7月13日
今日、大大大ショックで衝撃的だったことがありました。目を見て話すということは失礼なことで、目上の人に対して対等に立つことになるということをお父さんから教えていただいた時、凄く衝撃的でした。小学生の時から相手の目を見ることを教わって、ずっとそれが良いことで、しなくてはならないことだと思い、今日までの15年間ずっと続けてきてしまっていました。
今まで、良いと思っていたことが、本当は利己的で、人の上に立つ行動だったこと、今までずっとその行動をしてきてしまっていたことにガガガガーンとなって、今日一番の衝撃でした。
今まで自分がいいと思っていたことが間違っていて、利己的だったということは、他にもたくさんあるのだろうと思いました。
今日の衝撃を受けて、今、自分の中にある価値観、良いと思っていることは本当には間違っているのだと、改めて実感しました。だからこそ、コンサートでしたように、今ある価値観を捨てて、自分の中を真っ白にして、正しい価値観を入れていかなければいけないのだと強く思います。自覚のないまま、利己的な行動を続けていたことにゾッとして、本当に直そう、直したいと思いました。
お父さんに教えていただかなければ、ずっと気が付かなくて、自覚のないまま利己的な行動を続けていたと思うので、今日教えていただけたことが本当にありがたくて嬉しかったです。あのまま、ずっと目を見て人の話を聞いて、失礼な態度をしたままになっていたら、と思うと、怖くてゾッとします。また一つ、自分の中の毒を教えてもらって、気が付いて消していけることがありがたくて嬉しいです。
きっと他にもたくさん大勘違いをしてしまっていることがあると思います。そういうことも全部、真っ白にして、正しい考え方、利他的な価値観に変えて、直していきたいです。
昨日、壁が大きくて、がーん、となっていた時、ちさとちゃんがかけてくれた言葉が支えになっています。
今、生きていて、ここにいることが奇跡なんだから、焦らなくていいという言葉です。なのはなに来てしばらく経って、症状から解放され始めたり、気持ちが楽になってから、来る前のすぐにでも死んでしまうような、いつ死んでもおかしくない状態だったことを忘れてしまっていたなと思います。
普通に生活ができていると、忘れてしまいがちです。変わりたいと思っても、なかなか変われなくて、苦しく感じていましたが、昔の症状まみれで死にそうなことに比べたら、成長したいと思える環境にいられることも、症状とはまた別の自分の直すべきところに向き合えることも、凄く恵まれていて、幸せなことなのだと思いました。症状まみれの時は、成長なんて考えたこともなくて、症状が消えるという希望さえなかったので、成長しよう、したい、と思えていること自体が凄くありがたいことなのだなと思いました。
この症状は消えるのだろうかと思っていたものも、気が付けば消えていました。いつも頭の中が食べ物だらけで頭が苦しかったのが、頭の中から食べ物が消えました。だから絶対に変われる、と信じたいです。強くなりたいです。怒られないことがテーマの人生をやめたいです。
自分では自分の成長が見えなくて、不安になったり、果てない気持ちになったりしてしまいますが、一日一日を奇跡のようで、尊いものだと思い、毎日を丁寧に生きたならば、今ある壁も前向きに捉えられるのかもしれないと思いました。
焦らずに、毎日を少しずつ少しずつ積み重ねていくように過ごそうと思います。
簿記の村田先生が、コピー用紙も1枚のみでは薄いけれど、500枚積み重なれば厚いものになる、と話してくださるんだよ、1日1日では分からないけれど、積み重なっているよ、とちさとちゃんに言ってもらって、コツコツとがんばっていきたい、と思いました。
これ以上に苦しいものはないんじゃないかという地獄のすぐ近くまで経験したことは、症状から完全に離れることができた時、大きな強みになる、と思います。あの苦しさをジャグリングではなく、正しい形できちんと忘れないでおきたいなと思いました。
今感じている変われていないことに対する苦しさも、後ろをふと振り返った時、変わってたと気が付く日が来るのを信じて、良い人生を生きられるように、壁に向き合っていきたいです。
