「変わった瞬間」 うたな

5月25日 

 

 何か変化が起きたような気がします。
 泥んこ運動会でした。自分が潔癖症だということは自覚していました。そして治したいと思いつつも、どうやっても考え方を変えることができなかったです。前にお父さんが「大人として自立していく時期にも関わらず、まだ親に依存する段階にい続けようとするがために起きる齟齬が原因で潔癖症を発症する」とおっしゃっていました。また、トイレ掃除や過度に汚れる作業を避けてしまって、喜んで取り組むことができる作業も限られてしまっていました。このように、潔癖症の原因も、そこで生じるデメリットも分かっているのに、前に進めずにいました。

 ずっと前から、みんなが泥んこ運動会を楽しみにしているのを聞いていて、私はどこか怖い気持ちしか出てこなくて、泥にまみれるし、当日は凍えると聞いたし、正直汚さや寒さへの抵抗感しかなかったです。いつもみんなの前では強がって、優等生を演じてしまっていたから、いろんな人に、「うたなちゃん去年も参加してなかった?(笑)」などと言われて、怖いなんて口が裂けても言える雰囲気ではありませんでした。

 古吉野から池下田んぼに移動する際、お母さんに「お葬式行くみたいな顔しないで」と言われてしまって、そんなに憂鬱そうな顔をしてしまっていたのか、と情けなくなりました。私と同じで泥んこ運動会が初めてのゆうはちゃんやかのんちゃんが、ニコニコしながら物おじせず田んぼに向かう姿を見ながらまた人と比べてしまって、やっぱり自分は劣っている、と勝手にブルーになってしまいました。

 池下田んぼに着いてから、相撲が始まるまでも、田んぼを見つめながら「この中に入るのか…」と考えていました。爪の中にも、鼻の穴や耳の穴まで泥が侵略してくる。自分の下着もドロドロになる。それが嫌でした。

 相撲が始まりいざ入水。私にとっては「にゅうすい」なのか「じゅすい」なのか分からないくらい、怖かったです。しなこちゃんと対決することが決まって、自分のチームの何人かが勝利していって、そしてみんなが泥まみれになっていって。ああ、汚れたくない!そう思ってしまいました。いつのまにか泣いてしまっていて、ここまで弱かったんだ、なぜみんな平気なのだろう、と、またしても疎外感を味わっていました。

 泣いていることに気づいたやよいちゃん、まちちゃん、まみちゃん、ひろちゃんなど、たくさんの人が「まじか!大丈夫だって!」と驚きながらも励まして声をかけてくれました。変な人、気概のない人と見くびることなく、自分を気にかけてくれるみんなが本当に優しい、と思いました。もうそんなやさしさを受け取ってしまったら行かないわけにもいかず、土俵入りしました。

 勝ちたい、というより、泥にダイブしたくない、という気持ちから、馬鹿力が出ていた気がします。かなり粘ったけど、やっぱり力及ばずしなこちゃんに投げられてしまいました。左耳に泥が入り、左半身にべっとり泥をかぶりました。鮮明に覚えています。牧場のような臭い、べっとりした感触。

 しなこちゃんが手をとってくれて、私を起こしてくれました。笑って「大丈夫だった?」と言ってくれました。
負けてしまって自分の陣地に戻ると、みんなが「お疲れ様!」と笑顔で迎えてくれました。泥をまとった自分と、同じくドロドロの仲間の存在。
 そのとき感じたのは「みんなと一緒になれた」という感覚です。自分がみんなと違う、その外れた感じが、邪魔していた自分の雑念が、スカッとなったような感覚になりました。

私にとって、思いがけず、時間がなくなってしまいました。続きは明日書きます。