「自分と同じ人がたくさん居る」 みつき

9月27日

●自分と同じ人がたくさん居る
 
 お父さんが昨日の夕食の時に話してくださいました。
「今は摂食障害を治そうと思う人が少なくなっている」
 つまり、摂食障害のままでいい、症状を抱えて生きていこう、と思っている人が多いということです。
 
 グサリとくる衝撃を感じました。でも、それはショックを受けたのと同時に、自分自身も全く同じように思っていたことを言い当てられたようだったからだと思います。
 症状に逃げて、過食嘔吐をしているときが一番の幸せで、何もかも忘れて楽になれる。
 症状を手放した人生なんて想像もつかない。
 
 わたし自身、そう感じていました。でも、そんな自分を許さない、良しとしない自分も居ました。
「本当にこのまま人生が終わっていいはずがない」
「絶対にどこかに、生きていける道があるはずだ」
 そう思っていて、死にたいという気持ちと同じくらい、いやそれ以上の生きたいという気持ちがありました。生きたい、生きたいのに、ちゃんと生きられそうにないから死にたい、消えてしまいたいと、どん底へ落ちてしまいました。
 
 自分と同じように感じている人がたくさん居る、増えているということを聞いて、
 だからこそなのはなファミリーをもっと広げていきたい、と感じました。
 わたしには必要ない、治す気もない……そう思っている、諦めてしまっている人に、
「こんな世界があるんだ、ちゃんと人として、活き活きと生きていける人生がある」
 ということを、伝えていきたいです。
 同じように感じていたわたしにはそのことを伝える使命がある、この使命を果たしていけるように、これからのコンサートや毎日を過ごしていきたいです。
 
 
●『嬉しい』は使わない!
 
 
 今日は、演劇部で企画して、みんなとあるミッションにチャレンジしました。
 食事のコメントで、感情解像度向上トレーニング! 「嬉しい」がNGワードになって、みんなでコメントを回していくというものです。
 
 昨晩の演劇部の集まりで、「どうしたらみんなで普段からも発声や、表現力を鍛えていけるか」と考えたときに、1番はじめに思い浮かんだのは、食事のコメントで鍛えていくことでした。
 毎日3回、みんなの中で話す時間、表現する時間を与えてもらっているけれど、それをうまく使えているか、自分のものに出来ているか、と考えたとき、「うーん……」と首をかしげてしまう感じでした。
 恥ずかしさや、外れたり間違える怖さが先に立って、嬉しいことや楽しいことだけだったり、同じことの繰り返しだったり……当たり障りのない、なんだか枠にはまったようなことしか話せていないな、と思いました。
 わたしは、なおちゃんやあゆちゃん、お父さんお母さんの食事のコメントが好きです。なおちゃんたちが自分のコメントと違っているのは、ニュース性があって、もし悲しいことや残念なことだったとしても、正直に、自分の言葉で話していること。だから、聞かせてもらってワクワクしたり、笑わせてもらえるんだと感じました。
 
 話し合いの中で、何気なしに、「『嬉しい』という言葉を封印しちゃったらどうだろう……?」と言いました。
 「~~ができて嬉しかったです」、「嬉しくて」、などと『嬉しい』という言葉を多用してしまっているけれど、『嬉しい』にも種類があるよなあ、と感じました。
 
 他の言葉を使うなら、例えば「気分がはしゃぎました」「グラウンド3周できそうです!」とか……。なるほど! いいかもしれないね! と演劇部で盛り上がって、実際にみんなと食事のコメントでやってみることができるのが、とてもワクワクしました。
 
 確かにこれは嬉しくて良いニュースだったけれど、深く考えてみると、どのくらい嬉しかったのか? その嬉しいはどういうものか? 自分が今日過ごしてきた時間を、改めて深く考えて言葉にしていかないといけなくて、こうやって表現力を作っていけるのが良いなあと感じました。
 みんなのコメントも、いつもよりもニュースがたくさんで、それぞれの子が何をして、何を感じたのかを共有させてもらえた気がしたし、
 りゅうさん特製の中華丼もすごく美味しくって、何杯でも頂けそうな、食べたらどこまでも走っていけそうなくらい元気が出ました!
 毎日が、表現の場であることを意識しながら生活していきたいです。
 
 
●曲に包み込まれる
 
 今日の音楽合宿では、コーラスとダンスと、バンドを合わせることができました。
 なのはなのバンドがすごいなあと改めて感じました。今まで音源で聞いていた曲が、本当にここにある。コーラスを歌っていて、自分のすぐ後ろ、ステージから広がっていく音は、イヤホンで聞いていたのよりもずっと壮大で、大迫力でした。
 身体が勝手に動いてしまうくらい、自分の全身が曲に包み込まれていくのを感じました。
 バンドメンバーのみんなが居てくれて、歌ったり踊ったりできることは本当に誇らしいことです。
 
 『ボヘミアンラプソディ』を初めて合わせてみて、歌うと、「ああ、本当にコンサートで、ホールで歌うんだな」という実感が湧いてきました。歌い始めの、みんなの声や呼吸を揃えることに神経を集中しさせている、この緊張感やしんとした空気が、やっぱりコンサートに向かうには欠かせないです。
 
 あゆちゃんの歌声を聴いていて、気が付かせてもらいました。メゾソプラノのパートでは、主旋律のあゆちゃんと同じメロディを歌わせてもらうところがいくつかあります。2番ではあゆちゃんと一緒に「I don’t wanna die」と歌うのですが、わたしは、まだフレディにも、あゆちゃんにも、気持ちが届いていないと感じました。そこまで気持ちが到達出来ていなかったです。
 
 人生が始まったばかりだったのに終わってしまったよ、でも死にたくないんだという切なさ、悲しさを、あゆちゃんはそう歌うんだな、こう伝えるんだな、と分かって、あゆちゃんの歌声に目がうるっとしました。歌詞だけではなくて「Mama ooh-ooh」と歌っているところだけでも、涙が出そうになる、感じ取れるものがあるのは、あゆちゃんの心の深さや強さだと感じました。
 もっとこの曲に込める気持ちを理解して、意味のある、なのはなの『ボヘミアンラプソディ』にしていきたいです。