6月13日
今日は念願のキャベツの収穫から1日が始まりました。
立派でずっしりとした綺麗なキャベツが沢山収穫できました。畑から巣立っていくのは少し寂しかったですがたくさんの人の手に渡るのは喜ばしい事です。
午前は、かぼちゃの摘心、スイートコーンの雄穂カットをしました。オクラに遮をかけてから新いいとこに行きました。
なつみちゃんに摘心と整枝の方法を教わって少しづつ伸びっぱなしだったつるがスッキリしてきました。雄穂カットをするとものすごく花粉が舞ってきて花粉シャワーを浴びました。
かぼちゃには花が咲いて小さな実がつき始めていたり、ユズ畑のトウモロコシ1弾にはひげも出てきていて元気に育っているのが嬉しいです。
午後は、ササゲの草しき、補植の作業でした。ベテランのまちちゃんとなつみちゃんとの作業は気持ちがキリッとしました。
保育園前のキャベツの長い畝の草しきをまちちゃんと2人でやった事を思えば、魚とり横のササゲの畑は随分小さくて、これはすぐに終わっちゃう!楽勝だ!と思えました。
畑作業。そう思うだけで私は基本「はあ、皆の体力についていけるかなー足を引っ張らないかなあー」と不安が出てきがちなのですが「もう無理だ!」ってなるぐらい大変な作業を経験すると、他が何にも辛くなくてむしろ楽に思える。地獄を知ってしまう事の強みってあるなと思います。
自分の苦しみが材料になる。ちょっとこれに関しては浅すぎるかもしれないけど、同じような意味なのかなと思います。
なのはなに来てすぐの子がもし畑作業を怖がっていたら「これぐらいどうってことないよ、これはほんの序の口だよ」そう言えます。
大変なものもそれを超えた達成感、幸せがある。それを伝える事も出来ます。地獄も味わい尽くす。全てはまだ見ぬ誰かを助けるための材料になる。そう思えば何も怖くないです。
夜お父さんが「最近調子いいね、その調子で頑張って」そう言ってくれたことがすごく嬉しかったです。
治ろうと、治るっていう単純な言葉にしてしまうと嫌だけどより良い世界を作る人になろうと思って過ごしていたら自分も幸せになってきたし、それをお父さんも喜んでくれていて、お父さんが私の姿勢を喜んでくれている事が、自分にとっても深い喜び、安心になって、これが理解し理解される事なのか、と思いました。