6月1日
今日もすごく良い日だった。
午前はすにたちゃんと、ジャガイモの草取りやサツマイモのマルチ張りをした。マルチ張りは苦手。ピンと張るのが難しかった。
作業発表を聞いたとき、山畑のジャガイモの草取りをしてから、マルチを張り直して、それからコマツナの手入れ、と言われ、これはコマツナの手入れ終わるかいな、やること多いやん、と思った。
マルチを終えて、11時10分くらいで、移動も含めたら残り1時間ちょっと。あけみちゃんに相談したら、いけるんじゃない、やってみよう、と言ってくれた。
昨日担当野菜のチームが変わり、私はコマツナ3弾が初めましてだった。畑に行って驚いた。あまり元気がない。というか、発芽が4割くらいしていなくて、畝が歯抜けだったりしている。5月16日に種まきしたとのことなので、気温が高かったか、水やりが足りなかったか。一か所芽がまったく出ていない、というよりは、ところどころ出ていないので、誰かのせい、というわけではないと思う。はやり暑かったか。
まえちゃんにさっき聞くと、種まき後の水やりが足りなかったんだよ、と教えてくれた。暑かったんじゃないんですか、と聞いたら、小松菜の発芽適温はストライクゾーンが広いから、と言ってくれて、みんなの気持ちが切れたんだよ、水やりがすくなかったんだよ、と教えてくれた。
野菜や畑は自分の人格や気持ちが表れるとお父さんも言う。その通りだと思った。認識がきちんとできなかったり、困っていても連絡相談報告ができなかったり、手を打つことが遅れると、野菜にすぐそれが表れる。
今まではそれが嫌だ、野菜は苦手だ、と思っていたけれど、今はそれが面白い、と思う。頑張れば、正しいことをすれば、応えてくれる、ということだと思った。未熟でも、お父さんに相談したり、慣れている人の話を聞いたり、こまめに野菜の様子を見て認識して、正しい手の打ち方をしたいと思った。
あまり発芽していないコマツナ3弾を見て、可哀そうに、とぼやいたら、みつきちゃんが、間引きした株を、歯抜けのところに定植する方法を教えてくれて、さっそくそれをやってみた。午前にそれをやり、夕方のチーム作業のとき、水やりをして移植したコマツナを見たが、ぺちゃっとなっていて、萎えていて、これが活着するのは祈るしかないかなあ、と思った。一縷の望みをかけて、明日も水やりの作業希望も入れた。少しでも、美味しいコマツナが採れたらいいな、と思った。
夜の集合の話が嬉しかった。孤独感の話。摂食障害の人もそうだし、普通の人もつきまとう孤独感。それに対して、お父さんが、まだ見ぬ誰か、出会うべくして出会う人に、良い形で出会うために、今できる努力をするために今を生きる、ということ。
お父さんの価値観ってすごいと思った。それを思ったとたん、毎日が楽しくなるし、何があっても、まだ見ぬ誰かのために、自分が成長する一部のようなもので、評価も気にならないんだと思った。
そういう、お父さんの価値観を、苦しくないスケールの大きい価値観を、もっと自分のものにしたいと思った。
ひろこちゃんと2人きりのチームである。チーム名考えようよ、と吹っ掛けた。なにかにかけます、考えます、とひろこちゃんが言ってくれた。頑張りたいと思う。
まだ見ぬ誰か。そのために、私は強く、明るく、視野が広くて、認識力高く、オープンで、器が大きい人間になりたいと思った。
孤独なんてない。そんなのは、今しか見ていないからだと思った。お父さんが言う通り、まだ見ぬ誰かのために生きる、と思ったら、その瞬間に、希望が表れるだと思った。生きる毎日の出来事すべてが、自分の成長材料になるのだと思った。全部自分のものにしちゃえばいいんだよ。お母さんの言葉が胸に染みた。未来を見たいと思った。
成長したい。読んで頂いてありがとうございました。