【第32回津山加茂郷フルマラソン全国大会 感想文集 その8】
「走らないマラソン大会で得られたあたたかさ」
ゆうは
津山加茂郷フルマラソン全国大会当日の朝、私は正直あまり乗り気ではありませんでした。
なのはなに来て1週間。
みんなと比べて思い入れも少ないうえに、自分は走らず応援するだけ。
みんなの熱意についていけずさみしい気持ちがあったり、打ち解けつつあるといえど出会って間もないみんなを全力で応援したいという意欲があまりわかなかったり、わたしはみんなと同じことに挑戦できないのだという劣等感があったり、マイナスな気持ちを持ってしまっていました。
また、みんなみたいに一生懸命練習を積み重ねてきたわけでもないのに、フルマラソンという大きな目標に挑戦できることを羨ましいなとも感じていました。
朝起きた時から感じる緊張感。移動中やグラウンドでの準備時間に聞こえてくる思い思いのフルマラソンへの言葉。その盛り上がりにのれずにいたたまれない気持ちになって、いっそのこと、なのはなでお留守番しておきたかったなんてことさえ思っていました。
たけちゃんとちーちは熱があるにもかかわらず応援に来ていて、こんなに小さい2人でさえ、みんなのことを心から応援しているのに自分はこんな気持ちになっているのが情けなくて、どんどん沈んでいく感じがしました。
でも、あゆみちゃんに、
「さみしい気持ちになってしまっているんだ」
ということをすこし話すと、
「心も身体も整って走ったほうが絶対に気持ちがいいし、焦らなくてもいいんだよ」
と言ってくださって、マイナスに感じてしまっていたのは、
(みんなと同じでいなければ)
という焦りがどこかにあったのだなと気が付くことができました。
すると気持ちも少し落ち着いてきて、今の自分にできることはみんなと同じようにフルマラソンを走ることではなく、みんなをしっかり応援することなのだと考えるようになりました。
続々と人が集まり、時間もあっという間に過ぎて、いよいよマラソン大会開始。
スタートを見送った後、まえちゃんとまなかちゃんと一緒にまずは5キロ地点に向かいました。
何人かの一般ランナーの方を応援しながら待っていると、ちょうど時速8キロ前後の時間になのはなの子たちが見え始めました。
たくさん練習をしてきたにもかかわらず、、その努力に慢心することなく、お父さんの教え通りに時速8キロペースで、コバンザメ方式でまとまって謙虚に走っている姿を見た瞬間、さっきまで感じていたマイナスな気持ちはどこまでも自分中心の考えで、おこがましいものだったのだと改めて恥ずかしくなりました。
プロセスがないのに、みんなと一緒に走れるだろうと過大評価している自分の傲慢さを痛感しました。
今の私が参加しても、きっとみんなのようにさわやかに走ることはできなかっただろうなと思います。
それと同時に、一緒に応援しているまえちゃんとまなかちゃんがなのはなのみんなの健闘を祈りながら全力で応援している姿がすごく素敵で、私もこうなりたいと思い精一杯応援しようと心に決めました。
そうして応援していると自然と内側から熱い思いがこみあげてきて、みんな良い走りができますように、と心の底からエールを送るようになっていました。
それからはもう夢中で応援していて、みんなを応援して車で追い越してまた応援してを繰り返しているうちに、私も一緒に走れているかのように感じられていて嬉しかったです。
なのはなの子たちだけでなく一般の方も応援していると、
「なのはなさん応援ありがとう!」
と、なのはなを知っていて声をかけてくださる方や、
「会うの0回目だね!」
と数えてくださっている方、かりんとうを配っていたら、2回目以降、
「あ! かりんとうのお姉さん!」
と覚えてくださる方もいて、大会出場者全体とつながれている感覚がして、心地よいくすぐったさをおぼえました。
途中、少し早めに回り込んで、のどかな風景の川辺で、まえちゃんとまなかちゃんとお昼休憩にしました。
台所さんが丁寧に作ってくれた豪華で彩りきれいなお弁当を、まえちゃんとまなかちゃんときれいな自然に囲まれて笑顔で食べる。
この上ない贅沢。
誰かと楽しく食事をするということは、普通の人にとって当たり前かもしれません。
でも、その当たり前がまたできるようになるなんて、家で1人苦しんでいた1週間前の私には想像もできませんでした。
只々幸せで胸がいっぱいでした。
また、2人からみんなのこのマラソン大会に向けた努力の裏側のお話も聞かせていただけて、一人ひとりにドラマがあるのだと改めて感じたし、そのドラマの集大成が今日なのだと思うと応援の気持ちにさらに火がつきました。
終盤に差し掛かり、歩いていたり苦しそうな顔をしたりしている人が増えてくる中、なのはなの子たちはほとんどみんなコンスタントに笑顔で走り続けていて、他のどんな屈強なランナーよりもかっこよく感じました。
疲れていても笑顔で「ありがとう」と言ってくれるみんなに、逆に私の方が元気をもらえて、私の方こそありがとうと叫びたくなりました。
応援しなければと思いながら始まったはずが、この頃には、応援したい、応援できることが嬉しいという気持ちに完全に変わっていました。
最後はゴール前で帰ってきたランナーを、「おかえりなさい」と出迎えました。
ゴールテープを切るみんなの表情を見ると思わず私まで涙が出てきそうでした。
なのはなの子たちをお互い信じて走りぬいたみんなの勇姿に感動が尽きませんでした。
そして何より、なのはな以外の人にも全力で声援を送る姿、完走した後疲れて休みたいはずなのにお弁当を食べてすぐ応援に参加する姿、ゴールテープ係がいなくなると自分たちで担当する姿、つきちゃんや寧くんはもちろん、ゴールに間に合わなかった人を、お父さんとお母さんが自らテープを広げてくださり、みんなでアーチを作り迎える姿。そういった、利他心という言葉を体現しているようななのはなの姿を目の当たりにしてあたたかい気持ちでいっぱいになりました。
帰り道や、なのはなに戻った後、「頑張ったね」「楽しかったね」「やりきったね」と声を掛け合うみんなにやはり多少のさみしさは感じました。
でも、行きのようにいたたまれないマイナスな気持ちにはなりませんでした。
みんなのこの感動は、プロセスがあってこそのもので、私が感じられていいものではない、努力を重ねたみんなだからこそのものだし、そのプロセスを大切にして謙虚に走り続けたみんなを心の底から尊敬しています。
そして、キャンプやコンサートなど次の機会には、私もこの中に混ざれるかもしれないという期待感で胸が膨らんでいます。
マラソン大会で走るみんなの姿は、摂食障害で苦しんでいた子たちとは思えないほど力強く輝いていて、私もこうなれるかもしれない、こうなりたいという希望の光そのものでした。
そんなみんなに家族として迎え入れてもらえたことがすごくうれしかったし、利他心に満ち溢れた素晴らしい家族ができたのだと誇らしい気持ちにもなりました。
今回、私は選手として出場はできなかったけれど、それでも大きな、それも大事な経験ができたと思っています。
自分を過大評価せず謙虚な姿勢で、今自分にできる精一杯をすること。
応援することがこんなにも素晴らしく、する側も笑顔や力をもらえること。
自分たちだけでなく周りも幸せにできる利他心をもつこと。
摂食障害の症状に飲まれて視野が狭くなりすぎていた私には、なのはなに来なければ決して気が付くことも体験することもできなかったはずのあたたかい気持ちに満ちたこれらのことがわかったこのマラソン大会は、みんなと同じように走らなくても、フルマラソンを完走したみんなに負けないくらい、私にとって身になるものだったのではないかと感じています。
このマラソン大会を糧にこれからもっと大きく、お父さんとお母さんの力を借りながら、なのはなのあたたかな空気に包まれながら、みんなと一緒に成長していきたいです。