「不思議な時計」 ほのか

6月21日

 私は、不思議な時計を持っています。
 その時計は、私の心の動きとシンクロしていて、私が何か動揺したり、気持ちが乱れると心臓が止まるみたいに時計の針が止まります。そして、私がいつも通りのコンディションになると、また動き出します。
 今日も例外なく、時計が止まってしまいました。今年の2月にお父さんに電池を交換していただいているので、電池切れの問題では無いと思っています。

 で、何があって止まったかというのは、今ここで説明しにくいのですが、簡単にいうとすると、自分の中の心のもやもやをそのままにしていたら、あるとき急にもやもやがはじけそう! みたいな、自分の気持ちを言いたいけれど言えない!! みたいな状況になったことです。
 誰かと話したいような、今の気持ちを全て吐き出したいみたいな、そういう気持ちでいました。夜に1年生教室に行くと、ちさとちゃんとなおちゃんがいて、話を聞いてくださいました。「何でも話そう! 話すのは大事だよ~」と言ってくれる2人の笑顔を見るととても安心しました。今の自分の気持ちを包み隠さずに、前向きな気持ちも人にいうことが恥ずかしい気持ちも、今思っていることを全て話したら、すごくすっきりしました。

 私が、人が褒められていると、羨ましいような気持ちになってしまうことも、ちさとちゃんは良いことなんじゃないかと言ってくださいました。
 人が褒められると自分の良い気持ちがしないのは、自分を守る気持ちからだということでした。保身、自分のポジション、好かれ具合、評価、等々、おざなりになってしまうのではないか、自分だけ見捨てられてしまうのではないかと思うと、人が褒められるときに不安になってしまう。その言葉は図星でした。
 私は、自分でもその人のすごいところを認めているけれど、心の内側では羨ましく思う気持ち、なんだよ、と拗ねた気持ちがあって、そんな自分が幼稚で恥ずかしくて、もやもやしていました。
 かっこつけなくても、どんなに失敗しても、みんなは自分を好きでいてくれるんだ、ということがわかって安心できたら、この拗ねる気持ちも無くなると思う、とちさとちゃんは教えてくれました。

 私は人に好かれたくて必死で、人からの良い評価を欲しがっていたから、こういうことになってしまうんだなと思いました。
 ちさとちゃんは、ちさとちゃんが来たばかりの頃と、私は少し似ているのだと、以前教えていただいていました。ミーティングで書く作文も、似ていると。
 ちさとちゃんは、衣装部さんになって、間違った頑張りをしていて失敗したけれど、なんの評価も見返りも求めずにみんなに目を向けて努力したら、3つ良いことがあったと教えてくれました。お父さんお母さんに褒めていただいたこと。水戸のおばあちゃんに褒めていただいたこと。そして最後は、自分が大きく変わったことだ、と。

 そのお話を聞いたときから私も、この1年はなんの評価も見返りも求めない年にして、修行する、と決めています。私は、自分のことばかり頭にあったけれど、ちさとちゃんが衣装部さんになって、自分の評価から、みんなが着やすい衣装、みんなに目を向けたように、私は桃に目を向ける、良い桃を作るために努力しようと思って毎日過ごしています。
 人の真似をすることは良いことなのかわからないけれど、ちさとちゃんを尊敬する気持ちとか、あこがれる気持ち、ここから少しでも変わりたいという気持ちがあります。
 それをちさとちゃんに話すと、いいねいいね、と笑顔でうなずいてくださいました。
 
 おそらく、桃の袋掛けは明日で終わります。今日は山の桃畑の清水白桃と、池上の清水白桃の袋掛けを進めました。清水白桃は、着果量を自分で調整して、多すぎると自分で生理落下させて実を肥大させるから、すごいなと思います。
 
 
 お父さんは、100努力したら300のご褒美がかえってくる。自分の欲を捨てて努力する。苦労もご褒美もよくわからないもので、苦しいこともご褒美の中に含まれているのだと教えてくださいました。
 その言葉が、今の自分にすごく響きました。

 作業をしていて、体力も気力も試されるけれど、やればやるほど良い結果が返ってくる。シンクイムシにやられている枝を切れば切るほどいなくなる。作業が早く進めば進むほど余裕が生まれて、その余裕でアミノ酸や冷却水の散布などの、プラスアルファできるかもしれない。そのためには、作業に向き合う。自分が疲れるかどうかとか、どうでもいい欲は捨てないといけないなと思っています。
 でも、大変かどうかはあまりわからないです。大変っちゃ大変かもしれないけれど、一緒に過ごすピーチ姫のみんながいるからがんばれるし、嬉しい気持ちも大変な気持ちも共有できるから、楽しく前向きにいられるなと思います。一人では到底できないです。
 なにより、作業が進むと嬉しいし、桃が大きくなっているのを見たとき、良い実がついているのを見つけたとき、虫がいなくなったことを確認できたとき、小さなことでもとても嬉しく、喜ばしく感じます。だから自分の大変さと感じる喜びは比べられないというか、そもそも尺度が違うというか、比べるものでも無い気がします。

 今日の夕食に、摘果桃のコンポート(今日、河上さんが作られたもの)が出ていて、早速ピーチ姫のみんなでいただきました。甘く、かむと甘酸っぱく、果肉の繊維を感じられて、ああ、桃だ~! と思いました。こんなに早くいただけるとは思っていなかったので嬉しかったです。

 作業をしていると、オリジナル曲の『ルナ』『桃の唄』『キボウ』『空へ』が頭の中で流れます。桃の唄の中に出てくる女の子と自分が重なるように感じます。私もこんな風に回復していきたいなと思います。
 今年の夏のイベントが楽しみです。新しい『オ・ヴァイ』があゆちゃんの声で歌われるのかなと思うと考えるだけで鳥肌が立ちます。私も新曲でキーボードを弾いてみたいなと思います。これから始まる夏がわくわくします。

 生まれ持ったもの、私には清廉潔白な心の綺麗さは無いけれど、入り乱れてめちゃくちゃな心だけれど、きっと私には私なりの役割があるのだ、と信じて、前向きに過ごしていきたいです。