「夜風をきりながら」 そな

10月29日

 常に学び、発見を見出したい。

 日々、面接練習を見て頂き、ありがとうございます。
 今日の午後はあゆちゃんとの面接練習をさせてもらい、
 目的を持つ→目的に見合う計画をたてる→実行する→エラーが起きる→改善する
 そこでどうエラーを解消していくかとか、が大事。
 論理的に順序だてて物事を考えられるかどうか。

 自分の生活、今年の夏の畑の事、自分がここまでの生活で何を得たのか、
 また日常的に学び、発見をしっかりして、成長に繋げられる生活にできているのか、改めてちゃんと考えるきっかけになりました。そこで、重大な欠陥に気づいてしまいました。
 私は自分の失敗を自分だけのものに、恥ずかしさから、自分にこもり、誰にも見せない、ただの失敗にしてしまっていたという事に気づきました。
 かぼちゃの不作に関して。私はかぼちゃを大不作にしてしまった、でもノートの記録も、おざなりにして、そのままにしてしまった、軽視していた。
 あゆちゃんのお話を聞いていたら失敗も大事な一つのデータで、次につなげるための大事な材料である、という事に気付きました。
 畑の状態が悪いにしても、収量がとても少なかったとしても、それはそれで現状として受け止めて、書き記しておくべきだったんじゃないか、私は、全部投げやりに、人任せになっていたように思います。
 気付いていないからいいや、放っておけばいい、安易な考えでいたと思います。
 今更ですが、自分の思う限りで、分かる限り、知っている範囲内で、拙いものでも、ちゃんと記録します。

☆サツマイモ
 こっそり、すにちゃんが残してくれた中畑のサツマイモを、掘りに行きました。
 もう薄暗がりの外、軒下、農産倉庫を抜けて、中畑に向かって走ります。夜だけど、もう胸の高まりは抑えられない! 大きな声で叫びながら……。
 夜風をきりながら、3人で駆けました。それがとにかく幸せで、私が求めていたのはこれだって思いました。
 ハウスの前の草むらを走るだけ、でもその事がただただ幸せで堪らなくて、涙がでてくる。私はこのために生まれてきたのかもしれない、とも思いました。それぐらい、私は自然の中で過ごすために、自然で生きるために生まれてきたと思います。
 機械的な生活はどうにも体にも心にもフィットしなくて、自然だけが私にパワーをチャージしてくれる。自然というのは特別な存在です。
 いや自然じゃない、自然だけじゃなくて、仲間の存在もそう。
 皆と何も隠す事もなく、思い切りただただ走る。何の恨みも妬みも、マイナスな感情なにもない、綺麗な心で、ただただ自然を味わう。
 夏は毎日出ていた畑だけど、ここ2か月ほどは、勉強のため、ほとんど何の作業にも入りませんでした、
 外の空気はすがすがしくて気持ちよくて、仲間と自然の中で走る解放感。外の空気、自然は素晴らしいです。
 限られた時間、すにちゃんは、「あと何したい??」と笑顔で聞いてくれて、私はひとまず畑で寝転びたい! と一言。すぐさま、3人で手をつないで、背中から中畑の土にダイブ。
 幸せ、土が口に入っても、もうなんでもどうでもいい!(笑)ただ自分を思い切り解放する今だけの時間。うん、したいことはたくさんある、もう畝立てもしたい、植え付けもしたい、虫潰しも、誘引も、溝さらいも溝きりも、畑は苦手意識があったけど、そのはずなのに、やりたい事はたくさんでてくる。
 というか皆との大人数作業の活気のある、あの空気を味わいたい。
 皆と大変な事でも、力を合わせて仕事を成し遂げる、達成感。ここでしか味わえない特別なものです。
 やっぱりなのはなでの作業、音楽練習も、皆と過ごす時間は、かけがえのない、全てが一回きりの、邂逅なのだと思います。
 そうだ! 私はうわさに聞いていた、さらに背丈がぐんと伸びたオクラを見たくて見たくてしょうがなかった!
 奥に進むと、美しい、トーテムポールのようなオクラ達。ううーんたまらなくかっこいい。
 後は今の野菜を全然知らないから畑ツアーをしてほしい! とすにちゃんに無理を言って、ひとまず新いいとこの大根を見に行くことに。ネット掛けに一度だけ行ったきり、植え付けの時も知らなかったこの2か月の間に吹き込まれた命、もう葉っぱもそれなりの大きさになっていました。
 帰りしなにセロリのハウスに寄り道。セロリも苗の段階よりも明らかに大きくなっていて、たまらなく可愛い。ああ幸せ。

 私も、木の事も、鳥の事も、虫の事も、草の事も、コンサートで演じる“ねこ”が言うみたいに、これからもっともっと深く知っていきたいと思います。
 そうしたら、人の苦しくない、生き方が見えてくるかもしれない。

 鑑賞というのは、音楽や芸術に対して使われる言葉で、確かに、厳かで高尚なイメージのある言葉でした。
 哲学を学び、モラル、情緒を持つ。
 容易に人に対してすごいすごい言わない、「ふん、それぐらい私もがんばったら出来るし」、そんな態度でいる。自分の伸びしろに蓋をしない。