4月16日
「歪みの修正・人としての基礎を作る」ためのプログラムとして、ミーティングのチームの人が、「毎日日記を書く」という課題を私に与えてくれました。
今日も本当は(今からピアノの練習しなくちゃいけないな)という気持ちもありましたが、そんな風にしていたらいくらでも、やりたいこと、やらないといけないことが止まらなくなってしまうため、とりあえず、パソコンを開いて日記を書いています。
日記を書く以外にも私には、「作業で使った道具は必ず元あった場所に戻す。片付けていない人がいたらその人の分まで片付ける」「洗濯物を毎日回収する」「1日6時間以上は睡眠をとり、睡眠不足にならない」などの課題があります。
その課題をもらってから、自分が使った道具はもちろんの事、廊下などに置いてあり私がそのものの片付け場所を知っているものに関しては意識して元の場所に片付けるようにしていたら、すごく気持ちがいいし、本当に小さなことだけれど、(いいことをした)という小さな達成感、(課題を守れている)という小さな安心感に包ま出ます。
また、睡眠不足にならないというのも、個人的にはそれを守ることで、私の「自分中心の考え」が走るのにブレーキをかけてくれているように感じます。
私はすぐに、「仕事のことで、〇日までにこれをしないといけない」「これを調べておかなければいけない」「事前に予習して、分かるようにしておかなければいけない」と不安の先取りをしたりして、自分のことでいっぱいになってしまいます。
また、布団に入ってからも、「山小屋だよりの記事案を考えないといけない」と思い、もう今から起きるわけにはいかないけれど、明日の朝、少しでも時間があれば進められるようにと、頭の中で事前にどんな記事にするか、誰を記者にするかを考えたり、晩白柚の加工やバナナの手入れ、山小屋キャンプと、必要以上に心配をして、自分1人で抱え込み過ぎてしまうところが多いと思います。
でも、本当は私は1人じゃないから、私はこんなに不安の先取りをしなくてもいいんだなと最近、気づきました。
もしも、本当にできていなかったら誰かが教えてくれる、誰かが助けてくれるから、最初から先回りして、できる人になったり、すべての仕事を完ぺきにしておこうとして自分自分になり、頭の中で「自分」がやるべきことを考えるのではなく、いつも誰かの為でいても、それほど困った事態にはならないのかもしれないなと思いました。
私はこれまでも善意のつもりでいたし、よくありたい、役に立ちたい、いい仕事をしたいという気持ちではいたけれど、それが行き過ぎたり、「そうしなければいけない」という縛りになったり、どこかで「不安の先取りをしてでも不安を解消しておかないと、あとで痛い目に遭う」「少しでも仕事を進めて、余裕を作らないと、本当にダメになる」と自分の未来を心配していたから不安だったんだなと思いました。
今日の集合の時にお父さんが話されていたように、まずは行動を変えるところから、自分の歪みを修正していきたいと思います。
その為にも、チームの人が考えてくれた課題は約束として実行していきたいし、お父さんが教えて下さった「自分を透明にして、人のために動くこと」「周りの空気、流れをみて、その場に合った人、その場に喜ばれる人を演じること」つまり、利他心でいつでも人に接し、動けるように意識していきたいし、今はまだ理解できなかったり、意識しないとすぐ自分自分になってしまうとしても、意識して行動し、それを地にしていけるように頑張ります。