを地道にやってみようと思います。
ふわふわ、ぬるぬるはやめて、パキパキ動く。何に対してもやる気を持つ。フットワークを軽くする。物事をはっきりと言う。
論理を立てて考える練習をする。決断を早くする。
ずっとスタッフさんに言ってもらっていた、「本当は芯が強いと思うよ」という自分の本来の姿を取り戻せるチャンスだと思います。チャンスを逃さずに、今までなかなか変われなかった部分を変えたいです。
・一人じゃない
演劇部さんがいつも練習にいてくれます。終わった後に、おつかれさま! と言ってくれたり、ここはもっとこうした方が面白いかもと言ってくれたり、凄く心強さを感じます。
昨日の出はけの確認でも、コーラスやダンスのみんなが同じ気持ちなこと。みんなが劇の雰囲気を作ってくれているのを感じました。役割はそれぞれ違うけれど、目的はみんな同じだということを強く感じます。
・「ねこ」の存在。人間をやめてねこになる、そのことを受け止めることができる、というのはお父さんからのメッセージ
みんななら、ねこのこと、人間にもねこ的要素が必要なのかもしれない、ということの意味を分かるよ、というメッセージだと知りました。自分のMaxの能力で、自分にできないことがあっても卑下しないで、にこやかに、穏やかに過ごしていたら、それは存在意義があるということ、と教えてもらいました。あゆちゃんが、
「人々が、または国を統制する人が、“能力の高い人だけに価値がある”という価値観を持ち、それを信じていたら、この世界はどうなりますか」
と話してくれました。
私は、そんな世の中は、とても怖いと思います。能力が高くなければ、いらない存在だと言われる、存在意義はないとされる。そんな世界は優しくないし、とても生きにくいです。能力の高い人にならなきゃ、でないと私は生きてはいけないんだ、と思わせるような社会は苦しいものでしか、ありません。でも、今の世の中はその価値観がベースになってしまっていると思います。
そうあるべきではない、人間にも猫のように、微笑んで、その場にいてくれるだけで暖かくなる、そんな要素が必要だ、そういう猫的な存在の人も存在意義は絶対にある、ということを、コンサートを通じて伝えるということは、もの凄く重要なことだと感じました。
初めて脚本を読んで、「ねこ」の存在を見た時。私は、なのはなに来たばかりの時に、みんなにもらった、「ただその場にいてくれるだけで嬉しい」という言葉を思い出しました。何ができても、できなくても、その場にいてくれる、そのことで自分たちが救われるし、嬉しい気持ちになる。なのはなに来てもらった言葉、そして、自分がその言葉をかける側になった時の気持ちと「ねこ」の存在が通じるものがあるように感じています。
まだまだ、脚本のメッセージをしゃぶりつくせていないけれど、練習を重ねていく中で、しゃぶりつくしていきたいです。
