10月8日
今日は今期初、栗の収穫に行きました。栗林の栗を拾い集めていると、額から汗の筋がたらたらと流れてきて、夏のような暑さを感じました。
栗林だけでも、今日の収量は24.7キロでした。ひたすら栗だけを見つめていると、宝石の山のような栗の艶やかさに、その中に飛び込みたくなったりしました。
私はなのはなに来てから、一番好きな食べ物ができました。そう、それこそなのはなの栗。世界一おいしい栗。今まで栗は苦手だったのに、なのはなの栗を食べてから革命が起きたみたいに私の中で虜になっています。栗や柿が採れると、秋を感じます。地域の方の柿の木も、どこを見ても鈴なりに実がついていて、豊かな気持ちになります。
今日も、回転寿司式OMTをさせてもらえた時間がありがたかったです。
今日はいつもよりローテーション気味でしたが、これをしていると自然と口角が上がってきて、みんなの嬉しい言葉ににやけてしまって、表情筋が痛くなるほどです。
今回は3回目くらいでしたが、自然と同じ言葉の繰り返しにならなくて、正直驚きました。みんなも、毎回違うところを褒めてくれることが嬉しいなと思います。
午後のはじめに、お父さん、お母さんが、正しい評価をすることについて、自分たちは評価される側じゃなくて、評価する側にならなくてはいけないことについて、お話をしてくださいました。
子ども=かわいい、花=きれい、○○=おいしい、みたいに、ある対象物に対して、自分たちはステレオタイプの感じ方で評価してしまっていて、物事の本質を見抜けていない。浅いところで手を打ってしまっている。お父さんだったら、全部が全部かわいい、と評価しなくて、もっと可愛いを要求する。
昨日のハウスミーティングで教えていただいたお話と重なる部分がありました。
昨日のHMでの質問は、好きな気持ちについて、でした。
私は以前から人のことを好きになりやすいタイプでしたが、最近はその好きの対象が広がったり、前から好きだった人はもっと好きになったり、好きの気持ちが大きく膨らんでいるように感じます。自分が好きだから人のことも好きになれる、そう思うと、この好きな気持ちは自己愛性、自己陶酔からくるものなんじゃないか、と思いました。よって、今の好きな気持ちというのももしかしたら人格障害的な要素の残滓が尾を引いていることになるのか。好きな気持ちの方向性が、間違った方向へ傾いていないか心配になっている、という質問でした。
お父さんの答えは、一言で言うと「何でも好き、というのは浅くなってしまう」というものでした。自分が好き、という気持ちは同時に誰かに自分を肯定してほしい、という気持ちでもあること。お父さんが私の年代くらい若い頃は、枯渇感が先に立ち、あまり人を認めるような感じではなかった。何でもかんでも好きになってしまうと、浅いところで終わってしまう。好きのレベルも、物によって変えていくべき。という答えでした。
そのとき瞬間的にはすぱっと理解できなかったのですが、じっくりと時間を掛けて理解が追いついていくような感じがします。
今調子がいいからといって、浮ついて何でもかんでも好きを拡大していくことは、リスクがあるような気がしました。自分の調子が良いからといって、他が見えていないと誰かを無意識に傷つけてしまったり、ある瞬間にどん底に触れて今の好きな気持ちを真っ逆さまに裏返してしまうかもしれない。誰かから自分のことを肯定して欲しい気持ちがあることもわかって、恥ずかしいような気持ちになりました。もっと謙虚に、地に足付けて過ごそう、と思いました。
夕方4時からは台所のヘルプに行きました。
やったことは、コンポストの処理、トイレ掃除、ゴミ捨て、洗い物、などです。今まであまりやったことのないものもありましたが、やり方を聞いて、覚えることができました。もう明日からは一人でできそうです! なっちゃんやまことちゃんが助かったと言って喜んでくれて、嬉しかったです。いつかまえちゃんが教えて下さったみたいに、新人が下積みをするように、腰軽く誰でもできることを進める。それが実践できたような気がします。その手が空いた分まことちゃんやなっちゃんが調理に専念できたことが、よかったなと思います。まことちゃんが17時からマーボーナスを作り始めました。え、今から作るんだ! と思っていて、洗い物をしながら見ていたのですがまことちゃんがてきぱきと手際よく調味料を入れたり、混ぜたり、取り出したりしながら進めていて、すごい! と思いました。大きい大鍋だから、普通の調理より遙かに大変だと思うのですが、パワフルに動いていて、かっこよかったです。こんな風に作られているんだ、と途中までしか見ることができなかったのですが、それを見ていたら、夜ご飯のマーボーナスがより一層おいしく感じました。
作業で台所に入ることは初めてで、ほんの1時間くらいだったのですが、こんな風に台所は回っているんだなと知ることができて、新鮮でした。
いろんなところで、いろんな作業を体験させてもらう中で、自分の中の幅が広がっていくように感じます。好きを深めることはすごく大切なこと、とお父さんが仰っていました。今までアニメやゲーム、漫画の中の世界がすごく面白いと思ったり、深いなと思ったり、好きだ、と思っていました。けれど、お父さんやなのはなの考え的には、アニメやゲーム、漫画は小説よりも情報量が少なく、浅い。ということを知りました。はじめはあまり納得できなかったけれど、今は、本当に深い世界は生き方の中にあるのかもしれないと思いました。朝食後の外回り掃除で、いかにより多くの落ち葉をかき集めるか。そのこと自体は、世間体で見ると些細な小さな事に思われるかもしれないけれど、そういうミッションの連続で一日が成り立っていて、1年、50年、人生が作られていくのだと思うと、毎日、浅いところで手を打たずに、高いレベルを追求しながら過ごしていきたいと思いました。人を好きな気持ち、ものごとを好きな気持ち、人に対する評価、これから作り込んでいくウィンターコンサート、どれをとっても、本質に見合った深さを持って、向き合っていきたいです。
そして、まずは、お父さんのお誕生日会があと数日で本番です。仕上げなくてはならないダンスが2つあります。かなりピンチです!!! お父さんのインスピレーションを刺激できるステージになるよう、仕上げていきます!
