4月28日
自分の感情について、新たな気づきがありました。最近、「お父さんの価値観で生きる」を実行しる中で、自分がいかにお父さんの考えと外れているか、低レベルなところで低迷しているかを知って、自己嫌悪に陥ることがよくあります。
今日感じたのが、「自分はまだ自己流の価値基準が抜けていない」ということです。その価値基準とは、何を「かっこいい」「かわいい」「素晴らしい」「悔しい」などと感じるかです。そこに誤差があって、違和感というか、アウェー感があったかもしれない、と思います。畝立てを一番速くできる人がかっこいいのか。華奢で小さくて顔立ちのいい人がかわいいのか。一流大学を卒業して、たくさん稼げる人が素晴らしいのか。自分が踊れない、作業でみんなよりも動けないことが悔しいのか。
人からの評価を気にしているのに、その評価の基準は自己流で、勝手に自分でつくった基準に怯えている、そんな状況でした。
今まで競争社会で生きてきた自分にとって、そういった既存の評価基準から脱却することが難しくて、でもここを乗り切ったら違う世界が見えるだろうと思います。もっと視界を広くして、人のことも自分のことも、正しく評価できるようになっていきます。
嬉しいことがありました。ちょうど上記したようなことでもやもやして過ごしていたところで、あやちゃんが「最近大丈夫?」と気にして声をかけてくれました。
あやちゃんが新しく来た子のシスターをしていることもあって、話す時間を私のためにつくってもらうのが少し情けないような申し訳ないような思いがしていたところでした。「相談してくれると本当に嬉しいし、相談がなくても楽しかったこととかあったらいつでも話してね」と言ってくれました。すごくあたたかい気持ちになって、自分なんかのために時間をとってくれることが本当に嬉しくありがたい気持ちになりました。あやちゃんの、こういう気持ち、誰かのために尽くす生き方こそが「かっこいい」ということだなと思います。