「治ることを諦めない」 そな

6月10日

 5月下旬から病的なおかしさになっていたと思います。
 治ると決めたはずなのに、逃げる方が楽だと思って病気の自分の甘さを認めて日記にもダラダラ書いて。
 せっかく画面上でだけどお父さんお母さんと対話できる大事な日記を、ぐちゃぐちゃにはちゃめちゃなものにしていました。
 治り方が分からないし、治った先が見えない、信じられていないです。
 仲間がいるような気でいるけど、無意識の自分は一人ぼっちだと聞いた時核心をつかれたようで泣けてきました。
 1人ぼっちの寂しさを埋めるための依存。ゲームに逃げる引きこもりの男性と似たものだと思いました。
 自分の好きなものを追い求めているだけ、スタバがどうこう言うのも、自分は悪くないと甘い自分を認めて、なんなら悪い友達を作りたいと言わんばかりに
 皆の気を落とすような発言をして、本当に浅はかでした。今日は可能な限り昨日話した皆に謝りました。
 これ以上皆に毒を振りまく事の無いように、治ろうと頑張っている純真な皆に近づく事さえ恐ろしいし、許されないと思います。
 自分の立場を今一度ちゃんと理解して、ある意味皆とちゃんと壁を作ったうえでなのはなで生活をしようと思いました。
 利他心もきれいごとのようにしか捉えられなくて、ひねくれた歪んだ昔の姉の思考ががっちり頭に住み着いている気がします。(責任を人に押し付けているだけかもしれないけど)
 治る治らないはよそにおいて、帰る帰らないしか頭になかったです。でも治って世の中を変えていく使命があるという事を今ちゃんと思い直して
 コンサートのセリフも思い出して、どう生きていくべきか自分に常に問いながら過ごします。
 どれだけ自分が人として劣っていて、皆が生きる世界より低いレベルで無駄な毎日を過ごしていたのか、考えたくもないです。

 午前は桃花づくりでした。
 リビングで皆と近距離で過ごすのは少し怖くもありました。利己心いっぱいの自分はいつどんな失言をしでかすか分からないし皆に沿う事ができない気がしたからです。
 でも集中してほとんど私語はなかったです。(桃花づくりだからそれで当たり前、そうであるべき)
 依存めいた気持ちは頭の中から完全に取っ払って黙って桃花を作り続けているとなのはなの子としてあるべき姿に近づいたようで安心感がありました。
 なのはなの子を演じる。それを馬鹿にしていたけど、馬鹿にしていた自分の存在こそがどれだけ醜いものかここ数日で思い知りました。
 綺麗ごとじゃなくて、現実的によく生きられる道があるんだ。それを信じて前を向いていたいです。

 午後は衣装考案、衣装の制作の時間でした。
 ケニーモナークに向けてカウントダウンしていたり、熱心に準備を進める皆が尊いです。
 その皆に馴染めない、1歩足を引いて眺めるだけで夢中になれない。その自分に優越感を抱いて、皆とは違う自分に満足していました。
 でもそれはただ病気でいる自分を許すという事になっていたのに自分では気づかなかったです。

 夜はバレーがありました。試合の日でした。
 いつも基礎連で熱心にどんな姿勢でボールをとる良いかを、まなかちゃんせいこちゃんのぞみちゃんは全身全霊で教えてくれているのに、その教えを何一つ吸収できておらず変なところにボールを飛ばしては、チームへの貢献どころか損害しか生まなくて
 もうボールに触るな、と自分に言いたくなるぐらいことごとくだめだめでした。今日はとことんいつも以上にダメでした。
 治る事に対して希望を持てていなくて治るという事を信じていない、”諦め”の姿勢がバレーに向かう姿勢にも出ていた気がしました。

 何をしても上手くいかない、そんな時もあるよなと、落ち込みすぎず次に向かいたいです。
 でもその自分に対する甘さが今を生んでいると思うと、自立がどうの言う前に甘さを消しさって自分を律する、自律が何よりも必要だと思います。
 後ろ向きな発言ばかりで申し訳ないですが、私は自分を戒めるために自分の存在事消したい勢いです。
 これも0か100かの極端な思考で馬鹿らしいけど、本当に1からやり直さないと根っこから叩き直さないとどうしようもないです。
 こんな自分でも見捨てずに生かしていただいている事、なのはなで受け入れてもらえてありがたく思います。
 捨ててほしい、なんなら殺して欲しいが率直な気持ちだけど、治るしかないんだろうと思います。
 皆のような純粋さも真面目さを真似て、お父さんならどうするか、もっと治ろうという姿勢をもちます。はなから諦めずに、治る事を信じたいと思います。
 自分は治るんだ、その気持ちをもって良く生きたいです。
 治ろうとする、それぐらい簡単な事なはずが。今はなぜかそれが出来ない、初手でストップしています。
 いつどこにいても、やけに悲しくなるし泣きたくなります。何でかと言うと病気でいる自分の無力さに対する虚しさからです。
 その上、治る先が見えない、治り方も、利他心も分からない。という現実があるからです。
 無意識の自分の存在を指摘されたのは衝撃でした。一人ぼっちだと言われるとは思いませんでした。
 でも本当に一人ぼっちだろうなと思います。心の中には誰もいないと思いました。

 キャンプでなくしものをした時に声をかけてくれて、皆で探そうという事になって助かった時。「そんな一人で探すことないよ」と言ってくださったとき。
 昨日雨の中の作業をひとしきり終えることが出来て終わりました!と言うと「えらかったねぇ」と声をかけてくださったとき。
 お母さんの言葉には本当にすごく助けられてほっとします。
 まみちゃんのお誕生日にお母さんが日記についての事を話してくださって日記を通してでもこの思いを伝えたいと思いました。
 いつもお2人のおかげで助けられて、今はもうめちゃくちゃでぐちゃぐちゃだけどどうにか生きられています。
 本当にありがとうございます。早くちゃんと治って、力になるように頑張ります。焦るなら焦るなりに早く治ってやります。
 期待を裏切るような発言ばかりをしてしまっていてすみません。
 2人を騙すつもりで上辺だけでも楽しんで、それがいつか本物になるように、精一杯楽しんで今を生きたいです。