4月27日
今日ずっと笑っていたと思います。
朝は大人数のみんなとジャガイモの追肥をしました。私は途中から、エルフの上でてみに牛肥を詰んだりおろしたりしていて、それはとても難しい作業だけど私は好きです。補助の人と、息が合えばとても楽しくて軽快にできて、「息が合っている」感じが、とても嬉しくなります。最初は合っていなくても、だんだん合ってきて、うまく回るとそれまた嬉しい。今日はまえちゃんとよしみちゃんと、かわりばんこで相方になってやりました。
久々に牛肥を詰める人をやって、こんなに体力必要だっけ、と思いました。私は体力が落ちたのかもしれない。途中、まえちゃんに「代ろうか」と言われたけど、「いや、大丈夫です」と謎の意地。やりきって、朝食を食べたあとは、もうそれで午後が終わったような爽快感。私はもっと力を尽くしたいと思った。私はもっと全力を尽くして、ヘロヘロになるまで疲れてみたい。いつでも怖がらずに、自分の全力を使える人間になりたい。いつもくたくたになって、夜眠る毎日を過ごしたい。そうやって、人生を人のために、思いっきり使って、味わいつくしたいです。
午前は、吹き矢のチームで、お父さんにがっつり確認できたことがとても嬉しかった。私は音が鳴る仕組みをすにたちゃんと考えていて、どうしたら鳴るのか、できたら中心部分当たったらもれなく音が鳴って、当てた人みんなにテンションが上がってほしいと思った。けれど肺活量とか矢の刺さる勢いの関係で、鳴る人とならない人がいる。お父さんに相談させてもらったら、そんな悪平等みたいのはいらない、すぱっと刺さって鳴ったときがあればいいだけで、全員が全員、音が鳴る必要はない、と教えてもらった。
あと、団体戦の司会の進め方で、背景が黒いし矢がどこに刺さったのか、プレイヤーは10mのところから確認できない、だから実行委員がそのつど確認したいけど、吹いている最中は危ないから的の前に出ることができない、どうしたらよいか、とお父さんに聞いたら、そんないちいち確認する必要はない、当たったかどうか分からないのも面白みの一つで、チームメンバーに判断してもらって、結果を楽しんでもらう、実行委員は見える範囲で、どうですかね、当たってますかね、この的は何本当たっているか分かりにくいですけど、どっちでしょうね、みたいなスタンスでいい、それが私にとって目から鱗だった。
馬鹿真面目に、全部確認しなければ、正しいことを伝えてあげなければ、みたいな間違った考え方というか、縛りがあったと思う。今日、音の鳴る仕組みのことと、団体戦の司会の進め方で、お父さんの話と考え方を聞いて、自分はもっと、考え方を改めて、柔らかくする必要があると思った、というか、それだけ、自由になれる価値観がまだまたあるんだ、と感じた。
お父さんとお母さんが私に、間違った考え方をしていることとか、誤解されてしまいがちだということを教えてくださるけど、根っこも一緒だと思った。とくに、自信があって、自分が正しい、と思い込んでいる節が自分にはあって、それを人にも堂々と言ってしまうけれど、お父さんが、去年の誕生日のときに教えてくださったみたいに、いつも自分の考え方とか意見を疑う余裕というか、自覚が必要だと思った。
そうしたほうがお前が楽になる。お父さんがマラソン大会のときに、お父さんの言うことより自分を上に置いてしまったときに教えてくれたことだなあ、と思って、特に、今日、団体戦の司会進行の進め方を聞いて、お父さんから教えてもらったとき、すごく自由になって、もっと広い視野があることを感じて、私は本当に、お父さんとお母さんの価値観をもっと入れなければならないし、お父さんに習って、お父さんならどうするか、をもっと意識しなければならないと思った。
午後も、団体戦の的の配置をお父さんにみてもらって、少し傾けたり動かしたりするだけで躍動感がでたりした。隙間恐怖症のようになって、整然としすぎていることを教えてもらったり、午前に的の配置で、全体がセンターを見るように意識したらいいこと、大きい的を外側にすると矢が出てしまう危険があるので、大きい的は内側で、小さい的を外側にするといいことを教えてもらった。
配置を動かしたあとも、お父さんが何回も見に来てくれて、時間が経ったら見方、感じ方が違うのでは、と言って、大丈夫か来てくれた。
私はその、ディティールを求める気持ちがすごいと思った。あゆちゃんが、吹き矢の看板のことをとても緻密に、時間をかけてやよいちゃんと話していたり、緻密に計算していたりして、看板も、的も、本当にいいものを、とこだわり抜く価値観がすごいと思った。
私は雑で、緻密さに欠ける。「いまできたらいいじゃん」と行き当たりばったりで仕事や作業をすることが多いから、この前、須原さんと吹き矢の土台を作ったとき、須原さんが、5センチくらいの土台の段ボールのずれを、「ちゃんとしとこうか、後々のことを考えて」と言って、測ってそこをきちんと修正した仕事のやり方を見ていて、それがあるべき姿で、優しい仕事のやり方だと思った。