「利他心」 るりこ

7月3日

○利他心

 お父さん、お母さん、今日は仕事が休みで、久しぶりに集合に参加できて、嬉しかったです。
 みんなの質問からお父さんお母さんの答えを聞かせていただいたり、時にはお父さんとお母さんが冗談で言い合っていたり……。
 お母さんの、「僕、指示されるの嫌いなんだよね」という、お父さんの物まねには笑いが止まりませんでした。

 お父さんとお母さんが仲良く並ばれていて、その前にみんなで座って、お父さんとお母さんの話にみんなで大笑いしている時間が、本当に嬉しくて、心がじんわりしました。

 家族が軽い口論になったり喧嘩をしていたら、すごくすごく不安で、生きている心地がしなかった過去が、今はお父さんとお母さんが「もう!」と言い合っていても、お父さんとお母さんの根っこにある関係は崩れないとわかるから、安心して笑っていられます。
 お父さんとお母さんのような関係がある家庭をずっと求めてきて、それを体現してくださっているお父さんとお母さんの近くにいられる今、わたしもお父さんとお母さんの姿を吸収して、相手を心から信頼して、尊重し高め合っていける関係を築いていけるように、成長していきたいです。

 今日の集合でお父さんが話されていたように、人と仲良くなることもできるし、必要な喧嘩もきちんとできる、そして仲直りもできる。
 そういう人間関係を築いて、必要な人と助け助けられながら、ちゃんと生きていけるようになりたいと、今強く思っています。

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 今日、夜に何人かで集まって、お父さんのお話を聞かせていただいたときに、ふっと落ちてきたように、(あぁ、そうか)と思ったことがありました。

 摂食障害から回復に必要なこと、それは体型への間違った認識や拘りを無くすことや普通に食べられるようになることではなく、「利他心」を入れること。
 親が自分の子供だけを我が身のように可愛がるのは、究極の利己心だけど、本来、子供は親の所有物ではないし、親のために生まれてきたわけでも親のために生きるのではない。
 人はそれぞれ果たすべき使命をもって生まれてきて、そのために大人になって成長して、世の中や社会に貢献するために生きているのだから、わたしもまた、自分の果たすべき使命に向かって生きていくべき。
 そこに必要なのは利他心なのだと聞き、改めてだけど、依存関係であることがどうして利己的なのかということがよくわかった気がしました。

 自分が果たすべき使命を考えたとき、わたしは大それた人間じゃないし、むしろ普通より劣るくらい能力がないから、自分が果たすべき使命なんてあるのだろうかと考えて、自分を卑下して、希望を見失っていたことがありました。

 でも改めて今日、お父さんから回復には利他心が必要だと教えていただいたとき、利他心で生きるということに、人が持っている能力なんて全く関係ないと思いました。

 わたしがよくありたい、よく生きたいと願って、なのはなで教えていただく価値観や正義をもって生きて、周りの人に優しい選択ができるようになったり、誰も孤独にならない、誰もが安心して過ごせる居場所をつくり出すことができたとしたら、本当に本当にたった1人かもしれないけれど、救われる人がいるかもしれない。
 また、世の中に大きな影響は残せないかもしれないけれど、自分がよくありたいと利他心をもって生きる姿が小さな社会の中でも誰かに影響を与えることができたとしたら、そこから1人、また1人……と利他心の輪が広がっていくかもしれない。

 お父さんの話を聞きながら、そんなことを考えていたら、こんな自分でもちゃんと回復して利他心をもって生きていけば、たとえちっぽけであったとしても、自分が生まれてきた意味や、摂食障害から回復して生きていく使命が果たせるのかなと思いました。

 世の中を変えるみたいな大きな使命(最終的にはそこに辿り着きたい)を思うと、自分なんかにできることがあるだろうかと思ってしまうけれど、自分の周りから少しずつ広げていくと思うと、たった1人でもいいから、誰かを救うことができる生き方をしたいと思いました。

 まだまだ未熟だけど、お父さんの将来的な話を聞いていたら、わたしも希望が湧いてきて、どんなに小さくてもいいから、なのはなに貢献できる生き方、なのはなにある優しい世界を広げていける生き方をしていきたいです。