「ハウスミーティングで」 るりこ

7月◯日

 お父さん、お母さん、駆け足になってしまいますが、日記を書きます。

 一昨日のことですが、ハウスミーティングに参加させていただきました。
 校長室でお父さんから直接、質問に対する答えを教えてもらうとき、もちろん緊張はあるけれど、やっぱりお父さんの目を見て、直接答えがもらえるという安心感があると感じます。

 わたしは仕事に関する質問を2つさせていただきました。

 1つめは、リーダー的ポジションに立ったときに感じてしまう、自分自身に対する恥ずかしさについて。
 自分なんかがやっていいのだろうかという気持ちや自信がない気持ちから、仲間に指示を出したり、全体に声かけをするときに、どうしても恥ずかしさが出てきてしまって、それが声の大きさやトーン、ニュアンスで表れてしまう。
 この自分が恥ずかしい気持ちをどうしたらなくせますか?

 お父さんはまず第一声、「それは自意識過剰だからだよ」と。
 わたしは、自分がどう見えるか、どう見られるかという自分のことを考えるから恥ずかしくなってしまうけれど、周りの人は、わたしがどんな人間かということは気にしていないし、見ていない。
 「るりこ」という人間じゃなくて、「リーダー」という期待される役職を見ている。
 だから、リーダーがどんな指示を出すか、ということを求めている。
 
 このことを聞いて、言われてみればその通りだと思いました。
 特に土日の忙しい時間帯なんか、もういかに素早くバーガーを作るかということや、どのくらいビーフを焼こうか、フライを揚げようかということしか考えていない。
 そこに、(今日のリーダーはどんな人間か)なんて、1ミリも考える余地がなくて、それよりもすべてのエリアが滞りなく運営できるために、自分の動きは合っているのか、その判断と指示、フィードバックをくれ! ということしか考えていないです。
 わたしもクルーの立場であれば、そういうことを求めているなぁと、つくづく思います。

 それがリーダーが、「わたし恥ずかしいんで」とか言ったり、そういう素振りを見せていたら、うるさい! あなたの個人的感情はいまは持ち出さずに、リーダーとしての責任を果たしてくれ! と言いたくなると思います。

 お父さんがPTA会長で演説を任されたときのエピソードを交えながら、「僕も恥ずかしかったけれど、堂々とやってみせた」「こう思わせたいという役を演じるんだよ」と話してくださいました。

 改めて、人はその時その時で与えられた役割、求められる顔になりきることが大切で、その時は見た目や顔だけじゃなくて、心も入れ替えるように、求められた人物像、期待される役職になりきってしまわないといけないのだと思いました。

「るりこも仕事に行くときは、人格のSDカードを取り替えるつもりで行ったらいい。リーダーバージョンのSDカードに取り替えるんだ」
 と、お父さんが話してくださいました。

 日常の延長の自分ではなく、別人の自分。
 くにゃくにゃした自分ではなく、ぱきっとぴりっとメリハリのついた自分。
 理想は、周りを見て的確な指示を出すこともできれば、必要に応じてフォローすることもできるリーダーになりたいです。

 言われてみれば、わたしはまだ人の評価が怖いのだと思いました。
 でもそこはどうでも良くて、それよりも自分がその時間帯でどんなパフォーマンスをしたくて、そのために仲間にどう協力してもらうのか、ということを考えたら、ふにゃふにゃしていられないと思いました。

 わたしには、お父さんはいつも堂々として見えるけれど、お父さんも常に何者かを演じているから、恥ずかしさを見せていないのだと思います。
 お父さんだって同じ人間だから、恥ずかしさもある。でも、それを見せていない。

 わたしも自分は横に置いて、なりきる。本来の目的達成に向かって、なりきる。
 SDカードを取り替えていく。
 その心意気でいきたいと思いました。

 

 2つめは、あまり詳しく書けませんが、仕事上の新人の問題行動について、お父さんならどうアプローチしますか? ということについて質問しました。

 わたしはそこまで詳しく話したわけではないけれど、お父さんの推測をたどって、わたしもその視点から考えてみると、あっという間に答えが見えてきてしまいました。
「そうそう」と言わんばかりに、記憶がするする飛び出してきて、それがあまりにも面白くて。
 さすがお父さんだなぁと、まるでその子を知っていたんじゃないかと言いたくなるほど。
 わたしの拙い言葉だけで、そこまで読み取るお父さんって、やっぱりすごいと思いました。
 そうなったら、もう答えは明確。
 わたしも大納得(というよりも、自分で気がつくヒントはたくさん周りにこぼれていたのだなと思いました)で、笑い話になってしまいました。

 最近、集合のときにも思ったのですが、お父さんがみんなからの質問に答えるとき、お父さんは答えを二択に絞って、考えやすくしていると思いました。
 例えば野菜の手入れをするかしないかであれば、「するメリット」と「しないデメリット」。
 まあこれはシンプルですが、わたしの質問に対しても広げすぎないで、まずは答えを2つに絞り、そこから推測していかれました。
 お父さんの答えを聞いて、「あぁ、なるほどな。そこから考えていったらいいのだな」と思ったのは、わたしは何でも闇雲に考えていると思ったからです。
 そうではなくて、もっと考えるべき的を絞って悩む、考える。
 そうしたら今回の質問のように、必要以上に先のことまで考えなくて済むことで、もっと見るべき点は、すぐ足元にありました。
 そこを見ていたら、どうしようかなんて考えることでもなかったのだと思いました。

 答えが見えたところで、次回、ぜひ実践してみたいと思います!

 

 また、他の子に対する質問を聞くなかで、(あぁ、なるほどな)と自分にも当てはまるものもありました。
 自分がしてきた失敗や過去に対して、今になって、(あの時もっとこうしていたら)(どうしてもっと頑張れなかったのだろうか)と後悔の気持ちが湧いてきてしまうという質問。

わたしも今はないにしても、少し前までは同じような気持ちをもっていて、過去の自分がしてきた失敗や行動を悔やんで、(もっと頑張れたはずなのに、どうして頑張れなかったのか)と自己否定することがありました。

 お父さんは、「それは自分はちゃんとしているという認識違いがあるからだ」と答えてくださいました。
 本来は実際に失敗してきて、どうしようもなかったのに、自分はできる人間であるという認識違いがあるから、そういう気持ちになってしまうのだよ、と。

 人間は誰しも、「自分はちゃんとした人間である」と思いたいのは当然のこと。
 でも、「自分は弱い人間だ」「常に失敗ばかりする人間だ」と、決して自分で自分を卑下するわけではないけれど、客観性をもって捉えることが大切だと教えてくださいました。
 もう取り返せない過去を後悔していても、今更戻ってやり直すことなんてできない。
 それよりも、これからどうしていったらいいかな、というふうに未来に向かって考えていく。

 このお話を聞いていて、わたしも「自分はちゃんとした人間だ」と思いたい気持ちが人一倍強くある方だと思いました。
 自分は頑張ったらできるはずだ、という奢った気持ちから、理想と現実の差に落ち込んだり、あの時耐えられなかったのは、自分が弱かったからで、もっと頑張っていたらできていたはずだというふうに、過去を美化してしまうのかなと思いました。

 でも、お父さんが教えてくださったように、自己否定に陥らない、適度な気持ちで、「自分は失敗ばかりする人間だ」と思うことで、謙虚な気持ちが保てて、良いも悪いも客観性をもって捉えられるようになるのだと思いました。

 最近になっては、過去を後悔することはなくなったけれど、お父さんが教えてくださった心持ちで過去を思い返すと、起こったことはすべて良いことだと思えるような気がしました。

 みんなの質問に答えてくださるなかで、お父さんが一人ひとりのことを本当に深く考えて、見てくださっているのだということを感じました。
 お父さんは時として厳しく言うけれど、それは決して怒っているわけではなく、わたしたちが良くなることを信じて言ってくださっているのだと思いました。

 ハウスミーティングに参加させてもらうことで、改めて、すぐそばに正しい答えを教えてくれる師匠がいることが、とてもありがたいことなのだと感じました。
 わたしはすぐに溜め込んで、自分で答えを出してしまう傾向が強いけれど、お父さんの答えを聞くことで、視界がクリアになり、そうやって考えたらいいのだなと思います。

 まだまだ未熟だけど、お父さんの考え方を少しでも深く吸収していきたい、そう感じた1時間半でした。