6月14日
もう6月の中旬に差し掛かっています。
1日1日を大切に自分の力は全て出し尽くして真摯に目の前の事に向き合いつづけて利他心を完ぺきに身に着けないと元の木阿弥になってしまうので
また病気の人生に戻らないように頑張りたいです。
今朝は桃の摘果に入らせてもらいました。最終摘果という事でさらに気が引き締まりました。今あるものの半分にする、一気に落とすとダメージが大きいとの事で
剪定や整枝と似たものなのかなと思いました。
今日は写真撮影やリハーサルをしていよいよ明日が本番なんだなって思うとすごく胸がいっぱいになります。
いつもお世話になっているお父さんへ明日は思う存分全身全霊で気持ちを伝えられるかなと思うと嬉しいです。
写真撮影をするあゆちゃんの姿はプロのカメラマンさんのようでかっこよくて、撮られてるばかりじゃいられないと感じました。自分も人の最大限の魅力を引き出した写真を撮れるようになりたいです。
今日の集合も学びだらけですごく面白くて、目から鱗でした。
どこも作り物のようなもので存在してないようなもの。動いているのはなのはなだけ。それを聞いて少し大げさかもしれないけど、多分本当なんだろうと思いました。利他心でいるのはごく一部しかいないだろうと思います。でもその止まってしまっている世界を動かすのが私たちの役目です。
利他心についても2人の間で止まったら利他心じゃないという事を聞いて、感動しました。
自分の中の利己心とか、今まで自分の考えていた優しさのスケールの小ささを痛感して、利他心に対する思いがまた少し変わりました。
行き止まりがなくてどこまでも広がる。誰が利益を受ける分からない。利益は預かりものだし特定の人でなく、不特定の人へ希望を持つこと。
そのお父さんの言葉こそが私には大きな希望になりました。利他心がいかに素晴らしいものか、この頃日を追うごとに深く強く実感します。
上辺だけの綺麗ごとだなんて馬鹿にしていたのは、利己心の世界に慣れすぎたゆえの発言だった。利他心とは程遠い世界にいたからだ。今はそう思えます。
ある質問で”自分は未熟さを指摘されない”というものがありましたが、私も当てはまりました。
もっと理想像をはっきりさせてそれを二人にもっと提示していこうと思いました。そうじゃないと成長スピードがのろのろになる気がします。
二人は私の成長を望んでくれて、正しい道を教えてくれるお父さん、お母さんです。だから今は少しそこに甘えさせてもらい、
私はこうなりたいんです、そのために今の○○はどうしたらいいでしょうか、どうしたら○○になれるでしょうか。なりたい姿になるためにもっと沢山質問をしたいと思いました。
明日も治ったふりをして、気づいたら本当に治っちゃった。そうなるように出来る事を頑張ります。
もし自分が治ったら。それこそ誰かへの希望です。これまでの卒業生が成し遂げて、私も授かった希望で、それを私が次の世代に繋げたいものです。
まだ見ぬ誰かにつながる回復を成し遂げるために、あるべきなのはなの子の姿を演じ切ります。
実は少し利他心を煙たがる気持ちがありました。それは利他心とは単なる人助けという認識があったからです。
だから日常生活でも有志で人を募集する作業などに対して面倒だなと思う気持ちを100%だめなもので、こういうものに何があろうと必ず参加する。
それが治る。利他心を身に着けた、という事になるんだと思い違っていたからです。
ただの良い人になればいいとか、そんな浅い単純な物でなく不特定の人に向けたものこそが利他。それを知れて胸のつかえがとれた感じがします。
