10月11日
●責任を持つこと
個人的なことを書きます。
今日、誕生日を迎えました。お父さんお母さん、みんなの気持ちをたくさん頂けて、心がぽっ、ぽっ、とあたたかくなっていきました。
それぞれの子が、こちらに笑顔を向けてくれて、自分との今までのエピソードや思い出を話してくれました。中には「ああ、またみんなとこんなイベントがしたいな」とわくわくしたり、「そんなこともあったね!」とにやりと笑ってしまうこともありました。
自分がなんてことないと感じたり、見落としたりしてしまっていた出来事を、みんなが大切に持っていて、取っておいてくれていました。
わたしは自分が思っている以上に、誇りと自信をもって、確かに生きていていいはずだったのに、そう思えていませんでした。
みんなの言葉で気が付かせてもらって、本当に幸せでした。
お父さんお母さんが話してくれた言葉が有難かったです。
さすがお父さんお母さん。すべてお見通しで、お父さんお母さんだからこそのお祝いの言葉であり、これからの自分のための応援の言葉なのだなと感じました。
「なのはなに来てから、何でもできるしオールラウンドにこなせるようになった。でも、足りないのは責任を持つこと」
お父さんが話してくださったとおりです。
わたしはまだ、どう表現していいか分からない怖さを持っていました。それが、『責任』と関係していたのだと、お父さんの言葉で深く納得しました。
深いところまで突き止める、高いレベルを求めていくのが怖い。
それは責任を取らなくてはいけなくなるから。深めていけばいくほど責任が重くなって、自分が傷つくことになることが怖い。ダメージを受けることを恐れてしまって、進めなくなっていました。
でも、もう「それなりにやる」「それなりに生きる」という浅いところで手を打つ生き方をしていては、本当にちゃんと自分の心が望むようには生きられない。この命を全うすることはできないです。
これからは、お父さんが話してくださったように、「自分は重大な存在」という意識を常に持って、そんな責任感を持った人になりきって、生活していきます。柱になれるような強さ、ぶれない心を持つため、もっと鍛えていって、「柱男」ならぬ「柱女」になります。
「みつきのゆるさや、抜けているところに、みんながホッとしたり、助けてもらったんじゃないかと思うよ」
とお母さんが話してくださいました。わたしは落とされた、ひどいことを言われたという感情は毛頭なくて、むしろ安心して、涙が出てきてしまいました。本当に、わたしはできないところも未熟なところも多いけれど、そんな自分も丸ごと好きだと、なのはなの子としても家族としても受け入れていただいてるのだと分かって、泣けてしまいました。
出来てるふりや隠そうとはしなくていい、本当に自分は自分として居られる環境にあることが、本当に幸せです。
なのはなに来る前の自分を忘れません。なのはなに来られたから救ってもらった命、なのはなに来たからこそ始まった人生を、ちゃんと生きていきます。
