「成長し続けて、行き止まりが無い、そんな生き方」 ほのか

8月19日

 治るのか、治らないのかではなく、お互い様の関係で、自分もなのはなに助けてもらうだけではなくて、自分もなのはなの力となれるよう、できることをする。治す側、治してもらう側の関係ではなくて、お互いに成長していく、横並びの関係。
 人それぞれの道の上で治っていくというよりかは、みんなで一緒に、同じ気持ちで揃って成長していく。
 おいしい甘い桃を食べるとすると、同じ甘い桃だとしても、おいしい、おいしいと言って自分だけ食べて人には分けない、というのは利己的だけれど、おいしい、といってみんなにも分け合って、おいしいという気持ちを共有して、他人に映すことで、その気持ちを固定することができて、もっとおいしく、嬉しくなる。それが利他的。

 今日の集合でお父さんお母さんに教えていただきました。

 未熟な私が偉そうに豪語するものではないと自負しているのですが、少なくとも今日感じたことを書き留めておこうと思います。
 
 治る、治らないとか、そういう区別、線引きのようなものは、自分が想像していたものではなくて、あってないようなものなのかな? と思いました。
 
 今まで、治った人、とか利他心というのは、なにかバッジのようなもので、ある段階に到達できた人だけがはいどうぞ、ともらうことのできる、どこかゴールがあるようなものと思っていました。けれど、今日のお話を聞いて、それは間違っていたかもしれないと思いました。
 
 利他心は終着地点や終わりがなくて、どこまでも広がっていくものなのかなと思いました。
 
 自分の体は借り物だから、自分に拘って悩んだり、停滞してそれ止まりなのはもったいないことだなと思いました。
 どう自分を楽しませるか、どう自分を飾りたてるか、というスタンスで今まで生きてきてしまっていたけれど、大事なのは、この体で何ができるかなのかな、と思います。
 
 私は人を助ける仕事がしたいと思っているから、それならば人より一回りも二回りも気力、体力を養って、タフで動ける人になっていかないといけないと思います。
 
 今やっていることのひとつひとつが、直接的な疑問の解決にならないかもしれないけれど、いつか点が線になるときがくると信じて、どこまでも謙虚に過ごして行かなくてはならないなと思います。どん底を知っている自分たちだからこそ、日々前向きに、落とし穴と隣り合わせでも、前を向き続けなくてはいけないと思いました。それで完璧になれなくても、仲間が自分の凹凸をカバーしてくれていて、自分も仲間の凹凸をカバーして、落ち込みすぎないで、できることをしていこうと思います。
 
 人と関わり合って、影響を与えて、与えられて、何歳になっても成長し続けて、行き止まりが無い、そんな生き方をしていきたいと思いました。