9月7日のなのはな

この1時間に何が起こったのか。人も同じ、楽譜も同じはずなのに、どうしてまるで違う音楽に変わったのか。その変わる過程をお話しましょう。

そのはじまりは正午。パート練習の後、私たちは音楽室で集まりました。昨日、あゆちゃんマジックにより一回目とは見違えるように変わった私たちは、その魔法が解けないように、パートごとに練習をしました。
最初に合わせて、それぞれパートの努力の成果が集まり、昨日よりもさらにパワーアップしました。しかし、そうなると、もっともっと良くなる伸びしろが見えます。あゆちゃんが、アドバイスをくれて、その度に音が変わりました。

最初は、だいたんに。だけど、だいたんに出た後は、その緊張感をすぐに捨てて、ミステリアスでステージをたくらみどおりにしてしまうくらいの余裕を持って吹くこと。金管の華やかな音の後ろで軽やかに動く高音の音は、頭の良いねずみがケタケタ笑いをしているようなミステリアスさで。トロンボーンのメロディは、アルプスの山脈の上で吹くようにのびやかにスケール大きく。トランぺットは、オペラ歌手のような声で。
あゆちゃんの言葉により、その曲の世界が深まり、自分の見る世界のせまさを感じ、もっと世界を広くしたいと、わくわくした気持ちになります。一言一句もらしたくないと思って聞いていたら、楽譜がすぐに書き込みで真っ黒になってしまいました。


そして、お父さんとお母さんが、聴いてくださいました。少しの沈黙の後、「できてるじゃないの」というお父さんの言葉が、本当に嬉しかったです。でもそこで安心せずに、もっともっと高みを目指したい!
お父さんが、もっと良くなるアドバイスをくれました。今回のコンサートのテーマになる『妖怪』について話してくださいました。妖怪は、あらゆるものを悪いものに変えてしまう。自立したつもりになっても、実は、誰とも関係がとれず、誰のことも信頼できない。信頼できる存在がいなかったら、自立した妖怪になってしまう。自立した人間ではない。そんな、妖怪の気持ちで吹いてみましょうと、お父さんが言いました。

その後の演奏は、魅力的に破綻しました。しかしそれでは、ごちゃごちゃで何を聞いたら良いのか困ってしまう。それぞれ、パートごと、同じ音を吹く楽器ごとに、強弱の合意をとりました。そのことで、音が整いました。しかし、音が浅い。
その後のお父さんの話が印象に残りました。強い音も、弱い音も、内側にためを作って、ためてためて、音を出す。小さな音も、強い音も、体の締まり具合は一緒。小さい音だからといって楽をして吹くと、浅い音になる。

このお父さんの言葉が、心に残りました。私は、他の曲を吹くときでも、自分の音の浅さに悩んでいます。それは、自分に対する厳しさが足りなかったんだと思いました。楽をせずに、ねばってねばって、深い音を吹く。
そのことを意識するだけで、ガラリと変わりました。理想にはまだまだまだはるかに遠いですが、意識だけでこんなに違うのかと思いました。これから、意識を高く持ち続けて吹き続けたら、もっと音が変わるだろうと、希望が見えました。

それから、最後の伸ばしの音の、メインとなる音をひとつひとつ確認したら、同じ音なのにまるで違うものになったのも、おどろきでした。何を聞かせたいかをハッキリとさせることがどれだけ大事かを感じました。
今日の合わせで、この曲への理解が私はまだまだ浅いことを感じました。だけどそれは、これからもっと深くしていけるということなんだと、わくわくした気持ちでいます。頑張るぞ☆


『ストーンオーシャン』も、少しずつ形に近づいてきています。今日は、管楽器で集まり、苦手なところを繰りかえし何回も合わせました。速吹きが難しいところは、音を分解して繰りかえしました。地道だけれど、そうすることで吹きやすくなりました。

塵も積もれば山となる。コツコツと積み重ねて、大きく育てます。これからの『ストーンオーシャン』にこうご期待!
(えつこ)
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世界中に名の知れた名曲、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」。
2025年ウィンターコンサートの幕開けは、この曲とともに始まります。
「mama, just killed a man」
ママ、たった今人を殺してきてしまったところだ__
冒頭からの衝撃的な歌詞が胸を打って、その場から動けなくなるような、しっかりと心を掴んで離さない切なさが、心の中に確かに存在している何かと共鳴します。

この曲は昔から知っていたつもりでしたが、今こうして、みんなと創りあげていく過程の最中にいると、この曲に対する印象が、これまでと全く違うように感じます。
なのはなファミリーでは、この「Bohemian Rhapsody」を以前去にも、やったことがあるそうです。
ウィンターコンサートで演劇のリーダーをしてくれて役者としてコンサートを支えてきたお仕事組さんのなおちゃんは、「この曲は私の原点の曲」と話していました。
毎年コンサート会場としてお借りしている勝央文化ホールでなのはなファミリーが最初に披露した演目も、この「Bohemian Rhapsody」だったそうです。
もう一度、今いる仲間と「ボヘミアン・ラプソディ」を復活させられるのだと思うと、鳥肌が立つような、誇り高い気持ちになります。
今日は初日の音入れを行いました。


さとみちゃんが作ってくれた3部構成の楽譜を受け取り、ソプラノの人はよしえちゃんの待つ体育館へ。メゾソプラノの人はしなこちゃんの待つ3年生居室へ。アルトの人はまなかちゃんの待つ図書室へ。
コーラス係さんと、各パートに分かれて練習を行いました。

私は、しなこちゃん先生に教わりながら、7人のメゾソプラノメンバーと音入れをさせてもらいました。
幾重にもコーラスが重なり、めまぐるしくテンポが変化するこの曲は、まさに、世に溢れるコーラス曲の中でも難関中の難関…! という気がしていて、緊張していました。と同時に、この憧れの曲をみんなと歌える嬉しさ、この曲を好きな気持ちが後押しして、緊張より嬉しさ、やる気が勝っていました。

出だしは、ナチュラルの「ソ」の音から始まります。
主旋律になっているアルト、音のとりやすい高音のソプラノにはさまれてハーモニーが生まれる、なかなか音のとりにくいメゾソプラノの冒頭です。
静かに、少しずつふくらみ、広がりをもって進行していく前奏の途中でメゾソプラノが主旋律に変わって、受け渡すようにボーカルの主旋律へと進んでいきます。
明るいのにどこか寂しげで、ゆったりしているのにどこか不安定さがあって、不思議な曲調だと感じました。

繰り返しのサビを経て、曲調が大きく変化します。
早口の英語の歌詞と、いったりきたりする音程に戸惑いました。
聞いたままを発音していると、自分たちがフレディたちと同じ音を出せて、なんだか英語を話せるようになった気分だねとみんなで話しました。

この曲の中で最も難しかったのは、早口になって高音と低音で掛け合いになる、後半のところです。
「No No No No No No No!!」
と音が半音ずつ上がっていき、長調なのか短調なのか、いったりきたり。いきたいところに音を乗せられずに、ちょっとずれたところに着地するようなメロディーで、最後のNoは明るく着地!といったフレーズです。
シャープ、ナチュラル、フラットのオンパレードで、ピアノで音を確認していてもやや混乱気味。
何度もみんなで音を確認しました。
4つめのNoで首をちょっとかしげて疑問系にすることで、ちょっと音がずれたところに着地しやすくなったことを、ゆうなちゃんが発見しました。

実際にみんなで4つめのNoで首をかしげてみると、面白いくらいに上手くいきました。
コンサート本番でも、これを振りの一部として採用してもらえないだろうか。と本気で思いました。
そうしてみんなで模索しながら、3ページにわたる音入れをコツコツと進めていきました。

目標時間の1時間前。全ての音入れが完了しました!早い!
残りの1時間は繰り返し難しいところを練習し、全員での合わせに備えました。
そして、いよいよ、合わせの時間になりました。


図書室に集合し、それぞれの練習の成果を発揮することに。うまくいくか、いかないか、どうだろう。今まで練習してきたかすかな自信はありましたが、いざ合わせてみると、つられまくってしまいました。
絶対につられないぞ! と思っていたのに、がーん…
それでも何度か合わせていく内に、自分の音を見失わないようになって、空間に生まれた立体的なハーモニーを認識できる場面もいくつかありました。

それはほんの一瞬でしたが、やはり綺麗に重なるとカチッとパズルのピースがはまったような、一瞬時が止まったような、あるべき形がはっきりと見えたように感じます。
もっとその瞬間を増やして、つなげて、一瞬がやがて永遠になるよう、これから積み上げていきたいです。

まだまだコンサート練習も、走り出したばかり。まだまだ未開拓の境地がたくさんあって、知るべき事も待っているのだと思います。あゆちゃんが、いつかこの曲を和訳してくださるのだと思います。これからたどり着く、新たな見解、あるべき形へと導く解釈、これから出会う素敵な登場人物が、少し先で待っているのだと思うと、楽しくて、嬉しくて、夜も眠れなくなりそうなくらい、どこからとも無くエネルギーが沸いてくるようです。

今回の音楽合宿で得た物を確かに自分の中に落とし込み、これからにつなげられるような練習を、これからもしていきたいです。
(ほのか)
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