10月25日
今日は! ついに! 脚本の読み合わせでした!!
妖怪、というテーマと、なのはなファミリーと。一体どんなストーリーになっているのだろう。今日という日を、心待ちにしていました。
お父さんが、最近私たちに教えてくださっていたこと。「インディアンの言葉“kin”は、愛、と理解、の両方の意味をもつ。つまり愛=理解し理解される関係だ、ということ」「将来、車は水を燃料に動くことになる」など。
主人公の三人は、それぞれまったく違う境遇にあるけれど、手相見妖怪が「驚くべき縁のある三人だ」と言っているように、共通したものがあるのだ、と分かりました。ちのの前向きな正義感のある、「世界を変えるためにできることをしたい」という感情を一度見たときは、この人は素敵すぎるというか、お手本のようで、少し遠い存在に思えてしまいました。こうならなければいけないと思うけれど、立派すぎてお近づきできないような。ゆめのは、自己否定が強くて、ひこきもりこそしているものの、優しい世の中を望んでいる、今の世の中に満足していない。ゆめのが変わっていく過程を見ると、共感できるところがたくさんあるし、勇気をもらった感じがしました。対照的だけど同じ方向を向いているのが不思議だけど、どちらの要素も自分に当てはまる気がしました。
そして、「幸せとは、過去に関して使う言葉」というキーワードには、はっとさせられました。懸命に生きて、結果として得られるかもしれないものが幸せ。だとすると、幸せは受け身で待っていてもつかめるものではなくて、能動的に向かって行かないと出会えるものではない、ということだと思いました。人や職業に関してもそうで、前にお父さんが言っていた「天職かどうかは今分かることではない」の意味も、そういうことだと思います。
また、未来の日本が、明るい未来として描かれていることが、私にとっては意外でした。きっと二酸化炭素の排出が今後も増え続けて、水不足、温暖化が進んで、取り返しのつかないことになっていくのだろうな、と、諦観していました。社会の授業などでも、こういう問題があります、ということは聞いていたけど、それをどうしていくかを考えることはあまりしなかったように思います。でも脚本では、具体的にこうなる、ということが示されてあって、それは科学技術に関することもあるけれど、結局は利他心な世の中をつくることに集結していく感じがして、未来に希望を見いだせていることがうれしかったです。
正直まだ理解しきれていないこともあります。じゅりは、結局猫でい続けることになりました。私は、前半で、じゅりがある家庭にレンタルされることになったとき(こういう生き方もいいかもしれない)という感情が、いけないものだと思って、これが後半でどう覆されるのか、と期待していました。だからお父さんが「ちののような生き方もあるけれど、表立って活躍せずとも裏で支えるように微笑んでいる存在もいていいのではないか」とおっしゃられたのが意外でした。というか私自身が前者のような生き方をしてきたので、それが正しい、という誤った価値観をもってしまっていたのかもしれません。そのようなことも含め、もっと読み込んでいきたいです。
いじめ問題や、天国と地獄の世界など、小学生にも分かりやすいように工夫されていて、なんだか今回は話がとても入ってきやすかったです。
お父さんとお母さんが書いてくださった脚本。こんどは私たちがこれに肉付けして、つくっていく側になります。自分がどういう位置にあっても、コンサートをつくる一人としてできることを頑張ります。みんなの中の一人として、気持ちをそろえて、プレイヤーとして向かいます。
素敵な脚本を、本当にありがとうございます。
