「良い結果がおとずれることを信じて」 ほのか

8月14日
 
 気がつけばなつおとめや清水白桃が樹から無くなっていて、あっという間に晩生の収穫が始まりました。
 まだまだ先と思っていたはずのおかやま夢白桃や白麗が熟れ始めていて、桃のシーズンが終わってしまうような予感がして、それが少し寂しいです。ですが、夏野菜の収穫や、ゆうなちゃんが誘ってくれている芋掘りなどがみんなとできると思うと、それも楽しみです。
 
 今日は、みんなと人形劇を見に行かせていただきました。今朝初めて知ったので、サプライズでした。
 ホールで行う人形劇は想像がつかなかったけれど、今日見させていただいた人形劇は人形だけでなく生演奏、タップダンス、シアターを使った大迫力のもので、世界に飲み込まれるようでした。
 このお話は1960年代の実話が元にされていて、当時の実際の映像や、聞き慣れない外国語がたくさん登場していました。過去の映像で映し出された東京は、今の東京とはかけ離れているように感じました。主人公チェスラフスカさんの活躍や、チェコ、ロシア、ヨーロッパの諸外国がどのような歴史を経て形成されたのか。私はよく知りませんでした。今も知らないことだらけです。私は見たことのない、知らなかった歴史の延長上に生かされているのだと感じました。自分が知らないところでたくさんの偉業が達成されていたり、紛争があったり、分裂があったりするということを、考えられていませんでした。
 
 視野が狭かったと思いました。自分のことにとらわれたり、今のことしか見えなかったり、自分が悩んでいたことはなんてちっぽけなことだらけなんだろうと思いました。
 
 私は今の自分からいちはやく脱却して、もっと利他的な人にならなくては、と思って、でも考えすぎて、本当の利他って何だろう、とよくわからなくなってしまいました。
 あけみちゃんがあるとき、「普通に、良かれの気持ちで、誰かが喜ぶかなって思うことをやったらいいんだよ。目の前の人とか、これから先の人がやりやすいような。もっとシンプルに考えたらいいよ」と教えてくれました。
 
 私は考えることを放棄しました。自分で理屈立ててあれこれやるのはやめようと思いました。どうなるかわからないけれど、うまくいくかもしれないけれど、うまくいかないかもしれないけれど、きっとみんなにとっても、桃や野菜にとっても、もしかしたら自分にとっても良い結果がおとずれることを信じて、委ねる。自分のジャッジは入れずに、自分をリフレクションする時間も作らずに、常に前向きな姿勢で、あれこれ考えずに、シンプルに動いていこう。と思いました。その気持ちが、お父さんが言ってくださった「大船にのったつもりで」ということなのかな、と思いました。
 
 正しくあらなければ叱られるのではないかと思い、それが怖い気持ちがありました。
 きたわけ納涼祭の前に、お父さんは「推定無罪ではなくて、有罪でいいんです。」と話してくださいました。私は無罪です、という真面目で一生懸命な人はやめてください。有罪で、でもどこか目が離せなくなるような、スターのような輝きを放つ顔をしてください。と話されていました。
 その言葉を聞いて、今まであった怖い気持ちが無くなりました。
 多少間違ってもいいから、良かれの気持ちで動いていこうと思いました。