5月6日
今日はニュースペーパーファッションショーでした。モデルをさせていただくことになって今日まで緊張感があったのでひとまず一大イベントが終わった安心感が大きいです。
私は序盤50分程度しか作成には携わる事もなく、ほとんど何もせずただ立ち尽くすだけ、本当にモデルさん気分を味わわせてもらって、申し訳なさもありましたが優越感に少し浸ってしまいました。(こういうところも自己陶酔的要素でしょうか…)
ゆいちゃんは「モデルさんはずっと立ってるし大変なんだよー、寒くない?」椅子を持ってきてくださったりどこまでも配慮がすさまじくて、流石利他心の塊で、もてなす心が地になっているんだな。と感じて改めて強く尊敬しました。申し訳なさ過ぎてもう苦笑いしかできませんでした。
午後は、まとめの時間で、こういったイベントで楽しませる側として常にどんな姿勢であるべきか、準備がいかに大切な物かを痛感しました。
念入りに緻密に準備をしたチームほど、結果は良いし。そうでないチームは結果もそれなりになる。それまでの工程が本番で全て見えるんだなと思いました。
半端な立ち位置で半端な動きしかできない自分ですが、もっと責任感をもって利他的に、能動的に、もてなす心をもっていたいと思いました。
幼い子の不適切な言動に対しての対応をどうするべきかいつも悩むのですが、お父さんのようにストレートに「子供には知らないことを知らしめる」
そういうスタンスでいいんだと思うとすっきりしました。
そしてライブのステージ設営などの反省を聞いて、自分もハッとする事がありました。
ただ形だけに捉われて現状に満足してしまうとそれ以上を求めなくなってしまうけど、それじゃだめで常によくあろうと向上心を忘れずに。
お母さんの究極の利他心のようにたった10センチの幅を広げるように気を配ったり、いつまでもどこまでも気遣いを忘れない人でいたいです。
そして基地づくりがガラクタ整理にもなったという事がすごく素敵な事だなあと思って、基地づくりは個人的に物凄く楽しくて、ほんとうに最高のイベントでした。でもお母さんにとっては楽しさでもあったし、ガラクタの整理にもなった。サスティナブルというかエコな遊びになったんだなって思うとすごいです。
りゅうさんは外食の際にシェフの姿が見える位置に行って目で見て学んだりとか、お父さんやりゅうさんの研究熱心な姿も美しいです。
ただただこんなところがすごいなあ、理想だなあ、って思うだけじゃなくて、それらを全て自分の物にします。
自分が台所に立っていなくても食事を頂けることとか、全部が当たり前じゃなくて、みんなの助けがあってこその今だから当たり前を当たり前にとらえずに。お互い様、助け合いの関係を忘れないでいたいです。
ハウスミーティングで自己陶酔妖怪が強いという事を聞いてすっきりしました。
どこか摂食障害の人のスタンダードに自分をむりやり当てはめて自信がない、自己評価が低くて、被害感情の強いかわいそうな自分を演じる節がありました。
でも一人一人の回復のストーリーが違うように、自分のありのままをさらけだせる、というか既に見抜かれているんだ。と思うと清々しい気になりました。
自分を人の上においてしまったり、確かに根拠のない自信に満ち溢れています。
俯瞰で見ると自分より高い実力のある人を見下したりしていることもあるかもしれません。
実力の無さを受け止められてない、現状に満足していないし、高すぎる目標をもっています。どうやって人間になれるのか…。
高すぎるプライド、高すぎる自己評価を落とせるよう頑張ります。実力は低いし、その低い実力を認めて、現実をしっかり見ます。都合よくとらえるのはやめます。
損得勘定なしに、助け合う事の出来る、見えないニーズに答えられる、かゆいところに手が届くような動きのできる人になります。
卒業の基準をまた違った言葉で聞いて、改めてああー、、となりました。
プライド、実力が見合っていないと症状がぶり返すという事は以前教わりました。
以降プライドは落とさないといけない、という意識はありましたが、また別の不安要素が出てきた気がします。
やっぱりなのはなファミリーでの生活は”制限”がある。その制限に慣れているから大丈夫な気がしてしまう制限なしでそれだけ規律を守って過ごせるのか。正直今のままでは不安な気もしました、、。
来る前の自分はもう人間として最悪で劣悪な状態です。
症状のせいで食事に関してももう思うがままに食べ続ける。そしてお金も思うままに使い放題。ネットもなんの制限もなしに、何の意味もなく何時間もスクリーンを見続ける毎日。
食生活も酷ければ、浪費癖もあって、もはやネット依存のような状況。もう最悪最低。気持ち悪いほどのもうごみのような、もはやゴミ以下の存在です。
今の生活がすごく楽しくて幸せなのに、それでもスマホが使えるようになったらいいな…なんて願望を抱いていてそんな自分が外に出てネットが自由に使える状況に身が置かれたらどうなるのか、欲深い自分が本当に卑しいなあと思います。
どうしてこんなにも未熟で周囲の幸せを考える前に自分の欲求優先、自分自分の病気のままの思考なのでしょうか…。
それが摂食障害を治す難しさなのはわかっていても、、現実を受け止めきれないです、、。
でも受け止めるのが自己陶酔から抜け出す道なので受け止めます。また今日も9割自分の事しか書けてない日記です。
もっと周りに目を向けて、自己陶酔してない日記をかけるよう頑張ります。