7月24日のなのはな


道中に並んだ提灯が、日が落ちると共にその明かりを広げ始める、午後19時。
夏のこの時刻はまだ昼間の明るさが残っていて、出発前、旧出雲街道勝間田宿の一角に並んでいると、祭りの前の静けさが風に乗って感じられます。
7月24日、勝央町の夏祭りを代表する勝間田天神祭の3日目である今日、勝央音頭保存会の一員として、道中踊りに参加させていただきました。



出発前、お昼のミーティングでは、お父さんが踊りに向かう上での心構えを話してくださいました。
「ここで回復していった先輩たちが積み重ねてきたように、今度は自分たちが、これから助かる人を増やしていく。その心持ちを、表現に反映させる。音楽や、スポーツ、自分たちが作る野菜も表現の一つなら、今日の踊りも、自分たちがどう生きていくかという気持ちを作る手段の一つになる」
「どう見られるか、ではなく、自分たちがどう魅せるか。
より綺麗に、より美しく、何十人分の一だからと誰かの陰に隠れるのではなく、一人ひとりに後光が差して見えるように踊ってください」
お父さんのお話を聞かせていただいて、ただ綺麗に踊るのではなくて、意思を持って、私も後光が差して見えるように踊りたい……と、やる気と、楽しみな気持ち、緊張、様々な感情が一気に溢れてきて、迫り来る本番に胸が高鳴りました。

揃いの浴衣に背中で大きく結われた赤色の襷が華やかな、この衣装。襷と口紅の赤がマッチして、一人ひとりの佇まいに凛とした空気が漂います。
ペアでの着付けを行ない、本番まで待機します。
なおちゃんがペアで、私の着付けをしてくれました。しわ一つ無い整った浴衣姿があっという間に完成しており、気がつけばなおちゃんも美しい浴衣姿に変身していました。



腰紐を締めると同時に、自分の気持ちも引き締まるようでした。
浴衣を羽織っただけでも、いつもとは別次元の自分になれるように感じます。この美しい浴衣に相応しい自分にならねば、と背筋が正される思いに駆られます。
凛とした美しい浴衣姿の一行が外へ出ると、その瞬間にお客さんの視線が集まりました。

先導車が流す祭り囃子が道に響き渡り、『勝央音頭』から踊りが始まりました。
はじめ、私はほどよい緊張感が初々しさを醸し出して、どこかぎこちなさが感じられる踊りになってしまいましたが、丁寧に坦々と進むうち、踊りやすくなっていきました。
沿道の方々が立ち止まって見てくださり、一曲終わった後には拍手を送ってくださいました。
行き交う人々の表情や、食べ物屋台の香ばしい香り。だんだん暗くなる道と対照的に眩しくなる屋台の明かり。自分より前で踊るみんなの列を見ると、整然と並んだ一行は、それらと同化して、風景の一部となったようでした。





踊りながら進めば、道行く人を異世界に連れていってしまうような、非現実的な魅力が和の音楽と共に、その場に広がっていきます。
日本人としての誇り。古くからの伝統を継承する、責任感。よく生きたいと願う、真面目な気持ち。純潔さ、上品さの根底にある強さ、潔さ。私はこのような気持ちを感じながら、この浴衣を身に纏い、踊りました。これらの気持ちはきっと、古くからの、日本人のルーツに繋がっていると思いました。

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踊りが終盤に向かうにつれ、「ああ、終わって欲しくない」と感じました。いつまでも、どこまでもみんなと列になって踊っていたい。夜が明けても、どこまでも、果てしなく続く道を踊り歩きたい。そんな気持ちになりました。
復路につく頃には完全に夜の暗さになり、お客さんの数も賑やかに増えていきました。
すれ違う御神輿の集団のかけ声も勢いを増し、夏祭りの醍醐味を感じられるような、賑々しい空気の中、最後まで踊りを続けました。
みんなの姿が暗闇に包まれると、神秘的な美しさがより一層感じられました。屋台や街灯の、橙色の光が私たちの顔を照らし出していました。






やがて踊り始めた場所へたどり着き、道中踊りは終わってしまいました。安堵と、幻の一夜が終わってしまったという少しの寂しさが交互に感じられて、足かけ紐を解くと魔法が解けたみたいに、一気に現実が戻ってきました。
踊りは終わってしまったけれど、心の中は踊っているときと同じように、背筋を正して、よくありたいという気持ちを前に出して、表情を作って過ごしていきたいです。踊りだけでなく、畑作業や、日々の生活にもこの気持ちを反映させて、心の中ではどこまでも踊り続けようと、そう心に誓います。
(ほのか)

