6月25日
「なぜ、地球は誕生したのか。人はどのように生まれて、死んだらどこへゆくのか。」
それを集合の質問ボックスで出したら、お父さんとあゆちゃんからの答えは、
「2022年のコンサートを見たら分かります」ということでした。
そして今日はその、「宇宙と人体」というテーマの、宇宙のほうのスプリングコンサートのDVDを見させてもらいました。
私は桃チームの作業があったのですが、ベテラン組からヘルプに来てくださって、しなこちゃん、まりのちゃん、かにちゃんが手伝ってくれました。
抜けさせてもらって少し申し訳ない気がしていたのですが、変に気を遣うよりか、コンサートの内容をたくさん吸収してその喜び、もらったエネルギーを還元してこれから頑張ろうと思い、見させてもらいました。
内容、情報量が多いぶん、感想も一言では言い切れないくらい、いろいろな感情を抱きました。物理学、天文学的な理論、根拠と、人はなぜ生まれ、生きて行くのかという倫理的な側面が同時に自分の中に入ってきて、今自分が存在していること、時間、空間の認識が今まで当たり前としていた前提が覆されるようなときがありました。
一瞬は永遠、永遠は一瞬。ダークマターとダークエネルギー。今の自分には理解が追いつくのに必死で、まだ完全に消化しきれていないこともあります。
ひとつ自分の中に落ちてくると、あれもこれも、と数珠つなぎにこれまでお父さんお母さんが教えてくださった様々な事柄が触発されていき、最後はひとつの「愛」という結論に至るように感じました。
わたしは今まで利他的に生きて行くこと、優しい世界を創っていくこと、そういう言葉を聞く度に、具体的にどういうことなのか今ひとつぴんと来なくて、何か特別なことをしないといけないのかなと思っていました。
けれど、何か特別なことをしなくちゃいけないわけではないのかなと思いました。
愛を生み出し、愛を伝えていく一人になること。
あゆちゃん演じるソロモン王の言葉にもありましたが、「食べること、飲むこと、働くこと」それが幸せに尽きるのだと感じて、幸せは目の前にあって、それをちゃんとひろいながら、周囲の人に愛を示して生きて行くことが、できるんだと思いました。
自分が様々なことを吸収し自我を作るべきときに育ってきた環境は「普通」だと思っていたけれど、大人になって見てみたら、全く普通じゃなかった。そもそも「普通」って知らないくせに、なぜ普通といえるのか。たかおとてつおの子ども時代を見に行くシーンで強く感じました。
空間や時間の認識が子どもと大人で異なるように、自分が子どものときは普通、幸せだと思っていた周りの環境や空気感も、今見たらその違和感に、切なさ、残念さ、怒りにも似た感情を感じ、一緒に見ていたみんなも涙を流しているのを見て、みんな同じ傷を抱えてきた仲間なんだということを強く感じました。
演奏のクオリティの高さに圧倒されて、涙が出ました。
キーボード演奏にも本当に感銘を受けて、私もこんな演奏ができたらいいなと憧れを抱きました。
ウィンターコンサートが本当に楽しみで、楽しみで、今も楽しいけれどコンサートも待ち遠しくて、その間にある夏も楽しみで、もう幸せしかない毎日とそれに続いているこれからが幸せで、自分から微熱のような熱量が発散されていくのを感じます。
めまぐるしい毎日に流されてしまいがちなのですが、「自分はなぜ生まれ、どう生きて行くのか」ということを、常に忘れずに、自分自身に問いただす気持ちで毎日生きて行きたいです。
その後は18時半まで摘果、ブルーシート敷きの作業をしました。
コンサートで聞いたばかりだからか、時間の経過がほんとうに一瞬に感じて驚きました。今日ははなよめがたくさん採れました。今日はふみちゃんとペアで回りました。ふみちゃんが見たい桃と、立てる脚立の位置を見させてもらっているととても参考になって、自分が脚立を立てるときに勉強になります。収穫するときに指跡や枝の当たりがつかないようにするのが緊張します。いつかみんなでもいただけたらいいなと思います。明日も良い桃がたくさん採れたらいいなと思います。