6月3日
*なのはなでの私と学校での私
心の中でずっともやもやしてしまっていた気持ち、世間の芋虫的な人たちに流されて浅い感情、浅い会話…ずっと心の中では、これは芋虫だ。お父さんだったら流されないはずだ。と強く思っているのに、自分を守るために周りの人たちに流されて話して、笑ったりしてしまっている部分がありました。そのことが、罪悪感でもやもやして、だけどどうしたら良いか分かりませんでした。
そのことを今日お父さんに相談させてもらえてとても有り難くて嬉しかったです。
「自分を使い分けること。」なのはなでの私、学校での私、勉強をする時の私、畑をする時の私、その場その場にあった自分になっていく。同化もせず、軽蔑もせず、合わせて置く。ということを教えてもらって、それでいいんだ…気がつかせてもらえました。
勉強の時とそれ以外の時とで気持ちを切り替えることというのを教えてもらったのと同じように、世の中にはいろいろな人がいるし、いろいろな出来事があります。その中で、その場その場に適した自分を演じて行きたいです。
けれど私は正義心が強すぎるから、ある特定のことに引っかかって、「これはどうなんだ!おかしいのではないか!もっとこうあるべきなんじゃないか!」という気持ちにとらわれてしまっていました。
少しの言葉や行動にも敏感に反応してしまっていて、全体ではなくて、特定のそれだけに囚われてしまうこともありました。
けど、それに囚われて、きゅうきゅうなのではなくて、もっとゆとりを持って物事を考えられるようにもなっていきたいです。「また○○してるなーっ」時には流すことも必要なんだなと思いました。
こうして直ぐにどう考えたら良いか、あるべき方向、姿を導いてくださるお父さんがいてくださることが、有り難くて、とっても心強く、どんな時も大丈夫。だって前向きに思える心の大きな支えだな…と改めて感じました。
常に根底にはお父さんとお母さんの価値観を持って、だけど正義心に囚われすぎず、ゆったりとした気持ちももって明日からも過ごしていきます!
読んで下さってありがとうございました。