6月5日
今日は約11時間にわたって、桃の袋掛けを行いました。
摂食障害になって、あんなに集中力も気力も体力もそげ落ちていた状態だったのに、今こうしてひとつのことに集中して向かえるということが、奇跡のようで、ありがたくて、楽しくて、嬉しいです。
桃の木の前にいると、自分がどれだけちっぽけで小さな存在か思い知らされます。
今まで自分の脳内のほとんどを占めていた考えごとが本当にどうでもいいことで、どうでもいいことで悩んでいた自分は暇人だったなとすごく思います。
今私にはやるべきことがある、桃があると思うと、向かう先がはっきりして、自分のことなんてどうでもよくなります。自己愛性人格障害になって必死で守って大事にしていた自分はただの手段でしか無くて、この身体で何ができるか、どれだけ多くの良い桃に袋を掛けられるかだなと思いました。今まで我慢して、変わらなくちゃと思っていたその我慢が必要ないくらい、自然にどうでも良く思えます。それがすごく楽で、自分が0になるってなんて身軽なんだろうと思います。覚醒度という言葉が、「目の前のことにどれだけ本気で取り組めるか」と定義すると、今まで覚醒度がどれだけ低かったかを感じます。(今それが高くなったとは言い切れないのですが、今になってはじめて自分の覚醒度の低さを痛感しています。桃の作業のみならず、掃除や日々の生活、全てにおいて覚醒度を上げていきたいと思っています。)
フットワーク軽く、笑顔で力仕事を請け負うさくらちゃん、ふみちゃんたちの姿から、私もそうありたい、とすごく思わせてもらっています。
桃の木の前にいると、「あなたは真面目に、よくありたいという気持ちで生きていますか」と問われている気持ちになります。
その度に自分の気持ちを正されるように感じます。集中力が切れて意識が飛びそうになると、判断が鈍ったり、自分の基準で考えてしまいそうになります。そうすると、桃の木に見つめられている気がして、背筋が正されます。だから、どこまでも手を抜かずにやろう、という気持ちを桃の木に誓って、ひとつひとつ袋をかけています。
今日は30℃超えの暑い日でした。さくらちゃんがみんなにキンキンに冷えたお茶を配ってくれました。冷たすぎて一気に飲めなくて、いつもむせてしまいます。冷たい水が体内をかけめぐって、視界がクリアになります。フルマラソン大会を思い出します。休憩中にさくらちゃんが、
「袋掛けが一段落したら、収穫に向けて役割分担を考えたいですね」
とみんなに話してくれました。
私は袋掛けのことで頭がいっぱいだったのですが、袋掛けの後の、これからのことを考えるととても楽しみな気持ちになりました。
今日は、夕の子のなつごころ、川中島、さくらピーチ、古畑の白鳳、紅清水、新桃畑のなつごころ、紅清水、なつおとめの袋掛けを進めることができました。
古畑は木が本当に大きくて、想像以上に時間が掛かりました。それはまるで洞窟のようで、枝と枝の間にいると異空間にいるようでした。
古畑はお母さんが剪定、摘果をしてくださっていたので、お母さんの顔を思い浮かべながら袋掛けしました。お母さんの笑顔が終始胸の中にあって、温かい気持ちになりました。
夕方5時頃からは、ランナーズハイならぬ袋掛けハイになりました。最後までみんなで声を掛け合いながら、整然と作業を進めました。みんなで大きな声で返事をして、同じ気持ちで進める時間が凛としていて、いつも綺麗だなと思います。
残りはあと38本です。最後にみんなで手で38を作り、写真撮影をしました。
りなちゃんが撮ってくれたその写真を見ると、思った以上に38になっていて、みんなで笑いました。少し薄暗くなってきた空が、少しかすんで見えました。
明日もしっかりがんばります。読んでいただきありがとうございました。